第3話 哀哭を写す鏡


 アルメリア、という少年は温厚である。


 例え殴られ馬鹿にされ、貶され奪われ、そして嘲笑われようとも、己の不遇を理由に激情に染まることは有り得ない。


「はぁっ……や、やっと追いつきましたよアル……っ!」


「冷静に考えれば、わざわざ俺たちまで追いかけなくて良かった気もしますが……」


 アルメリアは怒らないと、全ての村人は知っている。

 アルメリアの温厚さを、あらゆる知人は知っている。


 事実その認識に誤りなどは存在せず、アルメリアとは温和な少年だった。


――だが、例外はある。


「アル!どうしたんですアル!何をボケっと突っ立っているのですか!?さっさと小鬼ゴブリンを倒しちゃってくださ――…………あ、これダメです。聞こえてないです」


「え、どういうことですか?」


 アルメリアの羽織る炎が、強く昂っていた。


「……そういえば、泣いてる人を見るのは大っ嫌いでしたね。アル」






☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡





 二度目の巨大化でも、サイズ自体は一度目と変わらない。しかしその容姿は遥かに不気味になっていた。


 一度目の巨大化がただ単純なサイズ変化だとすれば、二度目のそれは変身という表現が近い。


 植物の蔦が体毛のように全身の皮膚から生えて、それが奴の身体を鎧のように覆っているのだ。防御力は高まっているのかもしれないが、僕にはその姿が自然な進化によって辿り着く姿だとは思えなかった。


 端的に言えば、生物としていびつ


 蔦の根元に当たる皮膚は、まるで生命力を吸い取られたかのように枯れ果てて、その部位だけ腐った死体のように見えた。


「……シッ!!」


 僕は、炎の刃を小鬼ゴブリンの首元へと飛ばす。

 『羽織火』で象ったそれは、先程までの奴であれば一撃で斬り伏せられる威力はあった筈だ。


「ギャッ、ギャッ……?」


 しかし、無傷。

 小鬼ゴブリンは何かしたのか?、とばかりに首を傾げるのみ。


「……くそっ」


――間違いない。今の姿になったコイツは、僕よりも強い。


 醜悪な見た目に比例して、此方へと叩き付けるオーラの濃度が桁違いに跳ね上がったのが分かる。

 先までは手加減をしていたのか、今の小鬼ゴブリンは僕一人の手に負える範囲を超えていた。


「ギ、ギ!!」

 

 変貌した小鬼ゴブリンは、僕の方を向きながら憎たらしい笑みを浮かべる。その面を見て、奴は初めから逃げ出す気など無かったのだと僕は悟った。


 奴は左手に握り締めたコロンちゃんを僕に見せつけて、まるで此方に「動くなよ」と脅しを掛けるようにしつつ、僕との距離を徐々に狭めてくる。


 人質など用いずとも、僕程度の相手であれば容易く倒せるだろうに、それでもコロンちゃんを捕まえたのは知性があるからこそなのか。

 念には念をなんて行為を全ての魔獣が始めたら、人間なんてとっくに滅ぶ。


 現実的に考えて、絶望的なこの状況。


 助けを呼ぶのが正解か?

 一度撤退するのが正解か?


 数多の選択肢の僕の脳裏を過ぎる、が。


「いやぁっ!助けて……、アルメリアお兄さん……っ!」


――否。この場を諦めるなど有り得ない。


 合理やら先を見据えて考えるのなら、正しい行為は他にあるのだろう。


 でも、イラつくのだ。悲しくなるのだ。

 泣いている人の姿は、僕の心に無数の波を作り出し――そして一秒でも早く救えと、本能が騒ぎ立てるのだ。


「……考えるべきはただ一つ」


 今この瞬間に、コロンちゃんを救い出す方法を。

 それ以外の手段は選択肢にない。



――昔、とある女性の配信を見た。


 仮面で顔を隠しており、どんな容姿かも分からなかったが、ただそれでも立ち振る舞いの端々に「凛々しい」と感じたのを覚えている。


『この騒動の原因は、ここに居る君たちで間違いないね?』


 魔族の集団に捕らえられた少女を、救い出す為に動いた一人の女性が主人公。


 その配信は現在進行形で起こりつつある出来事を映している為、この先に何が起こるかは誰にも分からない。しかし僕の周りの大人達は皆、信頼と期待に満ちた瞳でその女性の映像を見つめていた。


 魔族の集団の奥には泣きじゃくる少女が、母親の名前を呟きながら地面を濡らす。


『……その子を今すぐに返して欲しい』


 静かな怒りと、それを抑え込まんとする理性の狭間に彼女はいた。

 恐らくは滅多に感情を見せるタイプでは無いのだろう。内に生まれたその激情に対して、不意の動揺すら混じっているように思えた。


『――!――――ッ!!』


『……そっか。分かってはいたけどね』


――そして当然、その要求に答えられることはなく、彼女は魔族たちとの戦闘に入る。


 彼女の強さは圧倒的だった。

 十を超えていた魔族の数を相手に、一切の受け身に回ることなく蹂躙してみせたのだ。


 その映像を見る周囲の皆はその強さに感動し、感嘆の声を上げ、そして賞賛の言葉を述べた。

 勿論、僕も同じだ。強く気高く美しい彼女の姿に、僕もまた心を奪われたの間違いない。


 でも、それ以上に。


『泣かないで。……君が泣くと、私も悲しい』

 

