第四話

「「お疲れ様です!」」



 上級生部員がそう言って男に頭を下げるので、千雪も他の一年生部員も、同じように頭を下げた。少し不健康そうな容姿をしているので想像つかなかったが、他の部員の態度を見て、千雪もその毛皮コートの男が何者であるかに気づいた。


 男は部員に「入部届集めた?」と尋ねると、部員から入部届が入った茶封筒を受け取った。その光景は、まるで怪しい金融の取引のようにも見えたが、それを口にするものはいなかった。



「集合!」



 正義の号令で、部員たちは毛皮コートの男の元へと駆け寄った。


 上級生はそれなりに綺麗に整列したが、一年生は少しもたつきながらも、コソコソと声をかけ合いながらなんとなく整列であるかのような感じに並んでいる。「テキトーでいいよ」と男が笑ったが、それに心を許して雑に並ぶものは誰もいなかった。



「お願いします!」


「「お願いします!!」」



 正義の号令に合わせて、再び、全員が頭を下げる。千雪は「これが運動部か」という一種の感動を覚えながら、皆と同じように頭を下げた。


 あの自由奔放そうな春菜はきちんと挨拶についてこれているのだろうか、と気になってしまって千雪は春菜の方を見てみたが、春菜もまた真面目な表情と機敏なある動きで挨拶に参加している。


 千雪よりよほど場の雰囲気に慣れているようで、それがまた、千雪に知らない世界の景色の感動を与えた。


 皆が頭を下げた先にいた毛皮コートの男は、体育館内でもコートを脱ぐことはなかった。「……三十九、四十。人数は問題なさそうだな」指折り数えると、今までよりもハリのある声で自己紹介を始めた。



「ほとんどの人は初めまして。ハンター部顧問で、監督とかそういうのをやっている、二重橋にじゅうばし 陽介ようすけです。部内では監督と呼ばれているね。二年E組の副担任で、教科は一年E組と二年E組の英語。海外留学経験があるからって理由で、体育じゃなくて英語の先生やってんのよ。泣けるだろ」



 緊張していた一年生が少し笑うのを見て、二重橋は得意げに続けた。



「入部前にキャプテンが言っただろうけど、もう一回言おう。俺たち、花山のハンター部は、本気で全国優勝を目指している。具体的に言うと、九月十五日にある全高連ハンター全国大会の優勝を第一に目指している。勝てるメンバーで試合に挑む。他の部だと、『三年生は高校生最後の夏なので、三年生を試合に出してください!』みたいな情けもあるだろうけど、俺たちはそういう容赦はしない」



 すでに聞いていた話ではあったが、新入部員はまた緊張した面持ちになった。


 匠と春菜は緊張こそしていないが、同じように真剣な表情をしている。「それならば自分が試合に出る」という意志が表れたような表情である。



「だから、このことは初日から告知しておく。今月末に、公式東京大会に出場するためのレギュラー決定戦を行う!」



 二重橋の唐突な告知に、ほとんどの部員が驚きか動揺の声をあげた。正義と霞はこのことを知っていたようで平然な顔をしているが、他の部員はそうではなく、流星は「へー、四月中にやるんだ」と呟いた。


 人々の動揺が収まるのを待たず、二重橋はレギュラー決定戦について話を始めた。概要は次の通り。


 東京大会は団体戦で行われるトーナメント式の大会であり、5on5、2on2、1on1の三試合から構成される。


 5on5では交代用の選手二人と合わせて七人、2on2では二人、1on1では一人が選手として出場するので、合計十人が一つのチームとして試合に挑むことになる。


 東京大会は五月中旬に行われる。試合に出場するメンバーは途中で変更することができない。


 そのため、東京大会までに出場するメンバーを決める必要があるが、それを"レギュラー決定戦"と題して試合で決めるという話である。



「でもさ監督」

 


 と、流星が手を挙げて発言した。



「ちょっと人数多すぎるんじゃないですか? 去年は一試合五分で総当たり戦でやれましたけど、今年はこの人数で、総当たり戦で、えー……何分だ?」


「そうだな。今年は、前もって俺の方で『こいつならいけるかもしれない』ってメンバーを五人くらい見つけておくので、その総当たりにしよう。その代わり、一試合は十分くらいにしようか」



