番外編 パンケーキと独占欲②
「婚約記念品の話なんだけど」
ノアがそう切り出したのは、コーヒーのおかわりを注文した後だった。テーブルを片付けてくれたマスターに確認すると焙煎されたコーヒー豆の販売もしているらしく、わたし達はそれも注文をした。
「ええ、お任せするって話だったわよね?」
両家顔合わせも終わり、アインハルト家の皆様が帰る頃のこと。
婚約の記念品をどうするかとノアに問われたのだ。この国では婚約が成った時に互いに贈り物をする風習がある。元婚約者とはその記念品の話をした事がなかったな、とふと思ったけれど、まぁいいかと思考から飛ばした。
欲しいものを問われても思い付かない。逆にノアに問うてもはっきりした答えが返ってこない。お互いそんな調子で笑ってしまって、贈りたいものをそれぞれ用意するという事で決まったのだった。
そしてわたしは今日、その贈り物をバッグに忍ばせている。
「贈りたいものを考えて……用意したんだが」
何とも歯切れの悪い様子が珍しくて、首を傾げてしまった。口元を手で押さえたノアはそのま黙り込んでしまう。その仕草は照れている時のものだと、わたしは既に知っている。
「お待たせしました」
穏和な笑みのマスターが、わたし達の前にコーヒーを置く。やっぱり香り高いコーヒーは光の加減なのか赤みを帯びているようにも見えた。
「こちらもどうぞ」
小皿には花の形に抜かれたクッキーが載せられている。それをわたしとノアの前にそれぞれ置いてから、マスターが綺麗な一礼を見せた。
「婚約おめでとうございます」
その言葉にわたしだけでなく、ノアも驚いたように息を飲んだ。顔を露にしていないのに、ジョエル・アインハルトだと分かったのか。それともわたしの顔を知っていたのか。
「ありがとうございます」
衝撃だけれど、それでもその心遣いが嬉しくて。心からの礼を告げると、ノアも同じように感謝の言葉を口にした。
「豆もご用意してありますので、お帰りの際にお渡しします」
そう言うとマスターは会釈をして去っていく。
その姿を見送ってから、わたしとノアは思わず笑いだしていた。
「ばれていたのね」
「別にもう隠しているわけじゃねぇからいいんだが、よくわかったな。いや、お前の顔を知っていて、そっちからばれたか?」
「顔が広いとは思っていないけれど」
「図書館で会っているのかもしれねぇぞ」
そう言われると否定は出来ない。
まぁいいかと、早速クッキーを一つ口に運んだ。さくさくとした食感に、優しい甘さが広がっていく。ほんのりと薔薇の香りがするのは、花弁が生地に練り込まれているのだろうか。確かめるようにもう一つ口に入れた。うん、美味しい。
「で、記念品なんだけど。これ」
コーヒーを飲んで落ち着いたのか、その声や仕草に先程のような照れもない。そんなノアが取り出したのは美しい小箱だった。
わたしの両手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、小さな宝石が夜空のようにまぶされた青い箱に金のリボンが掛けられている。
「……開けてもいいの?」
「もちろん」
鼓動が早まる事を自覚しながら、わたしはリボンに手を掛けた。簡単に解けたリボンをよけて、箱を開ける。
箱の内側に貼られたシルクの台座。そこに輝いていたのは、綺麗なイヤリングと揃いの髪飾りだった。
雫型の台座にはめられた紫の宝石。深く濃い紫はまるでノアの瞳のよう。周囲を縁取る金細工も優美な曲線を描いている。
髪飾りも金細工と紫石、それから真珠で作られていた。光を映して煌めく様に引かれるよう、指先でそっと撫でてしまう。
「すごく綺麗……」
「気に入ったなら良かった」
「まるでノアの瞳みたいね」
「あー……」
