第五十六章『暇乞い』

 月日は止まることを知らず、もう既に弥生に入った。

 別れの時が刻一刻と迫っている。

 俺も人の子だから多少の寂しさや悲しさはある。

 だからこそ今も準備に駆り出され、黙々と作業している。


「花飾り作るなんて、何年ぶりですかね」

「中学校以来ですかね」

「なぁ神楽、お前届くのか?」

「来須さーん、余計なことは気にしなくていいんですよ?」

「お、おう……」


 とまあ、最初の方は集中してやっていたのだが軈てそれも切れて現状だ。

 という訳で俺たちの調子は変わらない。ただ淡々と仕事をこなすだけだ。


「パイプ椅子の配列完了」

「いや~疲れましたよ」


 体育館中央付近で椅子を並べていた但馬と白河が戻ってきた。


「じゃあこっち手伝ってくださーい」


 柳がぼうっとしている二人に色紙やらはさみやらを次々渡す。


「終わろうと終わることなき我が業務……」

「当たり前だ。働け」


 俺でさえ手を休めず作業しているのに他の奴に暇を与える訳がないだろう。

 そうしていると、上階から石見が降りてきた。

 カメラを始めとして多種多様な機械の扱いに精通しているらしい。

 だから俺たちとは違い、放送委員の手伝いで機材管理と動作チェックに携わっている。

 そして、機械の話となると無論小北の奴も関わってくる訳で。

 現在も遥か上から雑務に追われている俺たちを鳥瞰ちょうかん、見下ろしている。

 全くふざけている。

 案外単なる俺の被害妄想でもなさそうだ。

 どういう意味か言わずとも知れたことだ。こいつは少なからず他人を侮っている節があるのだ。どっかの現実世界で好き勝手やっている連中に比べれば一億倍マシだがな。

 それが判明した所で俺には咎める資格がない。世界を嫌う人間は世界に忠実に従って生きている人間を軽蔑する。

 というのは俺の偏見がかなり混じった見解に過ぎないが、要は俺もそれの一員だったということだ。

 「だった」と敢えて強調しているのは俺が愚かにもそこから脱却したと勝手に思っているからだ。あれだけ変化をおそれていたのにダサいったらありゃしない。


「よう、ご苦労さん」

「とんでもない、です。私に出来ることなんてこれぐらい、ですから」


 どうしてだか石見の威張らず謙遜する姿勢に感動してしまった。

 他にそんな人間を見たことが無いからだろうか。文芸部員どもを筆頭に。


「随分手間取ってしまいましたよ。ふぅ~」


 殊更めいて額の汗を拭う。言葉で伝えられるより余程うざったい。

 気障きざな所作が一々鼻に付く。もう慣れたがな。


「ところで、美咲先輩は何方に?」

「堺さんは実行委員らしいですよ。だからそちらかと」

「実行委員って卒業式のか?」

「他に何があるんです?」


 こいつは驚いた。道理で最近部活に遅く来ていると思った。まあ、文芸部に遅刻なんて概念は無だから正直余り気にしないというのもあるが。

 部活へ顔を出すより、寧ろそういう高校生っぽい活動をした方が有意義だろうし、何より社会的地位も高まる。

 彼女が自ずから進んで参加することに驚きではあるが、否定したり馬鹿にする心算はない。ただ素直に称賛して背中を押せるかというと微妙ではある。

意思と可能という両側面からの意味で。


「そうか……」


 俺は頭の中にもやがかかってくると、ヒントを求めるように晴天のスカイブルーを見上げてしまう。そして、煙草を吹かすように細く黒い煙のような溜息を吐くのだ。

 しかし、その煙が天を目指して前向き、いや正確には上向きに昇っていくことは決してない。

 何故ならそれは何時までも地表近くを漂う妖しいものだからだ。

 俺自身俺が解っていないのだと思った。

 暫く一点を見つめていると、一筋の声に視線が引き戻された。


「さあ、仕事再開しますよー」

 準備は夕暮れまで続いた。


        ***


 遂にその数字が零になった。

 しみじみと何度も眺めてみるが、急に一に戻ったり、小数点以下に突入することもない。

 よく考えてみれば、ここ一、二か月殆ど登校していなかったためそのカウントダウンに感情を募らせる時間は無かったのだが。

 そんな茶番のような思考を抜きにして、それなりの感情の高まりはある。

 自分など主役の中でも脇役だと解り切っているのに。


「よし!」

「行こう!」

「「お~!」」

「お、おー……」


 何の前兆も見せず円陣を組む流れになる。たった三人で。

 しかし、御陰で緊張等を引き起こす下らぬ羞恥心やらが吹き飛んでしまった。

 そう、いつだってそこに緊張感など在りはしない。


「行くぞ」

 久方ぶりだというのに、調整もせず俺は喉を鳴らした。




 桜がやっとやる気を出し始め、仄かな朝日すらとても暖かく感じる今日この頃。

 彼らは分岐点へ差し掛かろうとしている。そしてこの学び舎という名の一時待機場所から発進するべく警笛を鳴らすのである。

 式というものに表し難い情を感じ、成長した気になる。

 実際それの正体も不明瞭だというのに。


愈々いよいよ卒業式ですか……どの出来事も思い出深く、寂しい限りです」


