第五十三章『友との再会』

恒例の冬期休暇に入り、俺はジェットコースターというより隕石の如く卒爾堕落した。

 宿題をする気概もなし、かと言って有意義な自主活動をする固い意志も無い。

 そもそも時間を有効活用しようとしてもやることが見つからない。

 嗚呼考えれば考える程、腹は空くし時は流れてゆく。

 三年がいなくなってから、というより部長が部長でなくなってから、部活動外で集うことが粗ない。

 確かに毎回あの凸凹で闇鍋のような集団の中にいてうんざりしていたが、いざ抜け出すとノスタルジアに胸を焼かれるような気分になるのである。

 そろそろ動き出そうとした所、電話が鳴った。


「もしもし」

『どうも』

 ガシャ

 

 おっと思わず切ってしまった。条件反射というやつだから仕方ない。

 面倒臭いが折り返すか……待てよ。あんな奴の電話番号なんか知らないぞ?

 黙考する暇も与えず、再度喧しく鳴り響く。


『何で切るんですか?』

「お前、なんで俺の電話番号知ってんだよ」

『まあ、一旦その件は置いておいて、付き合って欲しい場所があるんですけども——』

「断る」

『即答ですか……何かご予定でも?』

「有る訳ないだろ」

『断言ですか……そんなことで威張らないで下さい』

『——話をする気になったと言えば、いいんですか?』

「——気が変わった。何処に集合だ?」

『では隣町の駅で』

「おい、なんでそんな所に——」

 

 プッツン


「切りやがった……」

 

 態々隣町に集合とは、一体何を考えているのか。

 それを幾ら予想した所で無駄だと解っていながら、頭を働かせた。


俺たちは歩道をずっと歩き続けている。

 何が悲しくて男二人で隣町まで足労しなければならんのだ。

 男だから嫌だというあれでなく、恐らくこいつだからだろう。

「おい、何処に向かってるんだ?」

「それは着けば分かりますから焦らないで下さい」

 先程から質問してもこのような台詞で全て切り捨てられる。

 焦れったいし、意図が読めない。

 俺もそんなに暇では——いや、暇か。


「着きましたよ」

「漸く目的地に到着か……」

「いえ、ここは只の中間地点ですよ?」

「まじかよ……」

 もう半里ぐらい歩いた気がするんだが……

「では、始めましょうか……」

「ああ」


 さっきとは打って変わって勿体ぶることなく、少し早口で語り始めた。

 いつもなら適当に流すだけだったが、この時ばかりは妙に文が厚みを持っていて、耳を傾けぬ訳にもいかなくなった。

 普段の薄っぺらい態度が前に数回ほど見たその険しい表情を強調させ、事の重大さを再認識させる。


「——では、行きましょうか」

「……」


 紅茶を飲み終えたのを確認し、大人しく小北の後へ続く。

 歩いた方が気が紛れると思ったのか、五分も間を与えずそこを出た。

 こいつ相手に遠慮など思いも寄らなかったが、この気まずい濁った空気の中では誰が相手であろうと言の葉を紡げる自信が無い。

 街の方から少し離れた住宅街を通り、道の際をずっと進んでいくと急に小北が止まった。


「どうした……?」

「着きましたよ」

「着いたって……ここ病院だが……ここの患者なのか?」

「正しくは『だった』ですかね」


 そう謎を深めるような事だけ伝えると、中には入らず側の庭のような憩いの場所へと向かう。


「すみません、遅れてしまったでしょうか」


 小北の横から頭だけ出して一目見た瞬間、俺の思考回路は焼き切れそうなぐらいに暴走し、立ち眩みを起こした。

 深呼吸して冬の情の籠っていない空気を取り込んで、身体を冷却すると今度はちゃんと焦点を合わせ、その人物を二度見した。


「旭?」


「うーん、二年ぶりかな?」

「あー……そうかもしれない……」

 

 どうしたって蟠りに阻まれて、親しく接することが出来ない。

 あと傍らで若気ているこいつは殴ってもいいだろうか。


「来須君、調子が悪いようですが大丈夫ですか?」

「五月蠅い、お前は少し黙っていろ」

 耳元でおちょくるように囁くのを適当に返す。

「では、僕は席を外すとしましょう」

 

 小北が去ってかなり複雑だ。邪魔臭い悪魔がいなくなってほっとすると同時に、取り残されてどうすればいいかとあたふたする。


「随分感じ変わったね。さっきの人、友達?」

「いや、ただの同級生だよ……」

 

