38.暖かな色

 仕事が終わり、待っていてくれたノアと一緒にあまりりす亭までの道を行く。

 雪は玉のような大粒に変わり、しんしんと降り積もっている。


 そんな寒い夜でも、胸の奥が暖かくて擽ったい。

 見上げると、隣を歩くノアがすぐに気付いてこちらを見てくれる。分厚い前髪に隠れた瞳が、優しい色をしているのを知っている。


 恋を自覚した時、あんなにも戸惑っていたのが嘘のようだ。恥ずかしくて寂しくて、苦しさだって感じた程なのに。

 軽口も揶揄からかいも心地いい。そして願ってしまう。これからもずっと、この人と一緒に居たいと。それを叶えるには、やっぱりわたしも踏み出さないといけないわけで。


 わたし達を迎えるあまりりす亭の看板は、今日も暖かな色をしていた。



「いらっしゃい! ……あら、二人一緒なんて初めてね」


 店に入ると、今日も明るいエマさんが何だか含んだような笑みをしている。それも仕方がないなと苦笑いをしながら、コートを脱いだわたしはノアの引いてくれた椅子に腰を下ろした。


「今日は何にする?」

「俺は白ワインとおすすめで。アリシアは?」

「わたしもそうする」

「はぁい、ちょっと待っていてねー」


 わたしの隣に座るノアと同じ注文をして、わたしはそっと髪を直した。帽子を被っていなかったから払いきれなかった雪で濡れてしまっている。


「風邪引くなよ」

「喉が痛くなったら、また檸檬の飴を贈ってくれる?」

「美味かったのか?」

「ええ、とても。あの飴、わたしの為に用意してくれたんでしょう」

「……分かってんなら聞くんじゃねえよ」


 頬杖をついたノアはその手の平を口元に寄せている。顔が見えなくても照れているのは簡単に読みとれて、わたしは思わずくすくすと笑みを漏らしていた。


「はーい、今日のおすすめは鴨のコンフィよ」


 わたし達の前に白ワインのグラスを置いたエマさんの後ろから、マスターがお皿を置いてくれる。

 艶々の鴨はももの部分で、骨がついたままだ。下には色鮮やかな野菜が敷き詰められていて食欲をそそる。


「美味しそう」

「うちの人の自信作よ。じゃ、ごゆっくり~」


 マスターと一緒に厨房へ下がっていくエマさんは、悪戯に片目を閉じている。

 きっとあの様子だと、わたしの好きな人がノアだという事は分かっているんだろう。


 わたしは両手を組むと感謝の祈りを捧げてから、ワイングラスを手に取った。同じようにグラスを持つノアと乾杯をしてから一口楽しむ。

 葡萄の味が濃いのにそこまで甘くはなく、すっきりとした味わいだ。ふわりと抜けていく香りは白い花を思い浮かばせる。


 早速カトラリーを手にすると、骨に沿ってナイフをいれた。炙られた皮がパリッとしているのがナイフから伝わってきて、わたしの頬は緩むばかりだ。

 切り離したお肉を一口大に切って、口に運ぶ。


「んん、美味しい」


 油のおかげなのか、甘みを感じる。ほろほろと崩れるくらいに柔らかいお肉は、旨味をぎゅっと閉じ込めているようで、すごく美味しい。


「うん、美味い。鴨もいいな」

「お野菜も美味しい。幸せ」


 食感が残るくらいに茹でられたお野菜に、鴨の旨味が染み込んでいるようだ。

 幸せな口をワインで流す。そうしたらまたお肉が食べたくなってくる。



「そういえば知っているか? 団長がお前の同僚とデートしたって話」

「ええ。あんたが知っていた事に驚いているけれど、そういう話もするのね」

「男の集まりだぞ。恋愛話も俗な話もするさ」

「まぁ、それもそうよね」

「何で知ってるかっていうと、団長が宿舎で騒いでたからなんだけどな。令嬢と一緒に行くならどんな店が喜ばれるんだって。雰囲気のいい店を教えろって喧しかったぜ」


 予想外の言葉に、お肉を口に運ぶ手が止まる。

 わたしの知っている……というか、見ていた団長は飄々としているというか、いつも落ち着いているというか、お店選びで騒ぐ様子なんて想像出来ないからだ。


「それは……ウェンディが楽しい時間を過ごせたのも当然ね」


 ウェンディの為に、そんなにも悩んでくれていたなんて。それが嬉しくて思わず笑みが零れた。

 ノアもどこか楽しそうだ。ワイングラスを揺らしてから、笑みの浮かぶ口元へ寄せている。


「お前と行ったカフェも候補に入ってたんだよ。結局他の店になったんだけど、当日はやっぱり店を変えるんじゃないかと、内心でひやひやしてた」

「確かにちょっと恥ずかしいものはあるわね。見るのも、見られるのも」


 わたしの知らない顔を、ウェンディは団長に見せるんだろう。そしてきっとわたしも、ウェンディの知らない顔をしているのかもしれない。


 それを見る事が出来るのは、目の前の人だけで。

 ノアのそんな顔を、見たいと思った。


 高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、ワインを飲んだ。体が熱くなってくるのはきっとお酒のせいだけじゃない。


「エマさん、ワインのお代わり頂戴。お前は?」

「わたしにも下さいな」

「はぁい」


 もう少し。もう少しだけお酒の力を借りて、そうしたらきっと伝えられる。

 でも酔いすぎてもいけないから、加減は見極めないといけない。


 そう思いながら、鴨肉を口に運ぶ。まだほんのり温かいお肉に、皮が少ししんなりとしてきている。食感が変わってこれもまた美味しい。


 エマさんがワインのお代わりを用意してくれて、早速それを頂いた。ほどよく冷えたワインはやっぱり花香が強い。美味しい温度で頂くのが一番だと実感する。

 ワインで喉を潤してから、わたしはゆっくりと口を開いた。


「ねぇ……団長はウェンディを幸せにしてくれる?」

「誠実なのは間違いねぇ。義理堅い人だし、お前の同僚を裏切る事はない。幸せになるかどうかを俺が判断するのは出来ねぇけど、それだけは断言してやれる」

「そう、それならいいわ。わたしの大切な友達なの」

「もし万一の事があれば、俺がぶっ飛ばしてやるから心配すんな」

「万一があるなんて嫌よ。そんな気配があった時点でぶっ飛ばしてほしいわ」

「過激な女だな」


 くつくつと可笑しそうにノアが笑う。わたしとしては笑い事ではないんだけれど、そんな万一・・は来ないだろうとも思っている。それは多分、ノアも同じなんだろう。


 厨房でエマさんの朗らかな笑い声が響く。

 マスターの肩を可笑しそうに叩いているから、マスターが何か冗談でも言ったんだろうか。


 今日もあまりりす亭は明るくて、楽しい。

 それはやっぱり、ノアと一緒だからだって。わたしはもう分かっている。


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