第五十四章『謹賀新年』
今日は一月一日、元日だ。だからといって特別なことはない。
初日の出を拝むわけでもなし、初夢には富士も鷹も茄子も出ることはなく、昨日の晩飯の南瓜の煮物が出るという始末である。
初詣なんぞ二日でも三日でも変わらないと思ったが、どうしても
「あ……」
「あ」
家を出ると堺とばったり鉢合わせた。出る直前まで渋っていたからだ。
「明けましておめでとう」
「何よ、急に」
「去年、言いそびれた気がして」
「はぁ、今年もよろしく……」
あけおめことよろを言い交わせる間柄でもないというのに、失言だった。
この道をこいつと歩くのは久方ぶりだろう。
ふと思い出し、呟くように話しかける。
「そういえば、この間沢霧に会ってきた」
「そう……」
「お前に宜しくだそうだ」
「元気にしてた?」
「ああ、あんなことがあったとは思えないくらいにな……」
「まだそのこと気にしてるの?」
「いや、そういう訳では……」
「もう忘れなさい。そんな過去は足枷になるだけよ」
「堺?」
「ほら、さっさと行くわよ」
「おい、待てって」
急に口を
「あ、来ましたね!」
現地集合ということで、去年と同じ神社に訪れているのである。
もう昼時ということで大分人も
矢張り人混みは何度遭遇しても慣れない。漠然とした嫌悪がそこにはある。
「皆さん揃いました、ね……」
「じゃあ、いざ出陣です‼」
部長や美海先輩がいなくなった今、明るさだけが取り柄の柳と意外と統率力のある神楽が中心となっている。帆と羅針盤みたいなものか。
他の部員たちが盛り上がっている中、前を歩いていた小北が小声で話しかけてくる。
「この間の話、堺さんにはしたんですか?」
「ああ。でも、反応が薄かった気がするんだよな……」
「きっと、まだあの時の記憶が根深く残っているんですよ、来須君同様」
「そうだな……俺はもう平気だが、余計なことをしたかもな……」
「僕はそう思いませんよ。隠し事というものは
「そうかもな……」
「先程から頷いてばかりで来須君らしくないですね」
「お前の言葉は恐らく正しいし、俺にはどうすればいいのか分からないからな」
「左様ですか……」
沈んだ気持ちで
何を願おうかと賽銭を投げながら考えた。
世界平和、健康長寿、学業成就。
ふざけた綺麗事は噴水、間欠泉のように湧いてくるのに、肝心な願望は見つからない。
「さあ、引きに行きましょう~」
結局手を合わせている間もそれは出なかった。
あいつらは何を願ったのだろうか。
ガラガラと鳴り止まない六角柱を振る一行。
「よし、中吉です!」
「私は小吉ですね~」
「末吉っすー」
「大吉、です……!」
「吉ですか……」
「同じく吉……」
「凶か……」
「大吉……!」
柳と神楽は何に喜んでいるのか不明、石見と堺は相好を崩さないが浮かれている様子だ。
俺は一人でこの不吉な紙きれを結ぶため、列を避けながら歩いた。
しかし、誰かと肩が衝突する。
「あ、すみません」
「いや、こちらこそ——あれ?」
俺は振り返って視線を上げて初めて気づいた。
「美海先輩⁉」
「やあ、後輩君。偶然だね」
「何故、ここに?」
「気分転換でね。折角来たからお守りでも買っていこうと思って」
「それで一人で?」
「いや~さっきまで由希と隆一郎も居たんだけどね~もう帰っちゃったよ」
「そうですか、残念です」
「部は大丈夫そう?」
「はい、神楽と柳が何となく引っ張ってます」
「そっか……」
「見ていきます?」
「そうしたいのは山々だけど……もう帰るよ。いつまでも居座るのは迷惑でしょ」
「そんなことはないと思いますよ」
「だといいんだけど。じゃ、また会おう!」
粋な風来坊の如く、彼女は颯爽と去ってしまった。
その姿を見送った後、気が付いて急いで戻る。
置いてかれたらそれはそれでいい。
「どこ行ったんですか?捜しましたよ!」
柳が安っぽい怒りを面に出す。見ていて吹き出してしまった。
「何がおかしいんです?」
「すまん、心配されるとは思わなかったのでな。礼を言う」
「何ですか、改まっちゃって。同じ部の仲間なんですから当然でしょう!」