 幼い少女を抱き締めながら、優しく告げられたその言葉に、僕は目を見開いた。誰かの涙に心を痛めるその在り方に、僕は胸を熱くしたのだ。


 僕は彼女という英雄に憧れ、そして彼女のような英雄になりたいと思った。


「泣いてる女の子に手すら差し伸べられないで、何が英雄だ……!」


 それが僕の願い。それが一番の「なりたい自分」なのだ。


 死に物狂いで助け出せ。

 死に物狂いで足りないのなら、死んで助けろ。


 沈みかけていた夕日が完全に姿を隠し、辺りが暗闇に包まれた。僕らを照らすのは、僅かに届く家屋からの光と、空から降り注ぐ星明かりだけとなる。


 『羽織火』が爛々と燃えている為に、幸い視界にそこまでの支障はないが、しかし周囲に暗がりが落ちることによって僕の『羽織火』は一層目立って見えた。


「……これしかない」


 僕は小鬼ゴブリンの指を斬り落とすことだけに、全霊力を注ぎ込むと決める。コロンちゃんを逃がす為だ。


 上手く行こうが行かなかろうが、そのあと僕は身動きが取れずに殺されるだろう。しかし今の僕ではそれが限界。


 一瞬。一撃。

 可能性はそこにしかない。


 僕は『羽織火』の出力を限界まで高め、姿勢を前傾に――


 「……?」 


――と、したタイミングで。


 ふと目の前の小鬼ゴブリンが僕から視線を外し、真っ直ぐ空へと直角に首を持ち上げた。


 それは戦闘の最中では考えにくい行為。

 僕の中に浮かぶのは、何かの罠か、という疑惑だった。


 だが小鬼の表情は、嘘だとは思えないほど驚きに染められていて――もしそれが演技なら、そういう神雫シーダを持っていると言われても信じられる。


「……空?」


 僕は小鬼への警戒を切らさぬように、恐る恐るその視線の先を辿ることにする。


 すると、そこにあったのは。


「……隕石?」


 いや、違う。

 石というよりも、光そのものだ。


 僕はそのあまりの眩さに、日が登り直したのかと錯覚した。

 空から降る光、として思い当たるのはただ一つ。


――神雫シーダ


 あぁそうか、と思い出したのは「今日の夜、僕は神雫を授かる」ということだった。


 まるで流れ星が直接落ちてきたかのような輝度。

 視界を白で塗りつぶすかのような暴力的な光。


 託宣の瞬間、空から光に照らされるのは皆同じであるが、しかしここまで巨大なものは見たことがなかった。

 周囲が闇に満ちているから目立つだけなのか、それとも光にそのものの質が馬鹿げているのか――もしくはその両方か。


「……っ!!!」


 つい、強く目を閉じた。

 周囲が光に満ち満ちて、僕の視界が失われる。


 直後、僕の中に何かが入り込んでくるのが分かった。

 質量ある光と表現するのが正しいような、何故か心地良いそれは、僕を包んでゆっくりと染み渡っていく。


 突然の出来事に驚かされるが、間違いなく身体の中で神雫シーダは生まれつつあった。

 芽吹くように、徐々に馴染んでいく。不快な感覚は全く無くて、抵抗をする必要はないのだと直感で理解した。


「……」


 光が、収まった。


 僕は小鬼ゴブリンに目を向けながら、授けられた神雫シーダの正体を急いで探る。

 神頼みなんて僕の性ではないが、しかし降ってきた幸運を投げ捨てるような殊勝な考えなども持ち合わせていない。


――どうかあの子コロンちゃんを助けられる力を。


「頼む……ッ!」


 祈りながら、神雫シーダの把握するべく内側へと意識を向ける。


 僕の身体に新たに流れた、神の雫の正体は――


「……哀哭あいこくきょう


 聞いたことの無い神雫シーダだった。


『哀哭鏡』――《守護対象の負感情に応じて、自身の全能力が向上する。自身の能力値と対象の負感情値は共鳴し合い、また涙の生成で補正倍率超増加》


「……?」


 想像していたよりも複雑な説明に僕は理解が遅れるが、一呼吸置いて噛み砕いていく。


「つまり、それって」


 僕が守りたいと思う人が涙を流すと、僕は強くなる。そしてその悲しみが深ければ深いほどその効果は増加する、と。


「……はっ、何それ。随分と今の状況にピッタリなのが来たね」


 不愉快なことに、発動の条件は揃っている。

 コロンちゃんという守りたい相手の存在に、彼女が感じているだろう恐怖という名の負感情。そして溢れ出す涙。


「……泣かせてからじゃ、手遅れだろうに」


 ハッキリ言おう。

 僕はこの神雫シーダは嫌いだ。

 大事な人が苦しんでから発動する能力なんて巫山戯てる。


 僕が英雄を目指す理由は、泣いてる人を見たくないからだ。誰も泣かなくて済むように、僕は強くなりたいと思ったのだ。

 遅すぎるだろ。なんで泣いてからなんだよ。


「……不愉快だ」


 まるでコロンちゃんの感じている恐怖を利用しているような気分になったから。


 当然、使わないなんて道はない。

 使わなければ、コロンちゃんを救えない。


「こんな神雫シーダ、二度とは使わないからな……っ」


 割り切る。

 第一優先は、一秒でも早くコロンちゃんを助け出すことだ。


 僕は、手に入れたばかりの神雫シーダの名を呟く。


「――『哀哭鏡』」

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