2-21.巡って触れて、離せなくて

 まず中央階段から三階まで一気に上がった。

 手摺も綺麗に磨かれているし、絨毯が埃っぽくもない。定期的に清掃が入っているのだとすぐに分かるほど、清潔に保たれていた。


 三階には使用人の部屋が並んでいる。

 まだ部屋は埋まっていないけれど、アインハルト伯爵家から家令と数人のハウスメイド、それからシェフや庭師が来てくれると聞いた。ノアの事を幼い時から知っている人達ばかりらしいから、きっと彼もゆっくり過ごせるだろう。


 二階にはノアとわたしの部屋、それから夫婦の寝室がある。空いている部屋があるのは、この先家族が増えると考えての事。

 夫婦の寝室には大きなベッドが置かれている。寝る場所だもの、ベッドがあって当たり前なんだけど……なんだかドキドキしてしまって、それは簡単にノアに見透かされていた。


「顔が赤いぞ」

「……うるさい」

「お前、寝相は?」

「悪くないとは思うけれど……」

「じゃあ落ちる心配はねぇな」

「こんなに大きなベッドだもの、少しくらい転がったって大丈夫じゃない?」


 落ちる心配なんてしなくてもいいくらいに大きいベッドなのに、ノアは何を心配しているのだろう。そう不思議に思っていると、不意にノアに抱き締められた。

 両腕を腰に回して背中側から抱き締められると、何だか安心してしまう。


「お前が転がったら、俺もついていくだろ」

「……どういうこと?」

「こういうこと」


 身を屈めたノアが、わたしの肩に頭を載せる。吐息が耳にかかって擽ったくて、落ち着かない気持ちになってしまう。


「寝る時だって離してやれねぇってこと」

「な、っ……」


 真っ直ぐな言葉に、この体勢。わたしが真っ赤になってしまうのには充分過ぎるほどだった。

 耳元で低い声で囁かれて、平気でいられるわけがないもの。


「はは、さっきよりも真っ赤」

「誰のせいだと……!」

「俺のせい。この髪型も可愛いな」

「ちょっ、と……それ、今言う?」


 機嫌よさげにノアは笑うけれど、わたしにそんな余裕はなくて。でもこの腕から抜け出す気がない事も、きっとノアはお見通しだ。

 振り回されている気もするけれど、それが嫌じゃないのは……惚れた弱みなのかもしれない。



 一階に降りたわたし達は、食堂や応接室、サロンにゲストルームなどを見て回った。

 二人で選んだ家具も合っていて、とても雰囲気が良いと思う。廊下の壁紙にも腰あたりの高さに、掌ほどのタイルが貼られていてそれも素敵だった。

 お気に入りだけを集めたような家に、笑みが零れた。


 そして最後に向かったのは──図書室。

 手は繋いだまま、ノアがその部屋の扉を開ける。わくわくする気持ちが抑えられずに繋いだ手に力を籠めると、ノアも同じように握り返してくれる。


 部屋の中には沢山の本棚が並んでいた。

 まだ棚は埋まっていないけれど、この棚全てを本で埋め尽くしていいだなんて贅沢すぎる。


「すごい……本棚がいっぱい!」

「しばらくは足りそうか?」

「これを埋めるなんて、どれだけ時間が掛かるかしら。楽しみだわ!」


 個人宅の図書室にしては広すぎるくらいの部屋に、本棚が九つ。壁一面にまず三つ、それから間隔を空けて、二つずつ四列に並んでいる。

 反対側の壁には小さな暖炉があって、それに向かい合うように大きなソファーとテーブルも用意されていた。


「素敵だわ。ここで本を読むのが今から楽しみだもの」

「良かった。それで……こっちの壁が裏庭に通じているから、ここにドアを作ろうと思うんだがどうだ? 裏庭に東屋を作って、そこに繋げられるように」


 以前、外でお酒を楽しんだ時に話していた事を覚えてくれていたんだ。

 その素敵な提案に頷かないなんて選択肢もなく、笑みが零れるばかりだった。


「いいと思うわ。でも……今から改装なんて本当に大丈夫?」

「確認してあるから大丈夫。東屋のデザインも決めたいから、それについてはまた話そう」

「ええ」


 ここで本を読んでもいいし、天気のいい日は外でも読める。

