15.残念令嬢

 悪い予感は当たるというか、それとも成るべくして成ったと言うべきか。

 わたしのまえで仁王立ちをする彼女・・を見ながら、わたしはそんな事を考えていた。



 恙無つつがなく仕事も終わって、ウェンディと一緒に図書館を出る。いつも通りの帰り道にならなかったのは、門をくぐったところで待ち構えていた、キーラ・フリッチェ男爵令嬢がいたからだった。

 丸みを帯びていたはずの緑色の瞳は吊り上がり、敵意も露にわたしの事を睨み付けている。

 わたしのせいではないのだけど、そうも敵意を向けられる事に思い当たる節しか無くて小さく溜息が漏れてしまった。


「アリシア・ブルーム。フェリクス様を誘惑するなんていい度胸ね」


 それをあなたが言いますか。


「一体何の事でしょう」

「とぼけないで。フェリクス様に別れを告げられたのよ、私。あなたの差し金なんでしょう?」

「わたしは何もしていませんが……」

「愛人としてなら認めてあげようと思ったのに。これだから欲深い平民は嫌なのよ」


 強烈な言葉が乱舞する様に、わたしとウェンディは顔を見合わせた。


『この人、大丈夫?』

『たぶん大丈夫ではないわ』


 言葉は無くても、わたし達は不思議と気持ちが通じ合った。


「わたしはトストマン様の愛人になる件もお断りしていますし、友人関係もそれ以上も持つつもりはありません。トストマン様が何をおっしゃったのかは分かりませんが、わたしは何も存じません」

「じゃあどうして私が振られるのよ! あんた何か知ってるんじゃないの?!」


 零した溜息が夜空に白く消えていく。

 肩に掛けていたバッグを直しながら、わたしは口を開いた。もういい加減にめんどくさい。


「誤解しないで頂きたいのですが、昨日トストマン様が図書館にいらっしゃいました──」


 口を開こうとするキーラを手で制しながら、わたしは続きの言葉を紡ぐ。


「──わたしはトストマン様とやり直すつもりはありません。これは絶対にです。トストマン様はあなたに別れを告げた理由を、『自分の顔と金しか見ていなかった』とおっしゃいました。わたしが原因ではありません」

「そんなの当たり前じゃない」


 キーラは当然といったように大きく頷いている。

 何が当たり前なのだろうか。え、この人、本当に大丈夫?


「あの人が顔と金だけって、それ以外にあるなら教えてほしいくらいなんだけど」


 そっち? え、こわい。

 言葉を失ったわたしは、口をぽかんと開きながら目の前の彼女を見つめていた。


「……ええと、じゃあ元々お金と顔目当てでトストマン様に近付いたって事?」

「そうよ、羽振りが良さそうだったから。ていうかあんた誰?」

「私はクレンベラー子爵家が三女、ウェンディ。トストマン子爵家はブルーム商会の援助があったから羽振りが良かっただけよ。あなたがお金目当てなら、もう別れてしまってもいいんじゃないかしら」


 腕組みをしながら、キーラはウェンディの言葉を聞いている。

 思案するような視線が、足元に積もる雪からわたしへと移る。


「……じゃああんたの家が、トストマン子爵家に援助を続けたらいいんじゃない? そうしたらまた羽振りがよくなるんでしょ。愛人としてフェリクス様の側に居てもいいわよ」


 なんでそういう考えになるんだろう。

 わたしとウェンディはまた顔を見合わせて、溜息をついた。


「うちがトストマン子爵家に援助をする義理はもうございません。わたしは愛人になるつもりもありません」

「じゃあ誰か裕福な男を紹介しなさいよ。あんたがフェリクス様との婚約を解消したから、援助は打ち切られたんでしょ。全部あんたのせいじゃない」

「ちょっと待ちなさいよ。真実の愛を見つけたからって婚約破棄をつきつけたのは、あなたとトストマン子爵令息でしょ。アリシアは被害者よ」

「ふん、あなたは貴族でしょ? それにも関わらずこんな場所で働かないといけないなんて、そりゃあ平民の肩を持つわけね」

「出仕も出来ない残念令嬢より遥かに恵まれていると思うけれど」


 怒りも露にウェンディが食って掛かる。

 その肩を抑えながら、どうしたものかとわたしは困り果てていた。


 キーラ・フリッチェは人の話を聞かないし、何を考えているのかもう本当にわからない。

 出来れば関わりたくないんだけど、誰かを呼んできた方がいいだろうか。


「残念令嬢なんて私の事を言っているんじゃないでしょうね?」

「さぁ? 思い当たる節がないなら違うんじゃないかしら」

「……クビにしてやるわ。あんたも、そこの平民も!」

「私達は陛下の命のもとに、ここに出仕しているの。あなたがどんな力を持っているかは知らないけれど、ここの人事権に口を出すのは難しいと思うわよ」

「うるさい! 後で後悔しても知らないんだから!」


 キーラは足元の雪をわたし達に向かって蹴り飛ばすと、その場を走り去っていった。

 随分と、なんというか……活動的な令嬢だな、なんて思うくらいにわたしの頭も疲れているのかもしれない。


「ウェンディ、ごめんなさい。あなたまで巻き込んじゃったわね。濡れてしまったでしょう?」

「気にしなくていいわ。あなたの苦労が分かったし……あんな人に絡まれて本当に災難ね」

「そう言ってくれると気が楽になるわね。……もう本当にそろそろ収まって欲しいんだけど」


 コートの裾についてしまった雪を払って、わたし達は歩き始めた。

 見上げた空には薄い雲が掛かっているようだ。その向こうには満月が朧に見えている。


「弟から聞いたんだけど、社交界では爪弾きらしいわよ、あの二人・・

「それは姉が同情を引いているからかもしれないわね。あの人も今回の件は凄く怒っているみたいだから」

「それが無くたって、どちらが非常識な事をしているかは分かるもの。……噂とは言いながら真実めいた話なんだけど……あのキーラ・フリッチェって令嬢は身持ちが悪いみたいで。実家も没落寸前で、裕福な貴族令息に体を使って取り入っているとか……」

「あらまぁ……」


 手段はともかくとして、実家を救う為に裕福な家に嫁ぎたいというのは珍しい話ではないと思う。だけど実際それに巻き込まれた身としては、疲れたしもう勘弁してほしい。


「母の実家からトストマン子爵家に話がいっているの。フリッチェ男爵家の件も頼った方が良さそうね」

「互いの家の為にも、そろそろ終わらせた方がいいと思うんだけどね。それよりも聞いた? 私達、クビにされちゃうわよ」


 大袈裟に肩を竦めるウェンディの様子に、思わずわたしは笑いだしていた。

 思い出すだけでびっくりする。まさかこの図書館に勤める者は王命を受けている事を知らないだなんて。

 王城に勤めるのと同じように素行調査もされるし品行方正でなければならない。名誉な事なんだけどな。


「クビにしてって、誰に掛け合うつもりなのかしらね」

「そんな権限をもつ人があのご令嬢の知り合いにいるとは思えないけれど。恥をかけばいいんじゃないかしら」


 悪戯に笑うウェンディの様子に、わたしも肩を揺らした。

 見上げた空から落ちてくるのはふわりとした綿雪。街灯に照らされて浮かぶような雪が積もる中、柔らかな雪の上にわたし達の足跡が残っていった。



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