第一章 終わりの始まり

第1話 最後の平穏

 二週間前。それはなんの特別なこともなく、平穏でありふれた日常的な日だった。


「お兄ちゃん起きてー! ハルノちゃんが迎えにきているよー!」


 階段下から響く声。気持ち良く夢の世界にあった意識は、有無を言わさず現実世界に呼び戻された。


 もう……そんな時間なのかよ。昨日は少し……夜更かしをしちまったから。まだ寝たいところだったのに。 

 でもハルノが来たなら……起きないわけにもいかないか。


 などと考えながらも、なかなか布団から出られず。最後まで悪あがきをしていると、起きてこないことに業を煮やしてか。階段を上る、力強い足音。


「バタンッ!」


 勢いよく開かれた部屋の扉。入室してきたのは、頬を膨らませた彩加あやかだった。

 怒っているとあからさまにアピールをされては、さすがに二度寝をするわけにもいかず。起床することにし、諦めベッドに座り込む。


「おは……よう」

「おっはよー! って、日曜日で休みだからってダラダラし過ぎっ! ハルノちゃんが下で待ってるよっ!」


 元気に手を挙げ挨拶を返したのは、これから部活に向かうのであろう。白ベースに赤いラインが入ったジャージ姿の彩加。

 細身で小柄ながらも部活ではテニスを行っており、なかなかの成績を残していると言う。茶色味あるセミショートの髪に、黄色のカチューシャ。すでに外出の身支度は終えているようだ。


「あたしも部活だし! ハルノちゃんも待っているんだから! 早く着替えて下りてきてよねっ!」


 無邪気に八重歯を覗かせた彩加は、早く来いと催促をして出ていった。


 にしても、嵐みたいな奴だったな。


 今日は同級生で幼馴染のハルノと、友人である啓太と三人。札幌へ参考書を買いに行く予定。家が近所であるハルノとは一緒に向かい、駅が異なる啓太とは十二時頃に札幌駅で集合と約束をしていた。

 完璧に諦めてベッドから立ち上がると、机の上にあるスマートフォンに手を伸ばす。時刻を確認すると――九時三十分。約束の時間までは、二時間以上もの余裕があった。


 身支度や移動時間から考えても、そこまで時間はかからないだろ。少なくともあと三十分は、寝ていても良かったはずだ。

 それにハルノが来る約束の時間は、十時半だったはずなのに。


 少し損をしたという気持ちを抱えつつも、催促されては準備をしないわけにもいかない。

 クローゼットから白のカッターシャツに、紺色のカーディガン。ベージュ色のパンツとラフな格好に着替え、リビングへ向かう。

 

「……シス社テロ事件から今日で約一年半の月日が――――」


 欠伸を漏らしながら一階に下りると、扉の隙間から聞こえてくるアナウンサーの声。

 リビングに置かれるテレビにはニュースが映し出され、ソファに座るハルノと彩加は談笑中な様子。


「約束は十時半だったよな?」

「あっ! 電源OFF!」


 背後から声をかけると、AIスピーカーに指示を飛ばすハルノ。テレビの画面が真っ黒になると、悪びれる様子もなく笑顔を浮かべた。


「少し早いかなと思ったけど。目が覚めちゃったから。早めにきて見たのよ」


 オレンジ色に近い髪を高い位置で結んでポニーテールにし、校内においてその外見は美少女と称されている朝日奈あさひなハルノ。母親が日本人で、父親が外国人とハーフ。透き通るような、翠色の瞳が特徴的。

