34.合理的なのか夢がないのか

 やってきたカフェは、ほどよいくらいの混雑感だった。

 お喋りに花を咲かせられる程の賑やかさ。しかし隣同士のテーブルが埋まらない程には空いている。


 そんな店内でわたし達が選んだのは、壁を背にした端の席だった。他のお客さんは柔らかな日差しが注ぐ窓側の席を選んでいる人が多く、端を選んだのはわたし達くらいだ。


 注文を済ませて息をつくと、ノアがわたしを見ている事に気付いた。前髪で目元が隠れていても、こちらを見ている事くらいは分かる。それほどに真っ直ぐな視線を向けられるのは、正直なところ恥ずかしい。何か変なところでもあったのかと首を傾げた時だった。


「今日も可愛いな」


 衝撃的すぎる言葉に肩が跳ねた。

 嬉しいのと恥ずかしいのとで思わず笑ってしまうも、顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。


「何よ、いきなり」

「その髪型も可愛いし、いつもと化粧が違うなと思って」

「……よく気付いたわね」


 髪はいつものように下ろしているのだけど、左耳付近の髪を耳の後ろで丸く纏めている。露になっている左耳には金細工で花を模したピアスを飾った。

 化粧もいつもよりかは丁寧に……というか、唇に乗せる紅の色を変えている。

 あまり張り切りすぎてもどうかと思って、少しだけ力を入れるくらいにしたのだけど……それでもこの人は気付いてくれるのか。

 可愛いと言われた事も嬉しいけれど、気付いてくれる事も嬉しく思った。


「それは俺の為に可愛くしたって、自惚れていいんだよな?」

「……ほら、ケーキが来たわよ」


 否定するのも違うし、かといって頷くのもちょっと恥ずかしい。でもきっとノアには伝わっているのだと思う。その口元が綻んでいるから。



 ノアの前には飴細工の薔薇が飾られたチョコレートケーキとコーヒー、わたしの前にはピスタチオのロールケーキと紅茶を置いて、店員さんが下がっていく。


 早速フォークを手にして、厚切りのロールケーキを一口大に切り分ける。ふわふわとした生地に、色鮮やかなピスタチオクリームの緑色。中心にはガナッシュクリーム。

 口に運ぶと広がるのはピスタチオの香ばしさ。コクがあるのにすっきりとしているのは、ピスタチオだけではなくて何か別のクリームが混ぜ合わされているのかもしれない。


「美味しい。生地にもピスタチオが入っているのかしら。食感にアクセントがある」

「チョコレートケーキがおすすめなんだろ」

「目移りしちゃうの。きっと二つ目はチョコレートケーキにすると思うけれど」

「食欲が戻ったみてぇで何よりだ」


 低く笑うノアは飴細工を崩している。艶のあるチョコレートにまぶされる飴がまるで星のようで、何度見ても美しい。

 一口が大きいのに食べ方が綺麗。美味い、と満足そうに頷く姿になんだかほっとした。



「そういえばさっき家族の前で名乗ってくれていたじゃない。ノアって、偽名じゃなかったのね」

「ミドルネームがあるって知らない奴の方が多いけどな。ほとんど使わねぇし」

「確かにわたしも知らなかったわ。お名前はちゃんと知っているのにね」


 ロールケーキに添えられていた桃を口にする。シロップに漬けてあったのかほんのり甘くて、これも美味しい。半分程を一気に食べてフォークを置く。紅茶のカップを手に取ると花のような香りが鼻を擽っていった。


「少し俺について、話をしてもいいか」

「ええ」


 コーヒーを一口飲んでから、ノアが口を開く。

 わたしもカップをソーサーに戻して、話を聞こうと彼を見つめた。


「俺は三人兄弟の次男だ。伯爵家は兄が継ぐから、俺に領地経営やら何やらが回ってくる事はない。兄は優秀だし、弟が兄を支えるべく留学して色々と学んでいる。貴族としての責務や義務もあるが、俺個人としては貴族よりも騎士だという意識が強い」

「……そうだった。アインハルト様は伯爵家のご出身だって、聞いた事があったかもしれない。すっかり頭から抜けていたわ」

「お前は本当にに興味が無かったんだな」


 可笑しそうにノアが笑うけれど、別にそういうわけではないのだ。

 わたしは肩を竦めると、またフォークを手にしてケーキを食べ進める。ピスタチオの風味がガナッシュクリームとよく合っている。甘さを控えめにしてあるのか、すごく美味しくて食べやすい。期間限定ケーキなのが惜しいくらいだ。


「興味の有無よりも、高嶺の花だったもの」

「何だそれ」


 わたしの言葉を笑ったノアは、またカップを口に運ぶ。香りがわたしのところまで広がって、次はわたしもコーヒーを飲もうと決めた。


「話を戻すけど、俺は貴族に籍があるが騎士だ。夜会なんかも騎士団として必要があれば出席するだけだ。兄や弟には悪いが、家の事は全て任せきりになってる」

「そう……でもどうして、それをわたしに?」

「貴族じゃねぇみたいなもんだから、安心して嫁に来いよって事」

「はぁ?」


 この男は何を言っているんだ。

 いや、嫁ぎ先がなかったら貰ってくれるとかは言っていたけれど。あれはあくまでも冗談で……冗談じゃなかった?


「言っただろ、覚悟を決めろって」


『俺のものになる覚悟を』


 あの夜、ノアが口にした言葉が思い浮かぶ。 

 驚きと、ときめきと、頭に触れてくれた手の温もりまで。


「だからって……いきなり嫁?」

「最終的にはそうなるんだから、不安要素を一つずつ潰していった方がいいだろ。まずは俺が貴族の端くれだって事だ。お前は貴族に対して思うところがあるかもしんねぇけど、俺はどっちかっていうと騎士だって言っておきたかった」

「合理的というか夢がないというか……」

「思いがけない奇跡が巡ってきたんだ。ゆっくり時間を掛けようとも思ったんだが、もたもたして他の奴にかっ攫われるのはごめんでね」


 飾り気があるわけでもない、真っ直ぐな言葉。だからこそ、その言葉はこんなにもわたしの心を揺り動かすのかもしれない。

 胸の鼓動が騒がしくて、わたしは細く息を逃がした。


「顔が赤いぞ」

「うるさい」


 くく、と低く笑うノアはわたしから視線を離してコーヒーを楽しんでいる。

 わたしも飲みやすくなった紅茶を口にして、心を落ち着かせようとした。


 わたしも好きだと、そう言えたらいいのに。

 素直に言えないのは、どうしてなんだろう。


「お前が不安に思う事は、全て俺が解決してやる。だから心配すんな」


 そうか、わたしは不安なんだ。

 それをノアは分かってくれているんだ。わたしはその優しさに甘えてもいいんだろうか。


 込み上げてくる何かを放っておく事も出来なくて、紅茶と一緒に飲み込んだ。

 きっと素直になれる日は近い。


 だってわたしは、この人の事が好きなのだから。


 

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