 そんな素敵な時間をノアと一緒に過ごせる事が嬉しくて、心が弾む。一人でも楽しいけれど、二人ならもっと楽しいもの。


「……楽しそうだな」

「楽しいわ。ノアは楽しくない?」

「楽しいけど……そんなお前の事が可愛いなって思ってた」

「……急にどうしたの」

「いや? はしゃいでるお前も可愛いなって」

「……変なノア」


 そんな事を言われて、どうしていいのか分からない。

 だってその前髪の向こう、眼鏡の奥の瞳が柔らかく細められているって知っているもの。


 自分の心臓が耳の隣に移動してきたのかと思うくらいに、鼓動が騒がしい。

 恥ずかしくて何も言えないでいるわたしを見て、少し笑ったノアが手を引いてくれるからそれについていく。濃青色のソファーに並んで腰を下ろすと、先程までより穏やかな声でノアが話し始めた。


「そういえばこないだ借りた本、面白かった」

「良かった。ノアもきっと好きだろうと思っていたのよね」

「犯人は予想していたんだが、あそこまで見事に外れるとは思わなかった」

「誰だと思った? わたしは大神官だと思っていたんだけど」

「俺は探偵役の語り手」

「あ、それはわたしも少し怪しいと思ってた」


 本の感想を二人で言い合う。

 面白かったところ、驚いたところ。ノアが思った事を聞くのも楽しいし、わたしの話もちゃんと聞いてくれる。そういう時間が、これからもずっと続いてくれたらいいなと思う。



 図書室でお喋りを楽しんでいたら、時間はあっという間に過ぎていってしまった。

 懐中時計で時間を確認したノアが、小さな溜息をついてからわたしの事をぎゅっと抱き締める。


「悪い。夕方から詰所に顔を出すよう言われてたんだ」

「ううん。忙しいのに、来てくれて嬉しかったわ。ありがとう」

「俺が会いたかったんだ」


 昨日の事があったから、わたしの傍に居てくれようとしたって知っている。

 ノアの優しさに胸が苦しくなって、好きだという気持ちが溢れておかしくなってしまいそう。

 溢れる気持ちに蓋をする事なんて出来ないから、ノアの背に両腕を回して抱き着いた。


「わたしも会いたかった」


 素直に思いを吐露すると、ノアが腕に力を籠めてくる。


「中々会うのも難しいし、変な噂は出回るし、そのせいでお前まで絡まれるし……そんな中で俺に出来るのは、お前にちゃんと伝える事くらいだろ。本当はいつだって傍に居て、お前を悪意から遠ざけたいんだけどな。こんな状況だから会えるなら会いたいし、それが難しいなら手紙でも何でも使って、俺がアリシアだけを想ってるって伝えたいんだよ。だからこれは……俺の自己満足かもな」

「そんな事ないわ。ノアがそうしてくれなかったら、きっとわたしは一人で抱えてもやもやして、不安に苛まれてひどい事になっていたと思うもの。……わたしの事を大事に考えてくれていてありがとう。そういうところも大好きよ」


 この優しさが自己満足なわけないのに。

 わたしがどれだけ救われているのか、伝わればいいなと思う。心の全てを曝け出して、わたしの心がどれだけノアで満たされているのかを伝える術があればいいのに。


 小さく頷いたノアが「帰したくねぇ」なんてぼそりと呟くものだから、背中をとんとんと叩いて促した。この後は用事があるのだもの。ここでのんびりしているわけにもいかないから。


「ほら、帰りましょ。ここからなら真っ直ぐに王宮に行った方が近いわね」

「何言ってんだ。送ってく」

「遠回りになってしまうわ。わたしなら──」

「俺が大丈夫じゃない。お前の無事が確認されないと、俺の心臓がもたない」


 きっぱり言い切るその様子に、これ以上拒否する事も難しそうだ。

 それならお願いした方が、きっとお互いの為にもいい。そう思って頷くけれど、ノアは中々離してくれなかった。


 その腕の中があまりにも心地よくて、わたしから抜け出すのも大変なのに。

 もう少しだけ……と自分に言い訳をして、わたしもまたノアにぎゅっと抱き着いた。

 

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