2-33.秋のはじまり

 今年の夏はあっという間に去っていった気がする。

 暑かったし、楽しんだのは間違いないんだけれど……色々と忙しかったからかもしれない。


 窓の向こうは青い空。

 秋色が顔を覗かせ始め、夏の終わりを感じさせる高い空だった。


 少しだけ開いた窓からは、時折吹き込む穏やかな風に薄手のカーテンが揺れている。もう熱気を孕んでいないその風は、どことなくひんやりともしていて、やっぱり秋の気配を纏っていた。



 わたしの唇に紅をさして、ドロテアが満足そうに頷いてから数歩下がる。

 大きな鏡の中に映るわたしは幸せそうに微笑んでいて、自分でも綺麗にして貰えたと思うくらいだった。


「どう?」


 肩越しに振り返ると、既に母が涙ぐんでいて少し笑ってしまった。そんな母の背を支えながら、お腹の大きな姉が微笑んでいる。


「綺麗よ、アリシア。とっても綺麗」

「ええ、本当に綺麗だわ。幸せにね」


 ドロテアに手伝って貰って立ち上がり、ドレスの裾を少し持ち上げながら二人の元へと近付いた。三人で抱き合うと、わたしまで目の奥が熱くなってしまうけれど……泣くのは我慢。折角綺麗にして貰えたのに、崩れてしまうから。


 母は少し下がって、わたしの姿を頭から足元までゆっくりと見た。微笑みながら頷いて、やっぱり目元をハンカチで拭っている。


 わたしも自分を見下ろしてみたけれど、白一色・・・の衣装に何だかそわそわしてしまった。


 ドレスはウエストの位置を高くして、上半身から裾に掛けてスカートが広がるラインのものを選んだ。レースや刺繍も同じ白なのに、とても華やかに見えるのだから不思議だと思う。

 首元はレースで覆われているけれど、両肩から脇にかけては肌が見えている。首後ろから背中までは同じレースで覆われているといえど、着てみるまでは何だか恥ずかしかったものだ。試着の時にはもう慣れてしまって、綺麗なドレスだと思ったけれど。


 編みこんだりねじこんだりしながらまとめられた髪には、真珠で作られた髪飾りが載せられている。耳から垂れるピアスにも真珠が使われていて、動くたびに軽やかな音を耳元で響かせていた。


 ───コンコンコン


 ドロテアが扉に向かい、応対してくれる。振り返って「旦那様方です」と言うから、入って貰うように頷いて見せた。


 開いた扉から入ってくるのは、父と兄、それから姉の旦那さんのデルト・レステーゼ子爵。最後にマルクが入室して静かに扉を閉めてくれた。


「アリシア、凄く綺麗だ」


 声を掛けてくれる父の目は既に真っ赤になっているものだから、それがおかしくて笑ってしまった。隣の兄は「また泣いてる」なんて笑っているけれど、そういう兄だって目尻を指先で拭っている。


「ありがとう。もう……泣くのは早いんじゃないかしら」

「父さんは昨日の夜から泣いてたからねぇ」

「兄さんは?」

「……僕は今朝からかな」

「あなたも泣いてたのね」


 呆れたような姉の声に、皆で笑った。

 賑やかな声が、秋の空に吸い込まれていく。そんな穏やかな時間だった。

 今日は──わたしと、ノアの結婚式。



 ドロテアに手伝って貰って、椅子に座る。

 皆もソファーに座って、始まりの時間を待っていた。


 姉のお腹はもうすっかり大きくなって、今月には生まれるだろうと言われているらしい。

 お腹を撫でる姉と、その姉を愛しそうに見つめる義兄の様子に目を細めた。


「もう参列する人達は神殿内に入っているんだけどさ、お忍びでジーク王太子殿下が来ているってアリシアは聞いたかい?」

「初耳だわ」


 兄の言葉にぎょっとしていると、母がくすくすと笑いながらわたしの長手袋を直してくれた。


 今日のお式は家族の他は本当に近しい人しか呼んでいない。貴族の結婚式ならもっと大々的に行って、様々な人を招待するらしいのだけど。ノアが「俺は貴族っていうか騎士だからな」と言ってくれたのもあって、小さな規模のものになっている。


