第2話 大きな小鬼


――とんでもなく巨大化しつつある、小鬼ゴブリンがいた。


「ア、アル!?これヤバいのでは!?こんなの倒せるんですか!?」


「え、分かんない……。だってめっちゃデカいもん……」


「男のクセに情けないこと言わないでくださいよ!!」


 そんなこと言われても巨大な小鬼ゴブリンなんて見たことないし、何もかもが未知数な相手に対して勝利宣言なんて無責任なこと出来ません。


 口をあわあわと震わせながら焦るレナを後目に、僕は冷静に小鬼ゴブリンの様子を伺っていた。


 縦に10mメナ――いや15mメナはあるか。

 小鬼ゴブリンの巨大化が止まったときには、僕は小鬼ゴブリンが落とす影に完全に飲み込まれ、そして空を見上げるかのような格好になっていた。


 丈は僕の住む家よりも遥かに大きく、小鬼ゴブリンから放たれる威圧はその巨躯に比例する。

 こんなの一時撤退が正解な気もするが、しかしレナを背に立たせた状態で逃げ出す訳にもいかないのが現実。

 僕は奴を見つめる瞳をゆっくりと細め、そして小鬼ゴブリンの動きに意識を張り巡らせた。


 冷静に考えて、戦闘は不可避。


「ちゃんと離れててよ、レナ」


 僕は全身に力を力を篭める。すると身体に霊力が行き渡り、ほんの少しだけ体温が上がるような感覚を覚えた。


 それは、神雫が発動する直前の兆候。

 僕はその名を、明瞭に叫ぶ。


「――『羽織火ハオリビ』!!」


 僕の宣言と同時に、己の身体の輪郭が消えた。


 これは「火」の持つ特性の一部を、四肢に馴染ませる能力だ。身体そのものを火に変える訳では無いが、同じようなことは大体出来る。


「ギッ、ガァ!!」


 耳障りな声と共に、小鬼ゴブリンの超巨大な拳が振り上げられた。

 すると地面に横たわる小鬼ゴブリンの影が形を変えて、同時に日の光が僕の視界を明るく照らし――そして同時に、その拳が僕へと襲いかかった。


「―――」


 此方に向け一直線に突き進む拳に対して、僕は


 紙一重ではない。

 それ以上。


 僕の身体と小鬼ゴブリンの拳は、僅かに重なり混じっていた。

 しかし、


 火は、揺らぐ。

 それは炎だけに許された、最小限を超える無駄を捨てた回避行動だった。


「ガギャ!?」


 小鬼ゴブリンは驚いたような声を洩らすが、知ったことではない。

 重要なのは僕のすぐ真横の地面に、伸びきって無防備な小鬼ゴブリンの腕が突き刺さっているという事実だけ。


「喰らえ……っ」


 僕は身体に纏う炎を操り、指先へと熱を集める。

 右手の中指一本が、超高温の武器へと変わった。


 僕はその右手で小鬼ゴブリンの鳩尾に触れ、そして掬い上げるように――


「――羽織火・辿り爪ッ!!!」


 思い切り、腕を振り上げた。

 すると弧を描くように爆炎が駆け抜け、大気を焦がす。

 

「……ギャャ?」


 小鬼ゴブリンの不思議そうにする声が聞こえてくる。

 何かの焦げる臭いにでも気付いたのか、それとも己が焼けていることに気付いたのか。


 小鬼ゴブリンの上半身――鳩尾より上だけが、縦に割れていた。


 その断面は溶けた金属を思い出させるほどに、粘液を持って地面へ垂れていく。頭部も含めて真っ二つに裂け、重量に従いゆっくりと左右に割れるつつあるのが見えた。


 決着。


 この状態から動き出すのであれば、それは小鬼ゴブリン云々以前に生物かどうかも怪しい話になってくる。


 僕はふぅと息を吐いた。

 攻防と呼んでいいのか分からない程に一瞬の戦闘ではあったが、一応は命を賭けていた訳であり雑には挑めない。

 