 顔立ちにハーフの要素を感じるも、どちらかと言えば日本人より。どうやら母親の影響を、強く受けたようだ。今日はオレンジのブラウスに、白のハーフパンツを着用している。


 まぁ、急な要件なんてないだろうし。そんな感じだとは思っていたけどな。


「準備をするから。少し待ってろよ」


 突拍子のない発言は、度々あるのでもはや諦め。


「了解♪」


 返事をしたハルノは、彩加との会話に戻った。


「ねぇ。お兄ちゃん。そういえばお父さんから、ハルノちゃんに渡しておいて。って、言われていた物があったよね?」


 リビングの右手にあるキッチンでコップに水を注いでいると、会話を中断し歩み寄ってくる彩加。


「あー。そういえば、そんなことを言ってたかもな」

「ならお父さんの部屋にあるよね! 取ってくるね!」


 うろ覚えながらも言葉を返すと、彩加は疾風の如くリビングから姿を消した。

 ほどなくして再登場した彩加は、野球のバットケースと同程度の縦長袋を持っている。


「これ! ハルノちゃんにだって! お父さんにもメールで確認したから。間違いないよ!」


 いつの間にか確認をも済ませていた彩加。どこか誇らしげに言うと、迷いなくハルノに手渡した。


「何が入っているんだよ? それ?」


 水を一気に飲み干し、興味本位の問い。


「えーっと。私もパパに受け取っておいて。って、言われているだけだから。特に何かは聞いてないのよ」

「ふぅーん。そうなのか」


 天井を見上げては視線を泳がせ、どこか挙動不審にも思えるハルノの答え。しかしこのときは差して中身に興味もなく、これ以上の追及はしなかった。


「あっ! もう自主練の時間だから先に行くね! それに仲の良いお二人の……邪魔をしても悪いもの」


 慌ててリュックを背負い、リビングを去ろうとする彩加。閉まりかけた扉の隙間から、どこか含みのありそうな悪戯顔を見せている。


「ちょっと彩加ちゃん!!」


 顔を赤くして立ち上がるハルノ。


「行ってきまーす!!」


 即座に彩加は一言を残し、家から飛び出して行った。

 彩加という嵐が去ってからは、妙な空気となり沈黙。なぜだか少し、居心地が悪くなった気がする。


「俺も準備してくるよ」

「うん。わかった」


 身支度が必要なので告げると、ハルノはスマートフォンの操作を始めた。

 その表情は今までと変わり、どこか真剣そうである。しかし今は気にせず、洗面所へ向かった。


「今日もダメだな。毎日のことだけど、どうやったらこれは直るんだよ」


 顔を洗って鏡を見つめると、いつも通りの自分が映る。地毛だが僅かに茶色味ある黒の短髪。身長は高校生の平均よりも高い。顔立ちに関しては、『年の割に童顔だ』とよく言われる。

 顔立ちに関しては気にしておらず、『そうなのか』と思う程度。それより気にしているのは、髪をセットしてもトップが一ヶ所。跳ねてしまうことが悩みだ。あの手この手といろいろ試してみたが効果はなく、今ではこのアンテナもトレードマークとして扱われるようになってしまった。


「一応は準備できたぜ」

「じゃあ行きましょうか!」


 ソファから立ち上がったハルノは、袋を肩に掛け玄関に向っていく。結局のところ家を出たのは、約束をしていた時間と大差ないものになっていた。

 外に出ると日差しがサンサンと降り注ぎ、空を見上げれば手をかざさずにいられない状況。そんな空は雲一つなく快晴。暑くもなく寒くもない気温もあって、まさにお出かけ日和というにふさわしい天候だった。



 ***



 ここ岩見沢は平地に広がる田畑と標高の高い野山に囲まれ、地区によっては上り坂と下り坂が繰り返される場所だ。自宅が立地するのは坂を下った平地で、多くの住民が日常生活を営む住宅地区。近辺は街の中心部に近く、市内の中でも発展している場所と言えるだろう。

 歩き進め住宅地区を抜けると、大きな通りの国道。交通量が多くなっては走る車も増え、人の往来が盛んになっては数々の商店が軒を連ねる。


「なあ。ハルノ。今日は参考書を買に行くんだろ?」

「そうよ。私たちだってもう高三だし。受験に向けて本腰を入れないとね」


 目的地である岩見沢駅までは、徒歩で約二十分の道のり。道中ハルノが肩に掛けている袋は、何度も滑り落ちそうになっていた。

 その度に肩に掛け直すハルノ。しかし何度となく繰り返される行為を見兼ねては、仕方なく右手を差し出す。


「重いんだろ? 俺が持つよ」

「悪いわね。意外と重くて」


 袋をハルノから受け取ると、今度は自身の肩に掛ける。


 野球で使うバットくらいかなと思っていたけど。それよりは重いな。それでも男の俺からすれば、たいして気になるものじゃない。


「って言うか持ってきても邪魔になるし。家に置いて、あとで取りに戻ったほうが良かったんじゃないか?」


 ハルノの家から自宅までは、それほど遠くない。何せ通学するのに毎朝迎えにきては、一緒に登校しているほどだ。


「あはは。それもそうね」


 空を見上げ少し悩む様子を見せるも、ハルノは笑みを浮かべるだけだった。


 もう少し考えて行動してくれよ。


 呆れては無言で視線を送り続けるも、ハルノに全く気にしている素振りはない。


 こういう合理的でないところは、多々あるから知ってはいたけどな。でも、もう少しなんとかして欲しいぜ。

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