3-5.マスターの居場所

 翌日、わたしとノアはあるお屋敷に向かっていた。

 王都内でも貴族街といわれる区域らしく、贅を凝らしながらも品の良い大きなお屋敷が建ち並んでいる。どのお屋敷も高い柵や生垣で囲われて、門の前には兵士が立っていた。


 今日のわたし達は、いつもよりもしっかりとした装いをしている。

 貴族のお屋敷を訪ねるのだからということで、ノアもいつもの眼鏡姿ではないし、髪も上げている。騎士姿の時ほどではないが、ちゃんと整えている装いもやっぱり格好いいなと思ってしまうのだ。

 それでも一番安心するのは、いつもの背を丸めている姿なのだけど。


 そんな事を考えながら、隣を歩くノアの事を窺うとわたしを見下ろす夕星と目が合ってしまった。

 くく、と喉の奥で低く笑ったノアが悪戯に片目を閉じて見せる。


「この姿もお好みのようで何よりだ」


 考えが全て読まれているようで、かあっと頬に熱が集まる。恥ずかしいけれどその通りなので、反論だって思いつかない。


「ノアがかっこいいのが悪いんだと思うわ」

「悪いのか?」

「……悪くないけど」

「はは、素直。でも俺もアリシアの事をからかえねぇしな」


 繋いだ手にぎゅっと力がこもる。

 手袋越しで温もりが伝わらないのは少し寂しいけれど、絡めた指先までもがわたしの事が大切だと言っているみたいだった。


「どういうこと?」

「俺も、お前がどんな装いをしていたって可愛いなって思っちまうから」

「それは……そう思ってくれないと困るでしょ。可愛いって思ってほしくて、色々しているんだもの」

「あー……ほんっと可愛い」

「ふふ」


 天を仰ぐような様子がおかしくて、笑みが零れる。

 こうして二人で歩いていたら、足元が多少悪かろうと気にならなくなってしまうのだから不思議だ。ずっと一緒に居て、お喋りだってたくさんしているのに、それでもわたしはまだドキドキしてしまう。

 いつだって、ノアに惹かれているのだ。



 エマさんに伝えられた住所にも、大きなお屋敷が立っていた。

 高い柵には同じ鉄で作られた薔薇と蔦が飾られているのがとてもお洒落だ。統一されているのか、他のお屋敷と同じく赤茶色の屋根が青空に映えていて、薄いグレーの壁ともよく合っている。


 お屋敷の前には門番が二人立っていた

 穏やかそうな表情をしているけれど、警戒を怠っていないのが伝わってくる。


「すみません、こちらはライネル侯爵家のお屋敷で間違いないでしょうか」

「そうですが、あなたは?」

「私はルガリザンド王国で騎士団に所属しております、ジョエル・アインハルトと申します。こちらは妻のアリシア。こちらにリガス・ザガート氏がいらっしゃると伺って参りました。リガス氏の奥方から手紙を預かっているのですが、お会いできますか」


 ノアはそう口にしてから、胸ポケットから柔らかなベロア生地で出来た小さな巾着を取り出した。巾着の口を緩め、中から取り出したのは細いチェーンに通された指輪。エマさんから預かってきた、エストレーダ王家の紋章が刻まれているものだった。


 その指輪を見た門番は、はっとしたように目を瞠る。

 二人は顔を見合わせて一つ頷くと、一人が門を開けて中へと駆け出していった。


「確認して参りますので、少々お待ちください」

「ありがとうございます」


 頷いたノアはまた指輪を巾着に入れてから、胸ポケットにしまいこんだ。

 この巾着はエマさんから指輪を預かった後に、うちの母から借りたものだ。大変貴重な指輪をそのまま持ち歩くわけにもいかないし、エマさんがしていたようにネックレスとして身に着けるのも憚られる。


 傷がつかないように何かないだろうかと相談したところ、母が装飾品を持ち歩く時に使うのだというこれを貸してくれたのだった。


 そんな事を思い返していると、先程屋敷の中に入っていった門番が戻ってくる。一人ではなく、壮年の男性も一緒だった。


「ようこそいらっしゃいました。どうぞお入りください」


 大きく門が開かれる。

 頭を下げる門番二人に会釈をして、わたしとノアは敷地内へと足を踏み入れた。



 出迎えてくれたのはこのお屋敷の家令で、バイスさんというそうだ。応接室に向かうまでの道すがらで、互いに自己紹介をしてマスターとの関係を説明した。

 このお屋敷の主であるライネル侯爵はマスターの友人で、侯爵は現在領地にいるのだという。


 応接室ではメイドがテーブルにお茶を用意して、一礼してから去っていく。それを待っていたかのように、ノアが口を開いた。


「リガスさんとお会いできますか」

「……リガス様は、現在この屋敷にはおられません」


 バイスさんの表情は暗い。

 一体どうしたのかと問うよりも先に、バイスさんが深い溜息をついた。


「リガス様は王宮にいらっしゃいます。帰国されてすぐに登城されたのですが、それから一度もこの屋敷に戻られておりません」

「連絡は……」

「リガス様からは何も。こちらからも連絡を取ろうとしているのですが、リガス様の元に届いているかも怪しいところです」


 マスターの身に何かあったのだろうか。

 不安になる心を落ち着かせようと、わたしはカップを手にして口に寄せた。華やかな香りが湯気と共に立ち上る。一口飲んで息をつく。美味しくてすこしほっとしてしまった。


「リガス様はルガリザンドでのお住まいは内密にされておりましたから、こちらからエマ様にご連絡を差し上げる事もなりませんでした。お店は存じていたので何度か使者を送ったのですが、お休みで会う事が出来なかったのです」

「エマさん一人でお店を開けるのも大変ですから、リガスさんが戻るまでは休業する事にしたようです。現在、エマさんは私の妻の実家に身を寄せています」


 会えなかったという事をエマさんに伝えてもいいのだろうか。ただでさえ不安の中にいるのに、マスターと連絡も取れないなんて言ったら……体にも障るだろう。

 どうにかしてマスターと連絡を取りたい。そしていつ頃戻ってこれるのか、見通しが聞けたらそれが一番なのだけど……。


 そんな事を思いながらノアへと目を向けると、分かっているとばかりにノアは一つ頷いた。きっとノアも同じ思いなのだ。


「私達が王城へ向かって、リガスさんに会う事は出来るでしょうか」

「王家の指輪を見せれば、何とかなるかもしれません。侯爵家の馬車をお使い下さい」

「有難いお話ですが……いいのですか?」

「もちろん。あなた方は指輪を預けられる程にエマ様の信頼を得ているのでしょう。ならば私も助力を惜しみますまい。リガス様のご友人に不義理を働いたとなれば、私が主人であるライネル侯爵に叱責されてしまいます」


 朗らかに笑うバイスさんに、わたし達も笑みを浮かべながら頭を下げた。


 もうすぐマスターに会える。

 エマさんの手紙を渡して、いつ頃戻れるのかを確認する。きっとエマさんにいい報せが出来るだろう。


 そう思うと、強張っていた体から少しずつ力が抜けていくような気がした。

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