2-34.誓いを口にして
神殿の中、祭壇までの道をノアと一緒にゆっくりと歩む。
参列者の方々は、肩越しに振り返るようにわたし達を見守ってくれていて、皆が晴れやかな笑みを浮かべているのが印象的だった。
ノアの腕に手を掛けて、青い絨毯の上を進んだ。
視線を上げると、それに気付いたノアがわたしに目を向けてくれる。口元が優しく綻んで、幸せに胸が弾んだ。
祭壇に居る神官様の前で足を止める。
わたし達より数段高い場所の神官様は、片手に大判の厚い本を持っていて、逆の手をわたし達の上に翳した。
ドキドキと心臓が騒がしい。
緊張しているのと、嬉しいのと……何ともいえない不思議な感覚。胸がいっぱいで切ないのに、それさえも愛おしいなんて。ノアに恋をしなければ、知らなかった。
神官様のお祝いの言葉を聞きながら、今までの事を思い返す。
ノアと初めて会ったのはあまりりす亭で、分厚い前髪と眼鏡で顔は見えないけれど綻ぶ口元は最初から優しかった。
時々会えば言葉を交わす事も増えて、軽口や冗談も言い合う友人になって──会うのが楽しみになっていた。
あの時はまさか、こんな未来が訪れるなんて思わなかったけれど。
「では誓いの言葉を」
神官様の声は、静かなのによく通るから不思議だ。
ノアがわたしへと体を向ける。それを合図にわたしもノアへと向き直った。
夕星の光がわたしだけに注がれている。
穏やかで力強いその瞳がわたしの心を奪い続けるって、この人は知っているんだろうか。
「私、ジョエル・ノア・アインハルトは生涯の伴侶となるアリシア・ブルームと出逢えた事に感謝を捧げます。いついかなる時もお互いを尊び、支え合い、絆を深め、永遠に愛する事を誓います」
温かな言葉がわたしの心に真っ直ぐ届く。
定型の誓いの言葉なはずなのに、ノアが本当にそれを思って口にしているってわたしにはちゃんと伝わるから。
溢れる気持ちが涙となって頬を伝った。
それを見たノアが目元を緩めて、わたしの目元を指で拭ってくれる。彼も白手袋をしているのに、その指先に宿る熱が伝わるようだった。
「……わたし、アリシア・ブルームは生涯の伴侶となるジョエル・ノア・アインハルトと出逢えた事に感謝を捧げます。いついかなる時もお互いを尊び、支え合い、絆を深め、永遠に愛する事を誓います」
ゆっくりと、ノアに伝わるように想いを込めて誓いの言葉を口にする。昨日何度も練習してきたから、間違えなかった事に内心でほっとしたのもあるけれど……きっと、少し間違えたってノアは笑ってくれるんじゃないかと思う。
大事なのは気持ちだって、そう言ってくれる。
わたしが言葉を紡ぎ終えると、ノアは嬉しそうに笑った。
その笑みがあまりにも幸せに満ちていたから、やっぱりまた涙が零れた。
「誓約書にサインを」
また神官様へと体を向ける。
署名台に用意されているのは、誓約書と羽飾りのついたペン。これを提出して、わたし達は──夫婦と認められるのだ。
まずノアがペンを取って、名前を書いていく。
手紙をくれていたから何度も字を見ているけれど、綺麗な字だと思う。手紙の文字を何度指でなぞった事だろう。
ノアがペンを渡してくれて、わたしも名前を記した。
アリシア・ブルームという名前を書くのは、これが最後になるのだろう。これからはブルームではなく、アインハルトとなるのだから。そう思うと胸の奥が少し痛むけれど、でも……わたしとブルーム家の繋がりが切れてしまうわけではないもの。
「この瞬間をもって、あなた達は夫婦となった。新たな夫婦の未来に幸多からん事を」
神官様が本を持つのとは逆の手で、祈りの印を宙に切る。
その祝福を受けながら幸せを感じていたわたしの手を、ノアがぎゅっと握ってくれた。繋いだ手は、今までで一番力強くて温かかった。
参列者の間を歩むと、皆が舞い散らせてくれた花弁が降り注ぐ。美しくて優しい花の雨を受けながら神殿の外に出ると、わたし達の後について出てきた皆に囲まれた。
「おめでとう。君達の未来が幸せで彩られるように、私も、そして王家も心から願っている」
ジーク王太子殿下の言葉を頂戴して、わたしとノアは揃って頭を垂れた。
王家からの祝福は、きっと私が思っているよりも重いものなのだろう。それがきっとわたし達を守る盾の一つになるのかもしれない。
「おめでとう。まさか本当に結婚式を早めるなんてな」
「アリシア、とっても綺麗よ。幸せになってね」
にこやかに笑うラジーネ団長と、涙ぐんでいるウェンディ。
「出来ればもっと早めたかったくらいですが」
団長の言葉に肩を竦めて、ノアがそんな事を言うものだから思わず笑ってしまった。
季節をひとつ早めるだけで、随分と大変だったと聞いているのに。いつもは使わないアインハルト伯爵家の伝手まで使ったと、お義母様が笑っていたのを思い出す。
「ノアくん、アリシアちゃん、おめでとう~!」
「おめでとう。いい酒を用意しておくから、飲みにきてくれ」
びしょ濡れになったハンカチを握りしめながらまだ泣いているエマさんと、その肩を抱くマスター。
あまりりす亭が無ければ、出会っていなかったわたしと
「エマさん、マスター、いつも本当にありがとう。結婚したってお店に通うわ。そうよね、ノア?」
「ああ。また珍しい酒も頼みたい」
ノアが前に頼んだウーゾが思い出される。
あのお酒も美味しかったし、ノアとならきっとこれからも沢山の事を楽しめるって分かってる。
「おっめでとー! 今日もアインハルトの顔がデレデレだねぇ」
ラルスさんが腕に掛けた籠から花弁を撒きながらお祝いの言葉をくれる。
撒いていると言うよりノアの顔に向かって投げつけているような気もして、ノアはすっかり花弁まみれだ。
「それもそうだろう。結婚式だぞ」
「いいよねぇ、俺も出会いが欲しい。誰か紹介して、ほんと。アリシアちゃん、誰かいない?」
「アリシア、こいつの話は聞かなくていいし口も利かなくていい」
「ひどい」
仲の良さが伝わるような二人のやりとりに、声をあげて笑ってしまったのも仕方がない事だろう。
ノアは辛辣な振りをしているけれど、ラルスさんの事を信頼しているのをわたしは知っているもの。
それから図書館の館長や上司に同僚、騎士団の皆さんからもお祝いの言葉を頂いて。
アインハルト家、ブルーム家、祖父母たち……皆が一様に笑っていてくれたのが嬉しかった。
わたし達の結婚を、こんなにも沢山の人が祝ってくれる。
わたし達が共に在る事を、喜んでくれる。
そう思うとまた涙が込み上げてきて、堪える為に見上げた空には薄い雲がたなびいていた。
「アリシア」
わたしの様子に気付いたノアが、耳元に唇を寄せてくる。
なぁにと問い掛けるよりも早く──
「愛してる」
低くて甘い声で囁かれて、その場に崩れてしまうかと思った。ノアが腰を抱いてくれていなかったら、きっとそうなっていただろう。
顔に熱が集まってくる。
そんなわたしを見て笑う彼の夕星も色を濃くしているようだった。
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