第4話 誰かの視線を感じるような



 アルメリアと小鬼ゴブリンが向かい合う場所は、僅かに村から外れた地点だった。

 周囲に家はなく、代わりに見えるのは斑に生える小振りな木々。森と呼ぶには些か見晴らしが良過ぎるものの、しかしレナリーと行商人の二人が身を隠すだけであれば、十分な障害物はある。


 レナリーと行商人は言葉を交わしながら、二人でアルメリアを見守っていた。


「まさか日が沈んだ直後に神雫シーダが降ってくるなんて……。ただの偶然だとは思いますが、神様の『待ってました!』、なんて声が聞こえてきそうですよ俺」


「私も驚きました……」


 と、レナリーもまた行商人と同じ困惑を感じ取る。しかし彼女には、それ以上に気になることが一つあった。


「……あの、少し聞きたいんですけど。ここまで眩しく輝くものなんですか?神雫シーダって。少なくとも私のときは、こんなではありませんでしたよ」


「明らかに普通ではないとは思いますが、どうですかね……?少なくとも毎回今みたいに光られたら、都会の夜は寝れたもんじゃないですし」


「確かに」


 アルメリアの身に何が起きたのかと気にはなるが、見るに行商人も状況を理解出来ていない様子。レナリーは行商人への追求は無駄だと判断して、その問いは一旦胸に留めると決めた。


 レナリーは己の『鑑定眼』により、アルメリアが得た神雫シーダの名が『哀哭鏡』であることと、その概要までは把握している。

 しかし神雫シーダ自体への鑑定には一定の制限が掛かる為に、その特異性が何処に存在するのかなどが一切分からなかったのだ。


 一旦の間を挟み、行商人は再び口を開く。


「いや、しかし。そもそも何故こんな所にあんな小さな女の子が?一応村の外ですよここ」


「この村は普段、魔獣が全く寄ってこないんですよ。特に北側は安全で、子供が遊び場にするくらいにはなってます。ただ今回に関して言えば完全に仇ですね。……まさかわざわざ人の手で魔獣が放り込まれるなんて、誰も想像しませんから」


「申し訳ありません……」


 ジト目を向けるレナリーと、返す言葉も見つからない様子の行商人。

 この場の悪を決めるなら、小鬼ゴブリンに続いてこの行商人が挙げられるのは間違いなかった。


 レナリーは冷や汗を垂らす行商人から目を離すと、再びアルメリアに視線を向ける。

 

「でも……アルがこの場に居たのは幸いですよ。アルならあの子のことも、絶対に助けてくれる筈です」


 そう話すレナリーの瞳には、信頼の色が浮かんでいた。


 そして二人の意識が再びアルメリアへ、といったタイミングで――


「どうも。いやぁ凄い光でしたねー」


――ぬっ、と。突然一人の男が、レナリーと行商人の間に入り込んだ。


 レナリーと行商人の二人は、ビクリと身体を震わせ咄嗟に声の主を見る。


「うぉ、ぉぉ……。だ、誰ですか貴方……警察呼びますよ」


 反射的にレナリーの口から漏れた第一声は、当然のこと警戒から来る言葉。


「そんな睨むなって。別に迷惑かけようって訳じゃない」


「は、はぁ?」


 そこに居たのは、藍色の短髪をツンと立たせた野性味溢れる男だった。暗がりのせいでハッキリとした容姿は見えないが、しかし会ったことのない人物だとは分かる。


「村の人、じゃないですね。何者ですか」


「ただの旅人。偶々えげつない光の神雫シーダを見かけて、ふらっと寄っただけ。そりゃ気になるだろ?あんなの滅多に見られるもんじゃねぇし」

 

 レナリーは目を細めて訝しげに男を睨むが、しかし男は意に介した様子もなく舌を回し続ける。


「ん、んん?あの燃えるのが今降ってきた神雫シーダか?……いいね、中々に派手だ」


 男は何やら勘違いしているようだとレナリーは気づくが、わざわざ訂正するほど親密でもない。行商人もまたレナリーの考えを読み取ってか、何かを話したりはしなかった。


「……っておい。よく見たらあの魔獣、ガキ捕まえてんじゃねぇか。彼処あそこの燃えてる奴は強いのか?助け呼びに行かなくて平気なのかよ」


「強いですよ、少なくともこの村では一番に。……応援はアルを追いかける最中に呼びましたが、きっとまだ掛かります」


「なるほど。なら、あの女のガキの命運は『アル』次第ってことだな。じゃあ頑張って貰わねぇと」


「あからさまに他人事って感じですね」


「俺は戦えないんだよ」


 男はそう言うと、右手を顎に添えて集中するようにアルメリアへと目を向けた。

 レナリーと行商人もまた、この不審な男にばかり気を取られている訳にもいかないと判断し、アルメリアを見守ることにする。


 男は一人ゆっくりと立ち上がると、小さく呟いた。

 