 張っていた気を徐々に緩めて、僕は地面に着地した。


 そして既に事切れただろう小鬼ゴブリンに対して、改めて視線を向け――


「ッ!?なんで!?こいつ身体が消えて……!?」


――しかし分断された身体を光に変えていく小鬼ゴブリンを見て、僕は驚かされることになった。


 死体が消えるなんて現象など、見たことも聞いたこともない。僕は先が読めぬまま、その小鬼ゴブリンの変化を呆然と見つめる。


「ギッ」


「え?」


 気がつくと、巨大な小鬼ゴブリンが元いた場所の真下に、通常サイズの小鬼ゴブリンが立っていた。



 …………???



「……?」


「……ギ」


 僕らは無言で見つめ合う。

 なんだよこの間は。


 どうして無言でこっち見てるの?なんで生きてんの?身体割れたよね?明らかに死んでたよね?、と疑問が渦巻く。


 風が吹き、僕の纏う『羽織火ハオリビ』の炎が靡いているのが分かった。

 そんな僕に対して、レナが大声で話しかける。


「アル!『鑑定眼』で調べてみたんですけど、その小鬼ゴブリン偽体ギタイ』とかいう何やら凄そうな神雫シーダ持ってます!恐らくさっき倒したのは偽物の体――きっと幻か何かですよ!」


「幻!?間違いなく焼き切った感触あったよ!」


「実体のある幻なんじゃないですか?」


「もうズルじゃん」


 僕はやるせなさを感じながらもレナの言葉に頷き、再び小鬼ゴブリンへと両手を構えた。


 神雫シーダによって引き起こされるあらゆる事象は、どんな摩訶不思議な出来事だろうとなんらおかしくない。

 僕は再び気を引き締めて、小鬼ゴブリンとの戦いの続きへと集中をする――が、しかし。


「って小鬼ゴブリン逃げた!!」


「ああっ!」


 一目散とはこのことか。

 奴は僕に敵わないと悟ったのか、迷わず逃げ出す判断を降したのだ。


「……と、つい流れで悲鳴を上げてしまいましたけど、別に逃がして良いのでは?無事に切り抜けられただけでも万々歳な気がしますよ」


「いやいや、この村の人が襲われたら困るよ!みんな平気な顔して村の外歩くし!」


 良くも悪くもこの村は安全過ぎる。魔獣がほとんど現れないこの村では、誰も警戒しないのだ。

 武器も持たずに出歩くのが日常である僕らにとっては、一匹の小鬼ゴブリンですら脅威だと言えた。


 会話が通じるのなら或いはとも思うが、なんにせよこのまま逃がしていい筈がない。僕は小鬼ゴブリンの後を全力で追いかける。

 幸い小鬼ゴブリン進行方向は村の外へ向いていたが、とはいえ一刻も早い対処が必要になるのは間違いなかった。


「大丈夫、追いつける。僕の方が全然速い……ッ!」


 僕は己の身体に出来る限り「火の特性」を付与し、軽さという恩恵を得られるだけ得る。

 背後から迫る追い風に身を乗せて、僕は空気を焦がしながら小鬼ゴブリンとの距離を詰めていった。


 しかし。


「――ッ!!」

 

 僕は小鬼ゴブリンが立ち止まるのに合わせて、同時に足を止めることになる。


「グ、ケケッ」


 下卑た笑い。

 再び巨大化した小鬼ゴブリン


――その手には、小さな少女が握られていた。


「……え?ぁ、……え?」


 恐怖に震えて、何の抵抗も出来ずにいる無力な女の子。

 きっと状況すら掴めていないのだろう。


 覚えている。僕の家とは少し離れた、村の反対側に暮らすコロンという名の幼い少女だ。


 これで形勢逆転、なんて考えていそうな下衆な表情の小鬼ゴブリンを見て、僕の頭が冷えていくのが分かった。

 

「お前、それは。それはダメだ。……笑えない」


 少女の綺麗な瞳から、涙が溢れるのが見えた。

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