第4話

 赤石部長はどうなったんだろうか。私は赤石部長が呼び出された第二会議室の前で待っていた。

 しばらくして赤石部長が退出してきたが、どこか影があるように感じられた。

「赤石部長。大丈夫でしたか。すみません、私の為に」落ち込むように見えた部長に、思わず声を掛けた。

「私の為?何を言ってんだよ。お前の為な訳ねぇだろ。会社の売り上げの為に決ってんだろ」相変わらずのツッケンドンだ。だから分かり易い。これは赤石部長の優しさなのだ。

 と言う事は?もしかしたらだけど、そんなに悪い話しではなかったとか?

「執行部には何て言われたんですか。言い出しっぺの私が知らんぷりなんて出来ません。教えて下さい」私の言葉に赤石部長はゆっくりと振り返った。その表情はどこか穏やかだった。

「仕方ないよ。実際に次長が押したアイデアを否定するような行動をとったんだから」穏やかな口調とは裏腹に、良くない空気が漂ったように感じた。

「多分、年明けにはどっかの僻地の見知らぬ土地の店長に収まってるさ」そんな……左遷?ありえない!

「なんで部長がそんな不遜な扱いを受けなきゃならないんですか?納得いきません。飛ばされるなら私が……」

「何言ってんだ、緑川。お前は娘さんを幸せにする為に、で頑張ってきたんだろ。俺の事は気にするな。代わりに飛ばされるのも上司オレの仕事だ」赤石部長の思いやりが、優しさが、私の心を刹那せつなく締め付けた。

「なぁ緑川。一つだけ心残りがあるんだが、叶えてもらえないか?」唐突な部長の発言。心残り?なんだろう?

「部内では何度かあったけど、サシ飲みってのはなかっただろ?良かったら今夜どうかな」いつも大人な部長が、心なし少年のような仕草に感じられた。

「えっ?あの……母に娘の事を聞いてみないと」戸惑う私の心を見透かしたように部長は柔らかい笑顔を浮かべる。

「大丈夫。こっちの都合だから。良かったらで良いんだ」不安定な枯渇しかけた泉に、湯気立ち込める温泉が湧出ゆうしゅつしたような気分になる。

 電話の私の声を察したのか母は、たまには自分のご褒美にゆっくりしてきなさい、と爽やかな柑橘類を追加してくれた。

 部長は行きつけなのか、カジュアルなイタリアンレストランへ連れて行ってくれた。手慣れた感じでオーダーを通す赤石部長。これが現代のモテ男か。そんな私の疑心は直ぐに晴らされた。

 ズワイ蟹のクリームパスタをフォークで巻いている時、赤石部長は伏し目がちに口を開いたのだ。

「俺……一人で行く事になると思うんだ」はっきり言って何の事なのか理解するのに少し時間を要した。一人でって会社の人間からって事だろうか。それとも家族の事情とかで単身赴任を強いられるって事?

 先々月の学校でのイベント、運動会。やはりあのヒーローは赤石部長だった。

「俺…息子がいるんだ。一人。息子は今の学校にも友達にも馴染んでる。だから転校なんかさせたくないんだ」そうだよね。そりゃ奥さんだって見知らぬ土地に行くより、単身赴任してもらって、亭主元気で留守が良い、だよね。

「ここは良く息子の忠一とも来た思い出の店なんだ。最後にお前と来られて良かった」そんな事言われたら涙が出てくるよ。

 最後にワインで乾杯をして店を出た。私は思いの丈を部長にぶつけた。

「部長……ありがとうございました…なんて言いません。酷いです。絶対に部長の事…忘れませんから」半泣きの私の顔を見て、部長は柔らかな微笑みを作った。

「バカ野郎。笑ってろよ。そしたら幸せになれるから、絶対に。元気でいろよ」部長はそう言って私の事を振り返りもせずに行ってしまった。やっぱりクリスマスなんて大っ嫌いだ。子供の頃の細やかな幸せも感じられない。あの時は、もう忠義君と会えない、って分かっていてもこんなに刹那くなかった。寂しくはあったけど、こんなに心が締め付けられる事はなかった。

 二十三日の夜空の下。綿のようなふんわりとした雪が降りてくる中、私はモザイクがかった視線の先を見つめながら悲しい帰途についた。

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