 昔ってどういう口調だったっけと押し入れから引っ張り出す。

 周囲のことは記憶に在っても、自分のことは以外と覚えていないものだ。


「堺さんは元気?」

「あー多分……」

「もしかして喧嘩してるの?」

「そういう訳じゃなくて……前のままとも行かなくて」

「ごめん……」

「いや、旭の所為じゃ……」


 その後何だかんだあって、気付けば一時間以上が経っていた。

 結局終始他人行儀で初対面の人間と話しているより気まずく、話が弾まなかった。

 俺は話題も思いつかず滔々と高校であった出来事を語るのみだったが、相変わらず生真面目な彼はずっと耳を傾け相槌を打った。


「——もう、こんな時間かぁ……そろそろ帰るよ。堺さんに宜しく伝えておいて」

「うん、分かった。また……」


 大きく手を振る嘗ての友に、洒落た別れ際の言葉もかけることは出来ず、ただ虚しく手を振るのである。

 その懐かしい姿が坂の下に消えると、木の陰からまたそいつは現れる。


「帰りましょうか」

「ああ、そうだな……」


 どうやら旭は高校で楽しくやっているらしかった。

 前よりずっと逞しくなっていたし、俺なんかと違い立派に高校生を果たしているようだ。

 それを喜ばしく感じながらもどうしても淋しさを払拭できない。

 あのことが無ければきっとまだ三人で一緒に同じ道の上に立っていたのだろうなと意味の無い反実仮想を浮かべてつと考えた。

 では、現在俺が歩んでいる道は脇道、所謂外れルートなのかと。

 あれだけ不満を垂れ流しておきながら、今の世界を真向から否定し、最悪だと言い切れない自分がいる。

年月を過ごしたが故の愛着か、それともこれからのこの世界への期待か判然としない。


「旭さんはどういう人だったんですか?」

「内気な性格だったが、芯は強い奴だった」

「ふむ……仲が良かったんですか?」

「それまでで一番の友達だったかもしれないな」

「そうですか……」


 その後会話の倍以上の間無となる。

長考していて無言でいたら、急に先導していた小北が振り返った。


「来須君、僕忘れ物をしたので一回戻ります。先に帰っていてください」

「お、おう……」


 異常に速いスピードでその青年は坂を駆け上って行った。

 それにしても、忘れるような物持ってきてたか?


         ☆


「こんにちは、まだ居られたんですね」

「ちょっと余韻に浸りたくて。あなたは先の連れの方ですね」

「はい、小北朔夜です。彼とは同じ部活なんですよ」

「何部ですか?」

「文芸部です」

「成程……あ、申し遅れました僕は沢霧旭です」

「ところで、何か用でも?」

「いえ、忘れ物をしてしまいまして……」

「?」

「沢霧さんに一つ質問があるのですが、よろしいですか?」

「ええ、構いませんが……」

「それはどうも」

「では、手短に。あなたは来須君に嘘をついてませんか?」


 横棒になっていた細目が開眼し、狼のように睨みを利かせる。

 暫しの静寂の後、反応を示す。


「いきなり、何を言い出すんですか?質の悪いジョークですね」

 鋭利な刃物を受け流すように、一笑に付す。


「あなたたちの過去は大体存じ上げています。決別はあなたの自殺未遂だったと」

「確かにそうですが……」

「何故あなたはそんな真似を?」

「それは毎日のように絡まれて、それで何もかも嫌になってしまって……」

「結果、二人に心の傷を負わせてしまったと」

「はい、二人には申し訳ないことをしました……」

「そうですか……でも、僕はあなたの言葉を信用できません」

「何故ですか?」

「まず、見ている限りではあなたがそんな嫌がらせに屈するとはどうしても思えないんです。来須君も芯が強いと言っていましたし」

「二年以上も経ってますから……当時は軟弱で」

「だとしても、来須君や堺さんが見逃すとは思えないんですよ。言ってましたよ、一番の友達だったって。なら尚更です」

「それは……」

「もしかして、もっと他に理由、目的があったのではないでしょうか。例えば——」


 少し辺りを歩き回り、ゆっくりと言い放つ。


「——来須君への負の感情とか」

「……⁉」

 半歩後退る。


「まさか……友達にそんな感情を抱く訳ないじゃないですか」

「だからこそじゃないですか?」

「どういう意味です?」

「憧れ、尊敬、仲間意識。どんなに素晴らしく思える感情も裏返ると醜い感情になり得ますから。可愛さ余って憎さ百倍、とは少し違うかもしれませんが、要するに正はいつでも負になるということです」

「僕はそんな風には……」

「思っていなかったと言い切れますか?」

 

 段々と装甲が剥がれていく。


「ええ、僕は彼に嫉妬していました。仲良くなってから余計に優秀さがちらついて、それまで感じたことのないような劣等感に襲われました。一々比べられて、もううんざりだったんです……‼」

「だから、あんなことをしたということですか……それで二人を傷つけたんですか……」

「それは僕の所為じゃありませんよ。あの二人が勝手に——」

「本当にあなたは愚かなんですね。罪悪感すら覚えていない。自己弁護をして生き恥を晒す、只の屑です……!」

「……」


 静かな憤りを感じ取り、彼は口を閉ざした。


「忘れ物は見つかりました。では失礼します」

「あの……」

「何ですか?」

「最後に一つだけお訊ねしたいんですが……」

「何です?」

「あなたは最初から確信していましたよね……?」

「はい、実はあなたが来須君に最後に吐いた台詞を知っていたんですよ」


「そうですか……」


 再び音の消えたその空間に、二度と音が戻ることはなかった。


         **


 あのファイルに書かれていたこと。それは部の真相のことにも、彼にも関係していた。


『来須零士こそこの問題の鍵である』


 問題とは何のことなのかその時は解せなかったが、それは受け取り方を間違えていたのかもしれない。

 つまりこの問題とはQuestionの面もProblemの面も表していたのだ。

 あと残っているのは彼女の過去、そして——「CPU」だろうか。

 そうそう忘れていた。


「生徒会もでしたね」

 頭の中の掲示板に忘れないよう画鋲で止めた。

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