43.優しい夜はあなたと共に
特別なワインと美味しいご飯で、お腹も心も満たされて。
あまりりす亭を出たわたしとノアは、花びらのような雪が降る中をご機嫌に歩いていた。
手袋をしている事もあって、繋いだ手から温もりが伝わる事はないけれど、心の奥がぽかぽかと温まってくるのが不思議だ。それもノアと手を繋ぐようになってから、知った事なのだけれど。
「……少し遠回りしていくか」
「ええ、いいわよ」
まだ時間も早い。歓楽街からは賑やかな声が、夜風に乗って聞こえてくるくらいだった。
商店街の店もまだ明かりがついている。店仕舞いをする花屋から急ぎ足で出てきた男の人の手には、薔薇の花束が握られていた。
手を引かれるままに歩いていくと、わたしにもその目的地が分かった──公園だ。
広場の端に積み上げられた雪が、子どもが遊べるようにと滑り台になっている。まるで彫刻を模したような出来映えの雪像も等間隔で並んでいて、さながら屋外美術館のようだ。
雪像群を抜けた先の開けた場所には、アイスキャンドルが並んでいた。
氷で出来た器に蝋燭の炎が揺らめいていて、とても綺麗。
「わぁ、綺麗。これってどうやって作っているのかしら」
「バケツを使うんだよ。色々作り方はあるみたいだけどな。バケツの真ん中に別の容器を入れて周りだけ凍らせるとか、氷に厚みが出てきたらひっくり返してから中の水を抜くとか」
「面白そう。わたしもやってみようかしら」
「作る時は水じゃなくて、ぬるま湯を使うと透明になるっていうぞ」
「よく知ってるのね」
身を屈めてキャンドルを覗き込む。このくらいの大きさのバケツなら家にもあったはずだ。家の前に並べたら……父や兄も一緒になって作るというかもしれない。
大雪ではしゃいでいた二人を思うと笑みが漏れた。
「気を付けろよ、滑るぞ」
「平気よ。そんな、っ……!」
子どもじゃあるまいし、なんて続けようとした言葉は吐息となって夜空に消えた。
濡れていた足元で滑ってしまったわたしを、繋いでいた手を強く引き寄せてノアが支えてくれる。おかげで転ばないで済んだけれど、ノアは可笑しそうに笑っていた。
「言ったそばから……」
「たまにはこういう事もあるわよ。……助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
体勢を整えるとノアの肩に雪が積もっている事に気付いた。肩も頭も白くなっているけれど、きっとそれはわたしも一緒。
繋いでいた手を離して、ノアの肩から雪を払う。口元を綻ばせたノアは、わたしの髪からも優しい仕草で雪を落としてくれた。
それにしても、相変わらずマフラーをしていない首元は寒そうだ。
わたしはバッグから一本のマフラーを取り出すと、それをノアの首にかけてぐるぐると巻いた。
「これは……」
「残念ながら編んだものじゃないわよ。とりあえず、だから……その、ずっと使わなくてもいいし。とりあえず今夜だけでも。見ていて寒いのよ」
「大事にする。毎日使う。俺の為に選んでくれたんだろ?」
マフラーに口元を埋めたノアが嬉しそうに笑うから、わたしは何も言えなくなってしまった。実際、ノアの為に選んだ物なのは間違いない。気に入って貰えなかったらどうしよう……なんて考えてしまって、ずっと渡せなかったのだ。
「暖かいし色も綺麗だ」
「……よく奢って貰っていたし、ハンカチも貰ったし。まぁ、お礼みたいなものよ」
「ハンカチは俺が汚したからだろ」
その原因はわたしにあるんだけど。
でもノアがマフラーを気に入ってくれたなら嬉しい。使ってくれるなら、尚更だ。
眼鏡を外したノアが前髪をかきあげる。眼鏡で髪を押さえると、
「こんなところで髪を上げていいの?」
「お前と一緒に居る時点で、アインハルトだってばれてるだろ」
「そうだけど、わたしは顔を知られているわけでもないわよ」
「こんな時間だ、誰もいねぇから心配すんな」
「心配っていうか──」
言葉が途切れる。
ノアがわたしを抱き締めていたからだ。
自分よりも大きな体に包まれて、力強い腕に抱き締められて、心臓が可笑しくなってしまいそう。それなのに嬉しくて、幸せで、安心する。
ずっと触れてほしいと、こうしていたいと心の奥から願いが溢れてくるようだ。
わたしも両腕をノアの背に回して、体を寄せた。
「早く準備が終わらねぇかな」
「あら、疲れちゃった?」
「そうじゃなくて。準備するのも楽しいんだけど……早くお前と一緒になりてぇ」
「……それは、わたしもだけど」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、本音だって零れ落ちる。
呻くような声が聞こえたと思った瞬間、わたしはぎゅうぎゅうに抱き締められていた。
「お前が同じ気持ちでいるならいい。一年、我慢する」
「同じ気持ちに決まっているでしょ。早く結婚の日を迎えたいけれど、婚約期間も今だけだから楽しみたいの」
「そうだな。……焦ってたのかもしんねぇ。手に入らないと思っていたから」
「バカね」
「いいんだよ、アリシアの前だけだから」
腕の力を緩めたノアが低く笑う。
間近で見る紫の瞳が色を濃くしてわたしを見つめる。思わず溺れてしまいそうな宵の色。
「結婚式が楽しみだわ」
「俺も。お前の花嫁姿が一番楽しみなんだけど」
「磨けるだけは磨くつもりよ。あんたの隣に立つんだから」
「俺の理性が持つかな」
不穏な言葉も冗談めかされたら、思わず笑ってしまう。
わたしの額に、ノアは自分のそれをこつんと合わせてきて、間近な距離で触れる吐息が擽ったい。
「結婚してからも飲みに行こうな。家の食事もいいけど、飲みに行ったりカフェに行ったり、美味いもんを食ってるお前が見たい」
「色んなところに連れていってくれる?」
「アリシアが望むならどこへでも。俺の横で笑っていてくれるなら、お前の望みは何でも叶えるつもりでいるぞ」
「いちいち男前なんだから」
わたしに向けられる眼差しも、その声も、わたしの事が好きだと伝えてくれているようで。
与えられる以上に、わたしも気持ちを伝えたいと思った。
「大好きよ。ノアと一緒に居るとそれだけでも幸せなの。美味しいものも楽しい事も、もしかしたら悲しい事や苦しい事だってあるかもしれないけれど、その全てをノアと一緒に過ごしたいの」
「お前のそういう真っ直ぐなところが愛しいんだが……さすがに婚前で手を出すわけにいかねぇし、どうしたもんかな」
揶揄めかすような口調だけど、その頬が少し赤くなっているのは気のせいではないと思う。
ノアの手がわたしの頬を包む。
慈しむような優しい仕草が心地好くて吐息が漏れた。
熱を帯びた夕星が輝いている。
その瞳に見惚れながら、わたしは抱きつく腕に力を込める。ずっとこれからも一緒だと願いを込めて。
嬉しそうにノアが笑って、つられるようにわたしも笑った。
白い吐息が月を隠すような、冬の夜。優しい夜はきっと、これからも。
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