2-15.視線から逃れる為に

 夜にしたためた手紙は、想いのままに書き散らしたら大変な厚さになってしまった。


 これはノアだって読むのが大変だろうと、いくつかを掻い摘んで書き直した。

 会いに来てくれたお礼。元気でいてほしいという願い。本のお話。それから……ノアの事が好きだという事。

 書きたい事は尽きないけれど、明日だってまたお手紙を書くのだから一気に書かなくたって大丈夫。それに……会おうとしたら、いつだって会える。

 そう思えるのも、ノアのおかげ。


 朝になって、ノアからもお手紙が届いていた。

 わたしへの想いに溢れた温かな手紙。添えられていた赤い薔薇がとても綺麗だったから、この花弁を押し花にして、栞にしようと思った。


 わたしのお手紙は、貸す約束をした本と一緒にマルクに届けて貰う事にした。

 騎士の方々へのお届け物は基本的には受け付けていないらしいのだけど、婚約者だから大丈夫だとノアも言ってくれていた。

 どうか、この想いも届きますようにと……願いを込めて。



 やっぱりノアに会えたら嬉しくて、それだけで元気になってしまう。

 ラジーネ団長からいきさつを聞いたらしいウェンディが心配してくれるけれど、大丈夫だと伝える事が出来る。無理をしているわけじゃなくて、本当にそうなのだと。

 むしろ気持ちが上向いて、今なら何でも乗り越えらそう……と思っていたのは、お昼までだった。


「……ブルームさん、書庫に置いてある本の補修をお願い出来る? 騎士団の方もいらっしゃるから」

「はい。……すみません」

「いや、ブルームさんが謝る事なんてないよ。災難だね」


 目の下にクマを作っている上司が、労わるような言葉をくれる。最後の言葉は声を潜めて囁くようなものだったけれど、わたしには充分に届いていた。

 それに曖昧に微笑みながら、わたしはカウンターを離れた。ウェンディも、わたしの代わりにカウンターに入った同僚も、気の毒そうに眉を下げている。


 図書館に入ってすぐのところ、新刊が並べられている場所にいる一団がその原因だった。

 カミラ王女様と、お付きの侍女が一人。アンハイムの兵士が一人と、護衛の任についている騎士が二人。いつもより数は少ないけれど、目を引いているのは間違いない。


 今日は至るところで王女様の姿を見るのだ。

 話しかけてはこないのだけど、その視線はわたしへと向けられている。嫋やかな微笑を浮かべていながらも、その瞳が何だか恐ろしかった。

 

 わたしは王女様達へ視線を向ける事なく、関係者以外立ち入り禁止の札が掛けられた扉を潜った。後ろ手にしっかりと鍵を閉める。

 ここは図書館の視察でも入る許可が下りなかった場所だから、カミラ王女様が来る事もないだろう。

 周囲にまた助けられている事を自覚して、小さく溜息が漏れた。


 倉庫から補修道具の入った籠を取り、書庫へと向かう。

 静かな廊下に響くわたしの足音を聞きながら、階段を降りて地下へと向かった。地下といえど、壁には等間隔で明かりが灯されているから怖くはない。


 階段を降りた先にある書庫の前でわたしを待っていたのは、騎士団の制服を着たラルスさんと、ヨハンさんだった。

 そういえば上司は、騎士団の方もいらっしゃると言っていた。それがラルスさんだとして……ヨハンさんはどうしたのだろう。


「アリシアちゃん、お疲れさん」

「お疲れ様です。お二人はどうしてここに?」

「俺はアリシアちゃんの警護」

「僕は書庫を見たかったからついてきました。館長の許可は頂いています」


 わたしの警護?

 問わずとも顔に出ていたのか、ラルスさんが笑いながら書庫の扉をこんこんと叩く。


「とりあえず入ろうぜ。仕事もあるんだろ」

「ええ、そうね」


 促されるままに書庫の扉を開ける。

 ひんやりとした室内は薄暗いけれど、もうどこに明かりがあるのかは体が覚えている。


 入って右手にある棚から燭台を取ると、ヨハンさんが火を灯してくれた。

 燭台は全部でみっつ。人数分あれば足りるだろう。


 通気口から入ってくる冷たい風も仄かなものだから、燭台の炎を揺らす事もなかった。


「わたしは作業をしていてもいいですか?」

「もちろん。俺らの事は居ないもんと思ってくれ」

「それは難しいけれど……」


 苦笑しながら作業台を見ると、補修が必要な本は上司が纏めておいてくれたようだ。

 その隣に籠を置いて、必要な道具を取り出していく。


「……わたしに警護って、どういうこと?」

「緊急任務なんだよ。あのぶっ飛んだお姫さんが、やたらとアリシアちゃんの側をうろうろしてるだろ? 何かあったら困るからさ」

「確かに今日はよくお見かけすると思ったけれど……でもまさかそんな、直接的に何かされるなんて……」

「そうとも言い切れないうちはさ、そういう可能性を一つずつ潰していかないといけないんだ。アリシアちゃんに何かあったら、アインハルトがおっかねぇしさ」


 明るく笑うラルスさんの姿に、つられるように笑ってしまった。

 わたしに警護なんて勿体ない気もするけれど、ここは素直にお願いしよう。わたしが無事でいる事もきっと大事だもの。迷惑を掛けてしまうけれどここは甘えて、落ち着いたらお礼をしよう。


 小さく頷いて、作業台に用意されている椅子に腰を下ろした。

 積み重なった本の一冊を手に取って、補修する内容が記されたメモに目を落とす。


「おいヨハン、あんまり奥まで行くなよ!」

「分かっていますからご心配なく」

「絶対分かってねぇだろ。迷子になったお前を探すのもしんどいんだぜ」

「大丈夫です、ここは迷子になりようがありませんから」


 広いけれどひとつの部屋なのは間違いない。確かに迷子にはならないだろうと思うけれど……。

 二人のやり取りを聞きながら思わず笑ってしまうけれど、ふと二人の関係性が気になった。随分と仲良く見えるけれど、いつの間に?


「ラルスさんとヨハンさんは、いつの間に仲良くなったんですか?」

「あいつ、よく迷子になるだろ。それを見つけているうちに、何となくな。あのお姫さんと一緒に来たってだけで、ちょっと警戒してたんだが……何だか意外と気が合ってさ」

「そうだったんですね」


 以前にヨハンさんも、『カミラ様の臣下ではない』と言っていたし、アンハイムからの使節団といえど何か複雑な関係性があるのかもしれない。


 ラルスさんは壁側に寄せられていた椅子を引っ張ってくると、ついでに棚から一冊の本を抜き取ってきたようだ。

 それは……花の妖精が世界中を旅する児童文学だ。


 ラルスさんの足音と、感嘆の声も遠い。随分奥まで行っているみたいだけど、大丈夫だろうか。

 そんな事を思いながら、取れてしまったページの端に糊を塗った。わたしも作業に集中しよう。


 少し古い紙の匂いに満たされた部屋で、終業時間になるのはあっという間だった。

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