 二重橋の言葉に流星含め多くの上級生が「わかりました」と応えたが、すかさず匠が「質問です」と手を挙げた。



「五人って少ないですよね。これはどういうことでしょうか」


「去年、全国大会に出場していたメンバーはレギュラー決定戦から外れてもらうよ。だから、既存のレギュラーメンバーと、レギュラー決定戦で良い成績を残した上位メンバーでチームを作るということ。ああ、今のレギュラーメンバーを紹介しておこうか」



 そう言って、二重橋は去年全国大会に出場したメンバーの名前を読み上げた。


 ——三年 酒巻 弥一

 ——三年 千駄木 正義

 ——二年 桐生 霞

 ——二年 上原 純

 ——二年 日比谷 流星

 ——二年 湯島 秀

 ——二年 明治 剣城



 読み上げられた名前は七人。つまり、基本的にはあと三人が新たなレギュラーメンバーとなる。


 三十人以上いるメンバーの中で、試合に出られるのは三人。「勝てるメンバーで試合に出る」という二重橋の台詞を聞いて「一年生の自分にもチャンスがある」と期待を胸に宿していたが、次第に自信を無くしていった。


 それに、残り三人とは言うが、ここにいる誰もが有力な新レギュラー候補を知っている。入部試験に誰よりも最初に強烈な一撃で合格した、スポーツ推薦入学の少年、匠である。彼がいる以上、残りの枠は三人ではなく二人となるだろう。



(でも、やるからには本気でやらなくちゃ。残りが二人なら、私がその一人にならなきゃ)



 周りが不安げな表情を浮かべる中、千雪はすでに覚悟を決めた表情をしていた。その覚悟は、「運動部に入った」という興奮からくるものなのか、「神の娘」というプレッシャーからくるものなのか、あるいはなんとも言い表せないやる気からくるものなのか、それは千雪自身にもわからないことであった。


 ぎゅっと硬く拳を握りしめた千雪の様子を、純は目の端でずっと観察していた。



「さて、俺から伝えたいことは以上だ。俺はこれからこの入部届を事務に届けてくるので、正義、今日から早速練習を始めてくれ!」



 そう言って、二重橋がコートをはためかせながら体育館を去っていく。


 正義の号令に合わせて「ありがとうございました!」と頭を下げた後、早速練習が始まったのであった。



「そうしたら、まず体力づくりの基礎練から始めるぞ! 初日はキツイだろうが、しっかりついてこい!」



---



 体育館の外では春の日差しと遊ぶように、優雅に蝶々が待っている。体育館の近くには菜園部が面倒を見ている花壇や小さな畑があるので、蝶々たちにとっては、そこが一つの学校なのかもしれない。


 一人の少女が花壇の花々と蝶々を眺めていた。体育館からは死角になるように、大木の向こうで地面に腰かけている。手には英語の単語がずらりと描き並べられた本があるが、目は本の方を向いていない。菜園部が去った後の花壇をただじっと見つめている。穏やかな風が少女の長い茶髪を撫でて、それが心地よくて、目を閉じた。


 ……が、穏やかではない声も聞こえてくる。「ラスト! 一年、最後だからって気ぃ抜くな!」という気合の入った声が聞こえてくる。体育館内で練習をしているハンター部のキャプテンの声だろう。忙しない足音に、シューズと体育館の床が擦れる音。


 良い花の香り、可愛い蝶々たち、そよぐ風、そして厳つい声。雰囲気というものを壊してくるそれに、少女はやるせなくなって、大きくため息をついた。



(今日が初日だろ。まったく、よくやるよな……)



 少女は一ページも進んでいない本に目をやり、そして本を閉じた。なんとなく立ち寄った場所ではあったが、想像以上に気が散る様子である。ここに来るときに聞こえた、二重橋の話に思いを馳せながら、今日は帰路につくのであった。



「よし、十五分休憩! 次の練習は体力使うから、よく休めよ!」



 正義の痛烈な宣告に絶望しつつも、新入部員たちはどうにか泣き言を堪えて体育館の脇に崩れ落ちた。ランニング、ダッシュ、筋トレ、ダッシュ、ダッシュと、ひたすら体力を食いつぶしていくような練習メニューが続く。もう喉が乾くどころか体の中も外も痛くなるような思いをしているのだから、もう体力なんて残っていないのである。

 一方で、二年生以上の既存部員の人たちはまだ基礎練を続けている。一年生の倍以上の練習をこなしているのに、たまに深呼吸をして汗を拭くだけで、まだなんとでもなりそうな表情をしている。その様子が眩しいので、床に突っ伏したくなる一年生もどうにか堪えることができていた。