思った事を口にして、返ってきたのは呻き声。一体何だと顔を上げると、ノアがふいと顔を逸らした。そんな事をしなくても分厚い前髪で表情を全て読み取る事なんて出来ないのだけど。
でもそのおかげで分かった事もひとつあって。
「照れてる?」
「……うるせぇ」
「耳が赤いわ」
指摘するとまた聞こえるのは呻き声。
顔をわたしへと戻したノアは、眼鏡のつるに長い指を添えて持ち上げた。露になる夕星が色を濃くしてわたしを見つめている。
「……そうだよ。お前に、俺の色を着けて欲しくて選んだ」
そうはっきり言われてしまうと、否が応でも意識してしまう。
ノアの事を言えないくらいに、きっとわたしの耳も顔も赤い色に染まっている。
「毎日使ってもらえるように、わざと小振りなものを選んだ。お前は俺のものだって、誰から見ても分かるように」
静かな声。決して大きくない声なのに、その声はまっすぐにわたしに届く。
まるでこの世界に二人だけだと錯覚してしまうような、不思議で心地の良い感覚。
「自分でも驚いてんだよ、独占欲の強さに。笑いたきゃ笑え」
そう言いながらノアが笑う。眼鏡を戻して髪を直すその仕草に、わたしはふぅと小さく息をついた。
「……笑えそうにないわ」
そう呟いたわたしは、バッグから細長い箱を取り出した。テーブルを滑らせるようにそれをノアの前へと移動させる。
「……わたしからの、婚約記念品」
受け取ったノアは包装を丁寧に剥がしていく。大事そうに箱を開くその顔が、嬉しそうに綻んでいたからわたしの緊張もどこかに消えてくれたようだ。
箱に収まっていたのは黒色の懐中時計。鎖は金を選んだのだけど、それがわたしの瞳の色だとノアは気付いてくれるだろうか。
時計の蓋を開けたノアは、硝子向こうに見える歯車を盤面越しに撫でる。その指先が月の満ち欠けを表示する箇所に滑っていった。
「お前の瞳の色だ」
金鎖を指に絡ませながら、ノアが笑う。その声がひどく柔らかくて、喜んでいるのが伝わってくる。
「お前も、俺と同じ気持ちだった? 毎日身に着けられるものを、って」
「……分かってるなら言わないで」
「お前の口から聞きたいんだよ、アリシア」
改めて言葉にされると羞恥におかしくなってしまいそう。
それでもここは、ちゃんと伝えなくちゃいけないって分かってる。
「……そうよ。それを見て、いつだってわたしを想ってほしいって。そう願って選んだのよ」
「俺の婚約者が可愛すぎて辛い」
「な、っ……」
テーブルに伏せたノアが力なくそんな言葉を口にするものだから、わたしはそれ以上は何も言えなくなってしまう。
それでもノアはしっかりと懐中時計を握りしめていて、それがひどく愛おしい。
ゆっくりと体を起こしたノアは、片手に懐中時計を握ったままで、逆手でわたしの手の甲を握りしめてくる。
「ありがとう、アリシア。毎日持ち歩く。大事にする」
「こちらこそありがとう。わたしも毎日着けるわ」
握られた手をひっくり返して、わたしからも手を握った。絡まる指先にまで熱が灯る、その感覚が幸せで。
何気ない日々でも、ノアと一緒ならそれだけで特別になる。
「愛してる」
わたしだけに届くよう潜められた声。
胸が詰まって苦しくて、頷きながら「わたしも」と返すだけで精一杯だ。それでもその声が恋色に染まっているのは自覚している。
嬉しそうにノアが笑うから、きっとこの男には全てばれているんだろう。
わたしがどれだけ、ノアの事が好きなのか。
それでいいんだと言うかのように、テーブル上で紫石と金鎖が煌めいている。
ノアの色を纏う。それを思うだけで、心が弾んだ。
ふわりと香るコーヒーと、ほんのり甘い花のクッキー。目の前には愛しい婚約者。
わたしの幸せが、ここにある。
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