番外編 南郷剛13
「――――――――ッ!!」
馬乗りになっていたのは、顔を血で汚した狂人。
口を何度も開閉させては、歯をカチカチ噛もうとする仕草。鼻息荒い狂人の顔は、間近に迫っていた。
こちらとしても、好き勝手させるわけにはいかない!
間近に迫る狂人の顔を、額を押し返して退ける。
そのまま体勢を入れ替えて、立場を逆転。即座に立ち上がり、続く狂人の腕を掴み後ろ向きに。腹を壁に押し付け、頭も掴んで固定。とりあえずは、完全に動きを封じた。
「モジャ先生っ!! 大丈夫!?」
一部始終を見ていた一ノ瀬は、心配そうに問う。
「ああ。なんとか。それより一ノ瀬。あそこの窓を開けてくれないか?」
背後にある窓へ視線を飛ばし、開放を注文。
「開けたよっ!」
理由も問わず一ノ瀬は即座に動き、背後の窓は開放された。
「よし。二人とも、離れていろよ」
近くにいる一ノ瀬と葛西に、寄らぬよう注意喚起。
「では、行くぞ」
覚悟を決めて、己を鼓舞。左手は狂人の腕を掴んだまま、右手は頭から首へ。そのまま体勢を入れ替え、狂人を窓際へと追い込む。
チャンスは一度だ。
「ふんっ!」
狂人の隙を突いて、両足へ手を回す。
そのまま両足を持ち抱えると、狂人を窓の外へ放り出した。
「田北君は大丈夫か!?」
落ちていった狂人には目もくれず、田北君の状況を問う。
「カンッ! カンッ!」
必死にフライパンを振るい、抵抗を続ける田北君。狂人にヘルメットを掴まれ、どうやら逃げ出せずにいるようだ。
「待っていろっ! 田北君っ!」
「先生! 助けっ――――」
即座に助けへ向かい、手を伸ばす田北君。
しかし到着する前に、田北君の口は塞がれた。そう、汚れた狂人の手によって。
「んぐぅううう――――ッ!!」
間髪入れず狂人は肩に噛みつき、田北君の悲痛な悲鳴が響く。
押し倒される田北君。集ってくる狂人。目を疑いたくなる凶行は、衣服の上からでもお構いなしだった。
……なんてことだ。すぐに引き離さなくてはっ!
「先生っ!!」
救出に向かうべく一歩を踏み出したとき、大きな声で訴えたのは葛西。
……挟み撃ちとは。私の体は、一つしかないんだぞ。
進行方向としていた階段側からも、狂人と思わしき人物が迫っていた。
前後からの挟み撃ち。まさに最悪の状況である。
一体を引き離すのも、大変だったのに。四体とは。
さらに挟まれた状況。本当に私たちは、逃げ切れるのか。
絶望的な状況に、悲観的な展望。田北君を助けようにも、周囲には四体の狂人。
加えて田北君は、噛まれてしまった。噛まれた者が、どういう結末を迎えるか。昨日の伊東君からも、容易に想像できる話だった。
田北君が伊東君と同じよう、狂人化するならば。今度は私や生徒たちを、襲う可能性がある。
頭の中を冷静に、状況の分析を行う。目の前には田北君がいて、狂人に襲われている。
しかしそれでも、救出に着手できず。先の展望を理由に、もう助け出せない。助け出しても、意味がない。すでに諦めの心境であった。
「すまない。田北君」
見捨てる正当性を探す、自身にとても嫌気。
しかしそれでも、一ノ瀬と葛西。二人の女子生徒を、守らなくてはならなかった。
「……行こう。二人とも」
襲われた際に落とした木の棒を拾い、二人に先へ進む意志を示す。
「……先生。田北君は?」
救出に向かわぬため、疑問を抱く葛西。
「そうだよっ! 田北君を助けないとっ!」
対する一ノ瀬は、救出に前向きだった。
私だって、助けたいに決まっている。
だが、しかし――。
「田北君は、……助けられない」
「助けられないってどういうことっ!? 早くしないと田北君がっ!!」
頑なに救出すべきと、迫る一ノ瀬。納得させなければ、テコでも動きそうになかった。
「さっきは上手く、対処をできたが。田北君を囲んでいるのは、四体だ。さらに今は、前後を挟まれている。時間的な余裕もないし。そもそも狂人を複数相手にするのは、物理的にも……不可能なんだ」
己が力の足りなさに、唇を噛み締め告げる。
どう考えても、全員が助かる道はない。迫る狂人を相手に、対抗手段など限られていた。
「他に手は、ないんですよね?」
助ける手段はないかと、確認するよう言う葛西。
「私には、思いつかない」
「……わかりました。彩加。顔を上げて」
答えを聞いて葛西は、下を向く一ノ瀬を促した。
田北君を見捨てる決断。誰もが容易に、承服できぬもの。それでも打つ手なく、苦渋の決断だった。
「嫌だっ! 死にたくないっ! やめろっ! 離せっ! 離せ――――ッ!!」
階段へ向かい廊下を走る中、後方で田北君の叫びが聞こえた。
それは凄絶に尽くし難く、長く耳に残るもの。そしてその声は、絶命するまで止むことはなかった。
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