 千雪はというと、やはり胸の高鳴りを感じ続けていた。

 ずっとフェンス越して見ていた運動部の練習というものに、自分も参加している。真似事のように公園で走り込みをすることも多かったが、今は隣に他の部員がいる。先ほどの二重橋の話があったからか、誰もが真剣に練習に取り組んでいるし、誰も入部前のように千雪に媚びるように話しかけてこない。ただ練習に集中することができる。喜びを噛み締めつつ、千雪は自分のペットボトルに手を伸ばした。



「ちゆちゃん。これでしょ? どうぞ」



 手を伸ばすと、近くにいた春菜が千雪のペットボトルを手渡してくれる。それがまた、漫画で読んだことのあるワンシーンのように感じられて、感極まって目頭を熱くしながら「ありがとう」と冷静に答えた。千雪が「ちゆちゃん」と呼ばれたことは、もはや気づいていなかったのである。

 ふと千雪が春菜を見ると、春菜の涼しげな様子が気になった。汗はかいているが、息を切らしていない。もともと春菜は涼しげな容姿をしているが、だからと言って、男子生徒が「吐きそう」と呟くほど過酷な練習の後で息を切らしていないというのは不自然であった。



「乃木さん」


「春菜でいいよ、ちゆちゃん」


「……うん、わかった。春菜、練習きつくないの? 全然平気そうだね」


「そうなの。私、なんか体力ありまくりーっていうか、全然疲れないんだよね。物心ついたときからそうで、疲れるってどんな感じ? って思ってるよ。でも筋肉痛にはなるから、明日は松葉杖ついているかも」



 春菜の言葉に笑いつつも、春菜ならあるいは本当に松葉杖をついて学校にやってくるのではないだろうか、と思えて千雪は複雑な思いになった。「体力があるっていいね」と当たり障りのないことを言うと、「ちゆちゃんが神の娘なんだったら、私は元気の娘なんだなー」と楽しげに笑うので、千雪としても楽しくなって、二人で笑いあった。

 そうしているうちに、上級生たちが基礎練を終えて体育館脇に歩いてきた。息を切らしている。一年生の倍の練習量をこなしているからというのもあるだろうが、二重橋の話に気合が入ったのは上級生も同じなようで、「ちょっと飛ばしすぎた……」という後悔の言葉があちらこちらから聞こえてきた。

 十五分とはあっという間で、また正義から招集がかかる。また体力を使う練習と言うのでその足取りは少し重いものであったが、次に正義のセリフに、ほとんどの部員が喜ぶことになった。



「これから、実際にバーチャルを使って練習をする。各自、副キャプテンから貸出用の手袋を受け取ってくれ」



 先ほどの足取りとはうって変わって、ちょっとした歓声が湧いた。ずっと普通の体育館を走り回っていたので、自分たちがvスポーツの部活動のメンバーになったということを忘れかけていたのである。

 特に疲れ知らずな春菜はまだ無邪気にダッシュする元気を残していて、駆け出すと体操で培った前転を挟んで霞の前に跪いた。



「ください」


「普通に立って言え」



 春菜の調子に対して霞は辛辣で、春菜がしょぼんとするのも気にせずに手袋の配布を始めた。

 千雪も手袋を受け取って両手に装着する。白い合皮の手袋であるが、貸出用なだけあり、ところどころが汚れている。手の甲の部分が大きくひらけているので、手袋の中に普通に風が通り、全く温かくない。非常に軽い着用感となっており、しばらくすれば手袋を装着していることを忘れるだろう。

 心踊らせて、部員たちはコートの中へと入ってきた。エキシビジョンマッチで見たときのように、vスポーツとしてコートに入るときはコートの決められた位置からコートに入場しなければならない。vスポーツを行うためにあるものは総合して「バーチャルシステム」と呼ばれており、このバーチャルシステムが起動している間、コートの周囲には目には見えない壁が生成されるのである。

 千雪も他の部員と同じようにコートに入ろうと、コートの脇の真ん中付近へやってきた。近くにいる部員に名前を聞かれ、「綾瀬です」と答えると、一瞬、自分の身体がほのかに発光するのがわかった。「はい、入って」と促されてセンターラインの上を歩くようにコートに入ると、特に何か変わったわけでもないが、何か別の世界に来たような浮ついた気持ちになった。

