2-29.幸せを願うから
わたしに向けられる視線は仄暗く、絡みつくように重い。
ぞくりと背中が冷たく冷えていくような感覚に息を呑んでしまうけれど、カミラ王女から目を逸らすわけにはいかなかった。
「……アリシア・ブルーム。わたくしとあなたは何が違うのかしら。あなたは欲しいものを手に入れられるのに、どうしてわたくしは叱られるの? あなたの方がアインハルトと先に出会ったから? そんな早い者勝ちのようなものは、狡いんじゃないかしら」
淡々と紡がれる言葉に潜む、嫉妬の色に気付かない振りは出来なかった。
これがカミラ王女の本心なのだろう。
わたしの隣で、ノアの纏う怒りが深くなっていくのが分かった。
腰に回る彼の腕に手を添えて、ぎゅっと握り締める。わたしは大丈夫だと、そう伝わるように。
「わたしは彼が好きで、彼と一緒に居たいから傍にいるのです。カミラ王女殿下のように、側に
この言い方ではカミラ王女には伝わらないのだろう。眉を寄せたままで、カミラ王女は不思議そうに首を傾げているもの。
どこまで響くかは分からないけれど、それでも口にしなければならない事があると思った。
「早い者勝ちだと、狡いと仰いますが……もし彼と出会う前から、彼が別の人と婚約をしていたとして。どれだけわたしが彼の事を想ったとしても、それを伝える事も、引き裂く事もわたしはしないでしょう」
「……アインハルトが欲しくても?」
「ええ、どれだけ欲しくて想い焦がれても。彼が想い人と気持ちを重ねて、幸せに過ごしている時間を壊す事など出来るはずがありません。彼の事が好きだからこそ、彼には幸せになって欲しいと思うからです」
わたしの腰を抱くノアの腕に力が籠もる。
顔を上げるとわたしを見つめる夕星と目が合った。優しい笑みにつられるように、わたしも笑いかけた。強張っていた体が解れていく。
「彼は飾り物ではありません。気に入ったから側に置くなど、そこに彼の意思はあるのでしょうか」
「だって……わたくしの側に居たら、贅沢も好きな事も自由に出来て幸せでしょう?」
「彼はそれを望みましたか?」
わたしの問いに、カミラ王女は押し黙った。
ノアとわたし、それから第二王子へゆっくりと視線を滑らせていく。その様は先程よりも不安げで、戸惑いを孕んでいるようにも見えた。
「反省は離宮でするんだな。お前に許されているのは、もうそれだけだ」
第二王子の冷たい声が薄明近い空に吸い込まれていく。
その言葉に応えたのは兵士達で、カミラ王女を取り囲むようにして連れて行ってしまった。
カミラ王女は抵抗もせず、ただわたしとノアに一度だけ視線を向けて去っていった。
その姿が王宮へと消えて、誰からともなく小さな息が漏れた。
わたしも気付けば深い息を吐いてしまっていて、腰から肩に回ったノアの手が慰めるように優しく肩を叩いてくれる。
「アインハルト、それから婚約者殿。私はジェイド・トリン・アンハイムだ。まずは国を代表して謝罪を──愚妹が迷惑を掛けて申し訳ない。それからジーク、すまなかった」
ジェイド王子がわたし達に頭を下げて、それからジーク殿下に向き直る。
何を口にしていいか分からずに、わたしは黙っている以外に出来なかったのだけど。だって平民が王族に頭を下げられた時の対応の仕方なんて、聞いた事が無かったもの。
「カミラは幽閉か」
「それ以外にないだろう。国外にも出せず、国内で娶ってくれる家もない。災いへと育ててしまったのは私達だからな、その責任は取り続けていくさ。両親が甘やかして育てる事を見て見ぬふりをしてきた私と兄も同罪だ。まぁ離宮は狭いし生活の質は落とさざるを得ない。我儘を叶えてきた側近達は全員解雇して総入れ替えともなれば、カミラにとって罰にはなるだろう」
「幽閉はいつまでだ?」
「あいつが今までさぼってきた勉強を全て終わらせて、あの考えを改められた時と考えているが──いつになる事やら」
聞こえてくるカミラ王女の処遇。今まで好きなものだけに囲まれて、好きな事をしていて過ごしてきたカミラ王女には辛い生活になるのだろう。
そんな事を考えていたら、ふらりとこちらに近付いてきたのはヨハンさんだった。
「先程はありがとうございました。いやぁ、お陰で殿下が到着する前に正門に辿り着く事が出来ました」
にこにこと笑うヨハンさんは、いつも図書館で会う時の様子そのままで、何だかこちらも力が抜けてしまった。
「君はジェイド殿下の部下だったんだな」
「そうです。カミラ様が何かしでかさないか見張ってろって言われてたんですけど、しでかさない方が無理な話でしたよね。国にありのままを報告したら、ジェイド殿下とうちの王太子殿下も忙しくなったみたいです。モンブロワとの婚姻を流す代わりの支援だとか、両陛下に言い聞かせるとか諸々やってからやっとこちらに来れたので、それだけお二人にはご迷惑をお掛けしてしまったんですが」
「本当にな。先に連れ帰ってくれたらよかったものを」
「それについてはもう謝る以外に出来ませんねぇ」
辛辣なノアの言葉にヨハンさんは何度も頭を下げるばかりだ。その様子に苦笑いが漏れてしまって、何だか一気に疲れが押し寄せてきた気もする。
でもこれで、漸くすべてが終わったのだろう。
もう周囲を警戒しなくてもいいし、ノアが嫌な目に遭う事もない。わたしもお仕事に復帰できるし、いつもと同じ生活を送る事が出来る。
ふと顔を上げると、わたしの視線に気づいたノアが目を細める。
いつだってノアはこうやって、わたしを見ていてくれた。わたしが不安になった時も心細くなった夜も、その不安を取り除こうとしてくれていた。
愛しさで胸が苦しい。
「疲れただろう。アリシアは帰宅した方がいい」
「でも……」
「おーいアリシアちゃん! 馬車が来てるよー!」
言いかけた言葉はラルスさんの元気な声に遮られる。
そうだ、マルクに迎えを頼んでいたんだ。裏門に……とお願いしていたけれど、この騒ぎで近づけなかったはず。きっと心配させているだろう。
「馬車まで送ろう。マルクさんにも説明をしなければ」
「あ、ありがとう」
「アリシアさん、お世話になりました。また僕だけでも本を読みに遊びに来るかもしれないので、その時はどうぞ宜しくです」
にこにことしたヨハンさんが見送ってくれる。
そうか、ヨハンさんももう帰国するんだ。でもヨハンさんなら本当に図書館に遊びに来そうだと思って、笑ってしまった。
「ええ、いつでもいらして下さいね。では失礼します。ヨハンさんもお元気で」
ラルスさんの開けてくれた裏門から出ると、離れたところに馬車が停められている。馭者席に座るマルクがほっとしたように表情を和らげたのが遠目でも分かった。
「……あー、長かった。でもやっと終わったな」
「そうね。ノアも本当にお疲れ様」
「おう、お前もな。……アリシア、ありがとう」
「何が?」
柔らかな声が夜気に溶ける。
ノアを見上げると、優しい笑みを浮かべながらわたしの事を見つめている。その眼差しに捕らえられると、胸が切なくなってぎゅっと締め付けられてしまう。
わたしの問いに答えてくれる気はないようだ。
機嫌よさげに笑う彼の様子が嬉しかったから、わたしもそれ以上は問いを重ねたり出来なかった。それでいいと思えたから。
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