 しみじみと昔を懐かしむ小北。目を軽く擦る素振りをするが、一向に涙を流す気配はない。

 まあ、実際当事者でもない男が泣くというのもやや見苦しくはあるが。

 だがしかし忘れていないだろうか。こいつは顔だけはいいのである。

 何をしても許されそうな気がするのに、そういう気障というか思い切ったことをしないからより一層宝の持ち腐れだと思わざるを得ない。


「こっちまで緊張してきましたね~」


 平常通りの調子で言う神楽。不気味さすら覚える程に落ち着いている。

 平生を装っているのか、将又はたまた何も心に持っていないのか、できれば前者であって欲しいと思った。


「もう、そんな時期ね……」


 堺は緊張とも惜別の情からとも取れる真剣な暗い表情で溜息を吐いた。

 少し騒がしい集団の中でも依然として静かである。


「桜風吹き入る部屋に薔薇が咲く」


 白河は恐らく緊張一色、本人の説明によると武者震いなんだそうだ。

 それで先程から句を詠んでは掌に認め、吞むという一風変わったまじないをしているのである。

 進行役の教師が静粛にするよう呼びかけると辺りは僅かな物音も反響しそうな程静まり返り、何とも言葉で表しにくい音楽が流れ始める。

 そして、軍隊のような整った列が後方から中央の道を通って前方に進んでいく。

 三年生はその顔を固めたまま席に座り、ずっとそのままだ。

 少し間があって、卒業証書授与に移った。

 一人一人呼ばれていく中で俺たちが聴かなければならない声は経った三つ。

 そしてその時、俺の心にそれらは深く刻まれ、意識せずとも離れないものとなった。

 ずっと顔面を前方向きに固定していたため、悠久の時に感じられたが、直にそれもエンドロールを迎える。

 校歌斉唱の掛け声で在校生と卒業生が直立して対峙する。

 両方の軍団にちらほら歌えなくなるものが出てきた。

 感極まり水滴が垂れていき、歯を食い縛り、顔を伏せてはまた前を向き、袖でその表面を拭う。

 出会いに別れは付き物だけれども、別れに新たな出会いは約束されない。

 だから人間は寂寥感に苛まれ、依存してしまうのだろう。去るものを追いかけてしまうのだろう。

 分かった風な口をきき、青春謳歌人達を眺めた。不思議と嫌な感じはしなかった。そう只々羨望の眼差しを送るだけなのである。

 しかし、文芸部員は、楽エン部員は誰一人泣かなかった。

 今更そんなことで涙を流さない。いや、流せない。

 力強い視線は言葉の代わりに何かしらのエールをはらんでいる気がした。

 卒業生の退場するのを見送ると、神楽と柳が指揮する。

「「さあ、行きましょう!」」と。


 青天白日。この大空もこれを祝福しているんじゃないかと思う程都合のいい澄み渡った蒼穹だった。

 ごちゃごちゃと八人で固まってぞろぞろ歩いていると目当ての三人を発見した。


「「御卒業おめでとう御座います」」


 打ち合わせをした訳ではないが、第一声は決まり切っていた。

 何よりタイミングが合っていたというのが驚愕である。こんなに波長が合致するなんて、雨が降ってしまうではないか。


「皆、ありがとう~!」


 石見と堺の間に入り、抱き寄せる美海先輩。


「大したことはしてない、ですよ」

「あの、苦しいんですけど……」


 最初は嫌そうに藻掻いていた堺だったが、暫くすると観念したように溜息を吐き、優しく微笑んだ。

 ここだけ切り取ると普通の部活って感じがするのに。


「俺からも礼を言う。感謝する」


 生気を帯びたその声にその場の皆が驚嘆し、感動する。

 傍から見たらカルト宗教団体だと思われ兼ねない。

 しかし、このムードの中ではそんな余計な心配すら吸収されてしまいそうだ。


「小田桐先輩……」

「感涙が溢れそうですよ」

 

 但馬は眼を輝かせ、小北は拍手をする。

 また再度変な部だと苦笑する。


「よし、皆記念に写真撮ろう!」

「カメラ取って、きます!」

 

部員たちが密集し、身形を整えている。

 カメラを構えている石見が色々と指示を出す。


「もう少し全体寄ってください。小田桐先輩、来須先輩、美咲先輩表情が硬いです。もう少し楽にしてください」


 事細かに指示を伝える石見は先程よりも真剣な眼差しで、語尾を離す癖さえ忘れているようだった。


「じゃあ、撮ります……!」

「ちょっと待って~!」

「何、ですか?何か至らない点がありましたか……?」

「いや、そういうことじゃなくて……石見ちゃんも入らないと」

「私も、ですか?」


 どうやら石見は写らない心算つもりだったのか、小首を傾げる。


「勿論!全員で撮らないと意味がないでしょ?」

「は、はい‼じゃあ……セルフタイマーを……」

 

 準備すると速やかに石見は中列の端っこに入る。

「はい、チーズ!」

 

 硲先輩の掛け声で皆慌てたように一斉にピースを掲げる。

 そういうのは事前に伝えておいてくださいよ。

 部員たちの困惑の声が響き渡る。

 斯くして第何世代文芸部、いや楽エン部は幕を閉じた。誰に見守られる訳でもなく、ひっそりと安らかに終わったのである。

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