 新入部員が全員コートに入ったところで、同じくコートにいる正義が手を叩いた。隣には弥一も立っている。



「よし、それじゃあこれから、ハンターの基本的な説明と練習を始めていく。無意識に危険な行動をしてしまわないよう、必ず、俺の指示通りに行動してくれ。それと、バーチャルの中は身体を動かさなくても体力を使うことになる。体力や体調に不安を感じたら、気合いで乗り切ろうとせず、いつでも休憩をとってくれ」


「「はい!」」



 元気ハツラツとした声で返事をする。コートの外でその様子を見ていた純は、去年の自分たちを見ているような気分になって、楽しいような、恥ずかしいような思いをしていた。



「じゃあまず、ボールを作る練習をしようか。やるのは簡単なんだが、ちょっと小難しい話になるから、よく聞いてくれ。この前見てもらった試合で、突然ボールができたり、異常に速く走ったりする光景を見ただろう。あれらは全て『エレメント』と呼ばれる、このバーチャル空間におけるエネルギーのようなもので実現しているんだ」



 エレメントは、日本語訳すると原子や要素という意味になる。


 現実世界では原子が万物を生み出しているように、コートの上——バーチャル空間——では、エレメントと名づけられたものがものを生み出している。



「エレメントを手のひらの上に集めて、丸めて、ボールをイメージする。すると、ボールになる。こんな風にな」



 最初、正義は何も持っていなかったが、三秒くらい経つと白くて少し発光したボールを手にしていた。


 正義はボールを掴んでぐるぐると回した後、ひょいと弥一の方へと放った。ボールは弥一の手の中に収まって、それから弥一がボールを軽く正義の方へ蹴り返すと、ボールはまた正義の手に戻った。


 光が見えることを除けば、現実のボールとなんら変わりない。


 それから、正義はボールを高く放り投げた後、「ボールを作った人が消そうと思えば消える」と説明しながら空中でボールを消して見せた。瞬間的に景色に溶け込むように、ボールは跡形もなく消えていった。



「ではまず、エレメントを操作するところから始めよう。全員、利き手を前に出して、手のひらを上に向けてくれ」



 言われた通りに、全員が利き手を前に出す。


 千雪も右手を前に出すと、腕に流れる血潮が全て何かのエネルギーであるかのような錯覚を感じた。



「手のひらの上に光を集めてくれ。別に手を動かしたりしなくていい。ただ普段、歩こうと思えば歩けるみたいに、光を集めようと思えば集められるはずだ」



 半信半疑ながら、千雪もただ光を集めようとした。


 すると——光が集まってきた。ほのかで、しかし確かに存在する、眩しすぎない光だ。


 クリスマスに飾るスノーボールのように、細かい粒子がきらきらと輝いている。


 よく見ると、虹のように様々な色が手のひらの上を踊っている。



「綾瀬さんの、それ、綺麗だね。みんなそんな綺麗な色してないよ」



 横にいた少女に話しかけられて、千雪はあたりを見渡した。


 少女のいう通り、他の人たちの光は青みを帯びた光、もしくは真っ白な光をしている。


 千雪の出した光が虹のように煌めいていることに、コートの外の上級生たちも気がついていた。特に流星は食い入るように見つめていて、思わず感嘆の声を漏らした。



「俺、あんなの初めて見た。なあ秀、なんであの……綾瀬だっけ? 綾瀬の光だけ色が違うんだ? 日光が当たっているとかか?」


「いいや、日光は関係ないと思うよ。僕も初めて見た。綺麗だね、ボールも虹色だったりして」



 正義は全員が光を集めることに成功していることを確認すると、今度はそれをぎゅっと集めて、ボールにするように指示した。これもまた先ほどと同じで、「ボールにしようと思えばボールになる」とのことである。