「……ははっ、いきなりお誂え向きな展開じゃねぇか。ガキ一人守れねぇんじゃ話にならないぞ。――さぁ見せてくれよ、英雄の素質」


 見定めるような瞳を浮かべつつ、楽しそうに口角を軽く上げるのだった。



 ……ところで、だが。


 この男は、一つ大切なことを忘れていた。


 それは彼が己の背後に、一匹の蝶を飛ばしっぱなしにしているということ。「霊蝶」と呼ばれる、配信に使われる生物だ。

 男は旅のさながら、暇つぶしに雑談配信を行っていたのだが、言ってしまえばなのである。


 男の姿は、無意識のままにも全世界へと送られていた。


【カッコつけてて草】

【「――さぁ見せてくれよ、英雄の素質」】

【はっずwwww】

【完全に切り忘れじゃん】

【それより横の女の子可愛くなかった?髪が栗毛色の子】

【分かる】


 そして今、指示を失った「霊蝶」の視線の先は、自動的に「最も目立つもの」――つまり、『羽織火』を纏うアルメリアへと向き直された。


 即ちアルメリアの姿もまた、全世界へと流されるのだ。






☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡






『哀哭鏡』


 それは悲哀を写す鏡である。

 苦しみ悲しみ恐怖に加え、果ては後悔すらも糧とするその様は、感情の蒐集箱に近い。


 感情の起伏が激しければ激しいほどに歓喜し、持ち主の意思に関わらず制限なく力を与える。一度起動し身体に馴染ませたが最後、その神雫シーダは永続的に働き続けるのだ。


「――『哀哭鏡』」


 アルメリアがその名を呟いた途端、彼の身体に変化が起きた。


 朱色の瞳は蒼色に。

 纏う焔に蒼炎が混じる。


 そして何よりも大きな変化として――


「……なんだ、これ」


――コロンの恐怖が、手に取るように分かるようになった。


 どうやら『哀哭鏡』が恐怖を能力値として変換する過程で、己の中にコロンの恐怖を写し出すらしい、とアルメリアは気づく。


 コロンの中で暴れる、トラウマになりかねない深刻な恐怖を知り、言いようもない焦燥感が生まれた。

 初めから一刻も早く助けなければと考えていたが、しかし実感を帯びることでそれ以上の焦りがアルメリアを襲う。


「すぐに助けるから……ッ!!」

 

 より必死に。本気を超えて。


「……限界まで、はやく」


 アルメリアは顔を伏せる。

 殺意が堪えきれぬこの表情を小鬼ゴブリンに見せて、警戒させるべきではないと思ったから。


 アルメリアは構えていた腕を下ろす。

 まるで全てを諦めたかのように――しかしてその真意は、初速を高める為の脱力にある。

 

 アルメリアは揺蕩う炎を抑えつける。

 空に消える無駄な熱を、全て脚に向ける為に。


「―――」

 

 元から敏捷には自信があった。

 他の何よりも、ひたすらに疾さを重視して修練を積んできたから。


 そうした理由は単純で、「一秒でも早く助けに行けるように」と思ったのが始まりだ。少しでも早く駆けつけて、少しでも早くその不安を消し去る為に、アルメリアは速度を重く見た。