少し見栄を張る為の芝居かと思ったが、強ち適当な綺麗事でもないらしい。
この一年でこんなにも変化、いや成長したのかと思うと、親心のような愛らしさが芽生えてきそうだ。
「ね、美咲先輩?」
「え⁉そ、そうね……」
急に振られてテンパる堺は少しいじらしい。この同情も幼馴染たる所以なのだろうかと忘れかけていたそんな一縷の繋がりを今一度感じる。
「大丈夫、ですか?」
「ああ、ちょっと迷っただけだ」
「来須君はおっちょこちょいですね~」
「お前は黙れ」
「ははは……ぶれないっすね二人とも」
「寒い……」
相変わらず
「では、そろそろ解散しましょうか」
そんな掛け声で何となく蜘蛛の子を散らすように各々歩き出していく。
「来須さん、少しお時間宜しいですか?」
「ん?」
何故か神楽に呼び止められた。
しかし前のような背筋が凍る目付きではなく、至って普段の神楽香音であった。
☆
「それで、どうだったの?」
「どうとは?」
「恍けないで。来須から聞いてるし」
「そうですか。まあ、交換条件ですし止むを得ませんね」
「来須君、とても嬉しそうでしたよ。気まずさはかなりあったようですが……」
「当然よ。自分の所為であれが起きたと思ってるし……本当不器用というか馬鹿というか……」
「昔からあんな感じなんですか?」
「客観的に見て、素直で善良な子供って感じだったわね」
「そんな子供存在したんですね……」
「だから堕ちる時も愚直に捻くれたのかも」
「純粋で捻くれてるって、矛盾してません?」
「そういう奴なの」
「理解ではなくそう解釈しろという訳ですか……」
「今更ですが、どうして僕のような部外者に過去のことを打ち明けたんです?」
「さあね。多分良くも悪くもあんたが薄情だからじゃない?気が軽いとか、そういう」
「それ悪口としか受け止めようがないんですが……まあ、否定はしませんが」
「それに——」
「——奇妙なことに小北には心を開いているように見えた」
「新しい冗句でしょうか」
「いや、至って真面目な結論」
「おかしいですね、色んな意味で」
「それもそうね。気でも狂ったかしら」
「では、失礼します」
「ええ。さようなら」
街路に
「それで、俺に何を吐かせたいんだ?」
「吐かせるなんて人聞きの悪い。ただの詰問ですよ」
「どう違うんだよ」
社の裏手の林にて聴取されている。
「さっき先輩と会ったようですね」
「なんでお前が知っているんだ?」
「やけに不在の時間が長かったので、大方そうだと予覚していたのですが、図星だとは思いませんでした」
クスリと得意気に微笑む彼女を見ているとうっかり腹底のダークマターの存在を忘れてしまいそうになる。
単なる思いつきである筈がない。確固たる証拠を以て揺さぶっているのだろう。
「美海先輩とバッタリな。それがどうかしたか?」
「どんな様子でした?」
「変わらず旭日昇天というか獅子奮迅というか……」
「要するに活発さはご健在でお元気なんですね……」
安心したのか呆れたような苦笑いをする。
大きな壁にぶつかっていながらも尚その性質を保っているとは。呆れを通り越して尊敬してしまいそうだ。
「質問はそれだけか?なら、俺は速やかに帰りたいのだが」
「勿論、駄目ですよ?」
やっぱりか……閑話休題らしい。
彼女がこの程度で終わる筈がない。
「真に問いたいのはここからです」
大方予想はついている。そうだとすると、無関係なこいつが何故知りたがるのかという疑問が放置されるが。
「この間、誰かに会ってきたんですよね?それも過去に深く関係する人物に」
「どうしてそう思う?」
「何となくですかね。堺さんと来須さんだけ暗い面持ちでしたので」
「大体正解だな。だが、それを確認してどうするんだ?」
「それはご想像にお任せします」
「……」
全く俺の疑問に答えを提示する気が無いらしい。
俺は開いた口が塞がらなかった。
「では、また学校で」
会釈を返すこともなく、何食わぬ顔で帰っていく彼女を目に捉えることしか出来なかった。
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