 家族、祖父母、友人達。

 そんな中でどうして王太子殿下が、と思うけれど……何となく予想はついた。


「……カミラ王女の件ね?」

「そうだろうね。この結婚は王家が祝福しているものであると、内外的にアピールしたいんじゃないかな」

「兄さんが圧をかけたわけじゃ……」

「今回は違う」


 今回は、というところに含みを感じるけれど、そこには触れないようにした。

 風の噂でカミラ王女はすっかり大人しくなったと聞いた。アンハイムの王が退位し、王太子殿下が跡を継いだというのも耳にしたから、きっとあの国でも色々あったのだと思う。


「まぁいいじゃない。お祝いして下さるなら、して貰っておいた方がいいわ」


 母の言葉に、それもそうかと頷いた。

 それでいいのだと思えるくらいに、あの事はわたしの中ではもう終わったものなのだと思う。


「ねぇアリシア。今度、新居に遊びに行ってもいい?」

「ええ、もちろんよ。いつでも来て欲しいわ」


 姉が嬉しそうに笑うから、それだけで場が明るくなるようだった。


「遊びに行けるのと、この子が生まれるのとどちらが先かしら」

「生まれたら外出するのも難しくなるだろうからね。先に伺った方がいいかもしれないけれど……アインハルト殿もアリシアさんも少しお休みを取るんだったね?」


 義兄の言葉に頷きながら、額にかかる前髪を軽く直した。ドロテアが音もなく近寄ってきて、前髪に櫛を入れてくれたから直っていなかったのかもしれない。


「はい、一週間ほど」

「一週間? もっとお休みを取れたら良かったのにね。今からでもどうにかならないかしら」


 姉の様子にくすくすと笑みが漏れた。

 今にも関係各所に掛け合いそうな勢いで、それを感じ取った義兄にしっかりと肩を抱かれている。


「落ち着いたらもう少し長いお休みを取る予定なの。だから大丈夫よ」

「そう? それならいいんだけど……じゃあアリシアのお休みが明けて、少し落ち着いただろう頃に連絡するわ」

「待ってる」


 行動力のある姉の事だ、本当に遊びに来てくれるだろう。

 お腹の赤ちゃんの事を考えると無理はしてほしくないのだけど、無理をしそうなら義兄が止めてくれるだろうとも思っている。


 ───コンコンコン


 ノックの音が響く。

 壁側に控えていたマルクが扉に向かってくれる中、壁に掛かった時計に目をやると式の時間がもう間もなくまで近付いていた。


「アインハルト様です」

「入って貰って」


 頷いたマルクが扉を開ける。

 控室に足を踏み入れたノアが、わたしを見て固まってしまった。でも……固まったのはわたしも一緒だった。


 ノアは騎士団の正装姿だった。

 詰襟の形は変わらないけれど上着は白。ズボンは黒で、ベルトにも華やかな装飾が為されている。金の飾緒や胸に飾られた勲章など、いつもの騎士服とは雰囲気がまるで違っている。


 髪も後ろに撫でつけて、眼鏡もない。アインハルトとしての姿だった。


 マルクが静かに扉を閉める。その音で我に返ったように息をついたノアは、紫の瞳を優しく細めながらわたしへと近付いてくる。


「綺麗だ、アリシア」

「ありがとう。ノアもとっても素敵よ」


 ドキドキして胸の鼓動がおさまらない。

 いよいよだと思うと緊張してしまうし、落ち着かない気持ちになってしまう。


 そんなわたしの様子に、ノアはいつものよう・・・・・・に笑ってくれて、ようやくわたしも笑う事が出来た。


「……アインハルト様って、あんな顔をするのね」


 小さく呟いた姉の声に、周囲に目をやると皆が同意するように頷いている。

 それがなんだかおかしくて、ノアと顔を見合わせてまた笑ってしまった。

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