「いやぁ、痛い……ッ!!」


 上から聞こえてくるその震え声に、目元が燃えるように熱くなる。勿論「文字通り燃えているから」、なんてそんな巫山戯た話じゃない。

 これは感情だ。怒りだ。共感だ。

 コロンの感じている恐怖を、アルメリアもまた『哀哭鏡』を通して感じ取っている。だからこそ、彼の怒りは一層加熱した。


 早く、速く、疾く。

 ただそれだけを求めた僕の選択は、少なくとも彼女を救う力になった。


 ほんの一瞬、小鬼ゴブリンの顔を睨み付け――


「コロンちゃんを、返せ」


――構えた。


 その姿勢はまるで猫人を思わせる程に柔らかい。膝を曲げ、腰を丸め、両の手のひらは左の腰に。


 それはまるで、腰に構えた見えない刃を引き抜くが如く。


「羽織火・抜炎――火刀」


 靡く前髪に、左目が隠れた。


 「抜炎」とはアルメリアが『羽織火』によって何かを形作るときに口にする単語であり、そして今、脳裏に描くのは火の刀。

 燃やし断ち切る為だけに生み出す、実体無き刃である。


 そしてアルメリアの重心が前へ寄り、地面を強く踏み込んだ瞬間。


――アルメリアの姿が、消えた。


 己の想像すらを遥かに超える速度に、アルメリアの瞳が動揺に染まる。『哀哭鏡』の効力が、予想の範囲に全く収まらなかったからだ。

 しかし、使いこなせるのか?なんて疑問を挟む余裕はない。使いこなさねば、コロンを救えないのだから。


 ともすれば瞬間移動にすら見える初速をもって、陽炎と共に雷の跡を残して進み、10mメルという距離を瞬きの間に塗り潰した。


 刃の輪郭が完成するよりも早く、空想の刃を構えた両手は動き出し、抜炎の構築と剣技の型は僅かなのズレもなく同時に進み――


「――シッッ!!」


 そして、霞む速度で振り上げた。


 遠距離攻撃を通して感じ取った小鬼ゴブリンの皮膚は、鋼を思わせるほどに硬かった。素のアルメリアであれば、例え寝込みを襲ったとしても致命傷を与えられない。


 『哀哭鏡』によってどの程度『羽織火』の火力が増しているかは、アルメリアにとっても完全に未知数。

 果たしてこの燃える刀は、小鬼ゴブリンの身体に通るのか否か。


 小鬼ゴブリンの肩口に触れた、その刃は――


「……ッ!?」


――一切の抵抗なく、振り抜かれた。


 まるで雪に切込みを入れるかのような軽さだった。

 目の前には巨大な切り口と、痛みを訴える小鬼ゴブリンの形相。


「通じる……ッ」


 止まらずに、そのまま刀を返す。伸びる極太の首へと、横薙ぎの一閃。

 その一刀は、より滑らかに繊維を斬り裂く。

 アルメリアは二連の斬撃にて、小鬼ゴブリンの身体を三つに分けた。


「普通の魔獣なら間違いなくこれで終わり、だけど」


 まだだ。


 この小鬼ゴブリンの場合、この後の攻撃が無くてはトドメにならない。何処かに現れるだろう、小鬼ゴブリンの本体を狙う必要があった。

 つまりもう一太刀は、確実に必要である。


 しかしアルメリアにとって、優先順位はコロンの安全が最優先。


「ふぇ!?」

 

 小鬼ゴブリンの偽の身体が光に消えて、コロンが宙に放り出されるのは分かっていた。だからまずは、その危機からの救出が必要だった。

 

「よっと」


 消える直前にある小鬼ゴブリンの身体を蹴りつけて空中を移動し、優しくコロンを抱き止める。


 そしてアルメリアはコロンの後頭部に優しく触れて、己の胸に押さえつけた。視界を隠し、耳を塞がせ、少女が恐怖を感じることなく地面へと連れゆく為である。


「で、本体は何処だ」


 なだらかな落下に身を任せながら、アルメリアは本体たる小鬼ゴブリンを探す。

 先は唐突な出来事であったせいで、本体が出現する場所など予想出来たものでは無かったが、しかし冷静になれば可能性は絞られる。


 『偽体』――その能力の内容は、文字通り偽の体を構成する部分が主である筈。しかしどういう訳か小鬼ゴブリンは、何かしらの手段で本体の姿を眩ませる。

 まさか『偽体』の副産物で、身体を透明化する能力を手に入れた、とは考えにくい。


 となれば可能性は二つ。


 「小鬼ゴブリンはもう一つの神雫を持っている」か、もしくは「偽物の体の中に本体を隠している」のどちらかだ。


 複数の神雫を所持すること自体珍しくはないが、しかしレナリーが小鬼ゴブリンの神雫について『鑑定眼』を用いた時点で可能性は薄い。

 小鬼ゴブリンが二つの神雫を持っていると気づいたにも関わらず、アルメリアに伝えない理由など存在しないから。


 後者が答えなのだとすれば、本体が姿を見せる場所など限られている。


「そこか」


 そして、『偽体』にて作り上げられた巨大な小鬼ゴブリンの肉体が消えた直後。

 巨大な右足の元あった場所に、アルメリアは小鬼ゴブリンの姿を見つけた。


 小鬼ゴブリンがゆっくりと、空を舞うアルメリアの姿を見上げる。悔しそうな、ともすれば怒りの混じったような表情だった。


「ごめんね。言葉が分かるなら、もしかすると僕らは仲良くできたのかもしれないけど……」


 アルメリアは、レナリーの言葉を思い出しながら小鬼ゴブリンにそう告げて。


「――コロンちゃん《この子》を泣かせた時点で、僕はお前を好きになれない」


 慣性のままに、本体ゴブリンの頭蓋を切り分けた。

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