番外編 南郷剛10
「はいっ! モジャ先生!」
一ノ瀬からプラスチックボトルを受け取り、引き戸を開けて廊下を確認。
教頭。やはり、まだ近くにいたのか。
廊下前方の離れた所には、徘徊する教頭の姿があった。
実験とはプラスチックボトルを投げ、音を立てて注意を引く作戦。背を向け歩く教頭に、気づいている素振りはない。となれば今は試すに、絶好のタイミングといえるだろう。
落とす位置は、教頭の前方。
プラスチックボトルには、錠剤が多く入っている。そのため転がせば、コロコロと音を鳴らす道理。
教頭より後ろに落とせば、再び寄ってくる可能性がある。実験を上手く成功させるには、確実に前方へ落とさなくてはならない。
よしっ! ここだっ!
教頭の動きを読んではタイミングを計り、好機と判断してプラスチックボトルを投げる。
クルクルと回転しながら宙を舞い、綺麗な放物線を描くプラスチックボトル。その軌道に違和感を覚えたのは、投げてから間もなくのことだった。
あれれ? おかしいんじゃない?
教頭の前方に狙いを定め、投じたプラスチックボトル。
しかしプラスチックボトルは予想に反し、教頭の頭を目指し飛んでいた。それはもう、確実。誰がどう見ても、まさに百点の軌道。
汗で手が滑った。緊張して力んだ。
言い訳ばかりが、頭を過ぎる。
しかし目の前にある現実は、変えられない。プラスチックボトルは教頭の後頭部に命中し、床に捨てられた鞄の上に落下した。
やってしまった。もう、実験どころではない。気づかれて、向かってくるはずだ。
最悪の状況に、最悪を想定。瞬時に頭を切り替え、動けるよう意識を覚醒させる。
当たった……はずだよな?
しかしプラスチックボトルが当たっても、教頭に特段の変化はなかった。
振り向きもせず。怒りもせず。リアクションもせず。今の出来事はなかったかのよう、無口に廊下を徘徊するだけ。
「一ノ瀬。もう一つボトルをくれるか?」
「はいっ!」
プラスチックボトルを注文し、応えて手渡す一ノ瀬。
となれば意を決し、再び実験を継続させる。教頭の前方に狙いを定め、プラスチックボトルを投擲。
「カラカラカラッ」
プラスチックボトルは教頭の前方に落ち、中の錠剤を回し転がっていく。
今まではゆっくりと、当てなく徘徊していた教頭。明らかに反応した様子で、廊下の角を曲がり消えていった。
人を標的とするのだと、思っていたのだが。そうと言うわけでも、ないようだ。
伊東君を襲った、狂人を見たとき。我々を標的と定め、狙っているのだと思っていた。
しかしプラスチックボトルを追い、廊下に消えていった教頭。それはもう当初の考えと、相違する点があった。
しかしプラスチックボトルが当たっても、リアクションなしとは。
これはもう、痛覚がない可能性。伊東君が殴っても離さなかった理由は、ここにあるのかもしれない。
「先生。どうでしたか?」
教頭の動向から狂人について考察していると、実験結果を気にして問うのは田北君。
「ああ。とりあえずは、上手く行ったよ」
当初の計画とは異なるものの、予想以上に得た報酬は大きい。
しかし教頭の頭にぶつけたのは、ミス以外の何ものでもない。それは間違いなく二人に、想定以上のリスクを背負わせたことだろう。
本当。ごめんね。経緯と結果は、あとできちんと話します。
***
「先生。伊東君。大丈夫ですよね?」
「ああ。大丈夫さ。薬も飲んで処置もしたし。時期に良くなるはずだ」
不安そうに見つめる葛西に、一通りの処置を終えて応える。
無事に生徒会室へ戻っては、伊東君に薬を飲ませ怪我の処置。そしてようやく、一息つける状況となった。
「先生。これから、どうするつもりですか? このままずっと学校に、というわけにもいかないですよね?」
先行きが見通せないとなっては、田北君は食い気味に問う。
「もちろん。それはそうだが。しかし、伊東君がこんな状態ではね」
調子を崩した伊東君は、教室の隅で眠っている。
「それに、もう時期。日が暮れる。伊東君は眠っているし。暗くなってから動くのは危ない。留まるのも選択だと思うのだが。みんなの意見を聞かせてくれないか?」
窓から差し込む日差しは弱く、太陽はすでに西の彼方へ沈み始めた。
あと数時間も経たずに、暗闇が支配する世界となるだろう。狂人が徘徊する校内を、軽々に移動するのは得策に思えなかった。
「留まるわけですか。本望ではありませんけど。仕方ないかもしれませんね」
悩んでいる様子を見せつつも、田北君は生徒会室に留まることを了承した。
「もう嫌だよ。早く家に帰りたい」
葛西は顔を伏せ、弱音を吐いていた。
外に出てからも辛抱が続くが、我慢してもらう他ない。
自由に帰宅を促すことは、もちろん可能である。
しかし校内には、徘徊する狂人。それに街の状況も、全く不透明。ここで勝手を許すのは無責任に思え、とても許容できるものではなかった。
やはり、停電しているのか。電気は点かないようだ。
暗くなり明かりを点けようと試みるも、電源スイッチを押しても無反応。
窓の外から見える民家にも、明かりは点いていない。どうやら街は全体的に、停電しているようだった。
食料に加えランタンを持ってきたのは、どうやら正解だったようだね。
ランタンに明かりを灯すと、ぼんやりとした光に包まれる生徒会室。
加えて夜になり、差し込む月明かり。こんなときでも夜空を眺めると、星々の輝きに少し気持ちは安らいだ。
しかし伊東君の調子は、全く良くならないな。
備蓄倉庫で過ごした、二週間。馴れない環境に疲労が積もり、風邪を引いたのだろう。そう思っていた。
しかし飲ませた薬の効果は、まだ反映されていない様子。伊東君は体をガタガタと震わせ、快方へ向かっている気配はない。
三十五度!?
熱があったはずなのに。逆に低くなっている。これは、風邪ではないのか?
体温を測定し疑問を抱くも、自身は医者にあらず。症状から病名を特定することは、当然に叶わない。
素人にできることと言えば、その場を凌ぐ対処療法のみ。寒がる伊東君に対し上着を掛け、救急箱にあったカイロを貼る。他にできることは何もなく、不安に包まれた夜は過ぎていった。
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