「すげぇ、これがあのボールか!」


「私もできたよ! 触った感じも本物のボールみたい!」



 周りがどんどんと成功しているのを見て、千雪も同様に挑戦してみる。


 挑戦してみる、とは言っても息をするようにあっさりできるもので、千雪も他の人と同じように白いボールを生み出していた。


 ボールの方は他の人と全く同じで、特に色の違いもない。ボール自体が纏っているほのかな光も、白いだけの光であった。



「オーケィ、みんな滞りなくできているな。そうしたら、今度は体をいっぱい動かしてみんなでキャッチボールしようか!」



 基礎練のときとは違い、どんどん小学生の休憩時間のような雰囲気になって、誰もが大はしゃぎしながらボールを投げたり蹴ったりし始めた。


 その様子を見て上級生も気分が乗ってきたのか続々とコートに入ってきて、キャッチボールだかドッジボールだかよくわからない光景が出来上がった。


 剣城だけはその空間から逃げようとしていたが、「剣城はサボりかい?」という秀の挑発にまんまと乗って、結局は全員が参加することとなった。


 自由に体を動かすことで、新入部員たちもエレメントを使って速く走ることや思いっきり投げることを習得し始めていた。


 特に難しいことはなく、現実世界でも速く走ろうと思えば走れるように、バーチャル世界も意思の通り速く走れるということを体感することができた。


 バーチャル世界の方が、いつもより運動神経が良い状態で運動ができる。それだけである。


 しかし、夢のような世界ではしゃいでいると、途轍もない疲労感が部員を襲った。


 バーチャル空間では体力が増幅するということではなく、むしろ多く体力を奪われ、次から次へと新入部員はコートの外へ避難してった。


 結局、最後までコートに残っていたのは、上級生たちと疲れ知らずの春菜だけであった。



「よーし、みんなエレメントにも慣れてきただろうから、次の話をしよう。休憩できた者から、もう一回コートに入ってくれ!」



 正義が声をかけて、部員たちは再びコートの中へ入ってきた。


 部活動が始まってから、もう二時間以上経過している。生徒の中には電車を乗り継いで登校している者もいるので、そろそろ終わらないと家に帰るのが遅くなる頃合いである。


 ¥そんな部員の気持ちを察したか、正義は「今日はこの話をして最後だから」と断りを入れた。



「最後に、今のうちから話しておきたいことがある。ボールを作って、身体を動かすことができるようになったので、もう誰もがハンターを公式ルールで楽しめる状態になっている。だからこれだけ練習しても良いんだけど。なあ流星、エキシビジョンマッチでもっと色々やったよな?」


「もちろんですよ! こんなのとか!」



 呼ばれた流星は意気揚々と返事をすると、エキシビジョンマッチと同じように、ボールを二つ生成してみせた。


 流星が軽々とボールを二つ生成するので、ボールを一つ生成するのと同じようにすぐにできる芸当に見えるのだが、そうではない。


 実は、新入部員のほとんどが先ほどの練習でこっそり流星の真似事をしていたのだが、誰一人として、二つのボールを生成することができた者はいなかった。必ず、ボールを消さないと次のボールが生み出せないのである。



「ハンターでは、単にボールを作るだけじゃなく、他にも色々なことができる。ただし、これが誰でも同じことができるとは限らなくて、人によってできることが大きく異なるみたいなんだ。だから、こればかりは他人に指導できないんだよ。自分で試行錯誤して見つけてもらうしかない」



 正義の言葉に、少し不安の声が挙がった。


 やり方がわからない魔法をゼロからうみ出せと言われて、戸惑わないわけが無い。


 自分にもできるかどうかが不安で、多くの部員が不安そうな表情をしている。


 弥一が元気付けようと「大丈夫だって! いけるっしょ!」と声をかけたが、その言葉に説得力はあまりなく、余計に気分が落ち込むばかりであった。



「ほとんどの人は、最初から、全然練習しなくてもできるくらい自分の肌にあった能力を持っているはずなんだ。これを、初期能力と呼んでいる。明日から毎朝、この体育館を自由に使えるようにしておくので、積極的に自主練をして『自分の初期能力』が何なのかを見つけてほしい」



 匠が「質問いいですか」と手を挙げたので、正義が「どうぞ」と促した。



「その初期能力って、大体、どのくらいで身につきますか?」

 

「俺は一日くらいかかったかな」


「俺は二日かかったぜ」


「僕も二日くらいかな」


「私はすぐにできたよ」


「俺もー」



 上級生たちが思い思いに質問に答える。


 剣城だけは質問に答えなかったが、誰もが二日あればで身につけているということがわかり、新入部員たちは胸をなでおろした。



「なんでもやってみるといいよ」



 と、正義が続ける。



「めっちゃ速く走れたらいいなとか、ボールが増えたらいいなとか、自分が思い描いたやつはなんでもやってみるといいんだ。やればやるほどいい。初期能力はその人の個性が現れることが多くて、その人が今までやってきたこととか、考え方とかが能力に活かされる。自分らしい食能力があるはずだ。だから、自分の思うようにやってみるのが、一番近道なんだよ」



 部員たちのテンションがどんどん上がっていく中で、千雪だけは一抹の不安を覚えていた。



 ——個性が現れる


 ——自分らしい能力



 時には演技して、時には打算的に行動する千雪にとって、「自分らしい」というものは少し恐怖を覚えるものでもあった。


 表向きはなんでもできる素晴らしいキラキラ少女として振舞っているが、その中身は薄くて、少しヘドロがあって、とても綺麗なものとは言えない。


 千雪は他者評価を正しく認識しているが、自己評価は著しく低く、だからこそ「自分らしい」能力が姑息で汚らしい能力であったり、もしくは何の面白みもない無意味な能力であったらどうしようと考えてしまうのである。


 悪い方向に考え出した千雪は、入学式の日に見た先輩たちの笑顔がとても眩しかったように思い出された。


 自分は、憧れるだっただけの世界に足を踏み入れたと思い込んでいたが、実は自分だけがこれからもずっと蚊帳の外にいることになるのでは。


 そのような不安が、ふつふつと自分の中で大きくなり始めていた。



「うまくできるか不安? 千雪ちゃん」



 その千雪の心情を見透かすような、背後の声。


 千雪が驚いて振り返ると、純がいた。千雪があまり浮かない顔をしていたので、「初期能力が身につくか不安なのだろう」と推測して、安心させようという純なりの心遣いである。



「ちょっと……不安ですね。いっぱい練習しないと」


「うんうん、朝練だったら私も付き合うから、ガンガンやってこ!」



 純の明るく透き通った声に、千雪は心が少し晴れやかになっていくのを感じた。


 同時に。


 自分の初期能力が、誰から見ても恥ずかしくないような、そんな明るくて役に立つ能力であってほしいと願って止まなかった。


 だから、千雪はいつもの笑顔で振る舞いながら、心の中で次々溢れ出る不安や焦りと戦う。



(もしも……もしも、私らしく、姑息な能力だったのなら。その能力は隠してしまおう。人に見せられる能力を身につけるまで、大人しくしていよう)



 悲しい決意を、胸に抱くのであった。



---


 体育館からも、運動部が使うグラウンドからも離れた校舎。


 この喧騒から離れて静かなときが流れるような校舎に訪れた二重橋は、その喧騒を壊さぬよう扉をゆっくりと開けた。


 扉には「第二職員室」との札が掲げられている。


 中もまた静かで、真剣な目つきをした先生たちが採点をしたり、教材を作成したり、生徒の資料をまとめたりしている。


 職員室の奥の席には、美しい姿勢でノートパソコンを操作している女性の姿が見えた。この学校の事務職員である。


 作業をしている机の上には、いくつもの茶封筒が置いてある。二重橋もまた同じような茶封筒を鞄から取り出すと、彼女の元へと歩いていった。



「どうも。ハンター部の入部届を持ってきましたよ」


「ありがとうございます。確認しますので、そこでかけてお待ちください」



 彼女に勧められて、二重橋は近くの席に腰かけた。


 二重橋があたりを少し見渡して「こっちの職員室は静かでいいですね」と呟くと、彼女もまた、「集中できていいですよ。でも、生徒の元気な声が聞こえないのは残念ですけどね」と穏やかに応えた。


 彼女はノートパソコンを確認しながら、入部届を手早く数えている。


 何度も数えている。


 徐々に数える速度が落ちていって、同時に、訝しむような表情を浮かべた。



「あの、二重橋先生?」


「はい何でしょう? 」


「ハンター部って、定員が四十名でしたよね。今いる部員と入部届の数を数えると、四十一名いるんです。もしかして、一名多く入部させてしまっていませんか?」



 そう言って、彼女は二重橋の目の前で入部届を数えようとしたが、二重橋はそれを「ああ、いえ」と制した。



「大丈夫ですよ。定員は四十名ですけど、入部者を合わせて四十一名で正しいです。その人数になるように入部試験を実施してもらいました」


「それは、どういう……」


「生徒の、——の情報を確認してみてください。備考欄に書いてあるはずですから」



 彼女は二重橋の発言の意図がわからないまま、二重橋のいう通り、その情報を調べ始め——納得してしまった。


 一名多く入部する事情が、そこにかいてあったのである。


 二重橋は何食わぬ表情を装って、椅子から立ち上がった。「思うことはたくさんありますけど、こればかりはね」と呟く。


 職員室の窓からは春の木漏れ日がたくさん降り注いでいる。


 床に木漏れ日がたくさんの模様を描いて、まるで水面のような。


 春という、始まりの季節の景色に無理やり励まされたような気持ちになると、二重橋は最後に笑顔で言い残して、職員室を後にした。



「"四月いっぱい"は、ハンター部は四十一名で活動しますから」



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