第五十二章『惜別のクリスマス』
「皆さーん、急いでくださーい!」
黙々と作業する中によく通る指導者の催促する声。
慣れないことに悪戦苦闘しているようだ。
こんなことをするのは何年ぶりだろうか。
「ほら、さっさとこれくっ付けて」
「珍しくやる気だな、堺……」
「私だってそこまで恩知らずじゃないの。真面目にやらないときっと後悔する」
「成程な、お前らしい……」
「っ……いいから手を動かしなさい……!」
何かまずいことを言ったのか、緩みかけていた表情筋が即座に引き締まり、怖い顔で睨み付ける。
「そうですよ、来須君。真っ当に生きて下さい」
「しれっと人を食み出し者呼ばわりするな」
「何を言っているんです、私たちは皆食み出し者ですよ」
突然、小北が暗い面持ちで口元だけで笑って棘を刺す。俺も流石に絶句する。
「どうかしたの?」
幸い堺の耳には届いていないようだ。
「いや、何でもない」
「——すみません、変なことを」
「俺はいいが、幾ら事実だとしても絶対に口にするな」
「肝に銘じておきます」
こいつがこんなミスを仕出かすなんて、余程疲労が溜まっているのか。
俺にはさっぱり分からない。
「それはそうと、ここの飾り付け終わらせるぞ」
「了解です」
「遅れてごめーん!」
まさか本当に来るとは。
しかも他の二人も。
小田桐先輩は若干引き
「よう……」
「大丈夫ですか……?」
無言で親指を立てる。
相当疲れているのか、抵抗を諦め服従しているのかは定かではないが、精神はある程度安定……していると見える。
「久しぶり、後輩諸君!」
久しぶりって……精々一か月あったかどうかだと思うが。
まあ、前のようにいかないのもまた事実ではあるのだが。
そもそもこれまでずっと居座っていたのが不思議なくらいだ。この部には引退や世代交代という概念は無いのか。
元から来るのも、休むのも、
ひんやり閑静な部屋が色味を得て熱を帯びていくのを感じる。
「すごーい‼華やかだね~」
元が元だからあまり華美では無いのだが。心持の問題だろう。
贈り物は心が肝心だというように。
仰々しく喜ぶ部長を見て、部員たちも悦びを表す。
一切の
これまでの人生で目にしたことのない不可思議な光景だった。
「このメンバーがここまで団結するなんて珍しいな」
「大方指導者がしっかりしているからだと思いますよ」
「あの二人です、ね……」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする小田桐先輩に但馬と石見が説明する。
「このツリーどうしたの?」
「あ、それは学校の倉庫に在ったものです」
「へぇ~こんなものが……」
まじまじと見つめる美海先輩。
「それにしては随分綺麗だね」
「汚れを取って補修して漸く使えるようになりました……」
「それはご苦労様……!」
この三人も以前と同じようで違っていて、部長と美海先輩は比較的大人しく、小田桐先輩は逆に乗り気という奇妙な状況だ。
果たして聖夜の力か否か。時の経過とは恐ろしいものだな。
「神楽、何するか考えてあるのか?」
「愚問ですね。既に手は打ってありますよ」
「というと?」
「先輩たちの送別も兼ねて、プレゼントです!」
「俺聞いてないんだが……」
「来須さん以外は知ってますよ」
「何故、俺に連絡が行き届いていないんだ?」
「私の嫌がらせではないですよ……勝手に決め付けないで下さい」
怒ってはいないようだが、蔑むように溜息を吐かれる。
「そもそも今回企画したのは柳さんですよ。私は只助力しているに過ぎません」
「そう、なのか……」
先輩三人もそうだがこちらも堺は上機嫌にも関わらず、神楽が不機嫌ときた。偶然か?
「では私は準備があるので、失礼します」
素に近いからか、落差が凄まじい。会長とはまた異なった圧倒されるオーラだ。
暫く見ていないから忘れていたが、あいつの本性はあんな感じだったか。
「どうしましたー?」
「柳、俺何の連絡も受けてないんだが……」
「あ~それはですね——」
意味有り気に間を取る。
「——忘れてました……」
一番嫌な答えだ。
「ですから、あのツリーを用意してもらったんですよ」
「成程。だが、そんなんでいいのか?」
「心が籠っていれば、何でもいい、と思います!」
理想に浸った常套句だ。こいつが言うと更に廃れるような。
「心を込めるは何か」とどこぞの自立思考型AIのように自問自答しそうになる。
「お前、この会自体がプレゼントとか言わないよな……」
「まさか。ちゃんと用意してありますよ、文房具」
扇状に広げて証拠を見せる。
いつも何かと誤魔化す癖にこういう時はしっかりしている。
背景に目を戻すと皆が渡している構図がある。
「これこそが我最高の俳句なり」
ぶれないな……白河の奴。
「部のアルバムと選りすぐりの風景写真、です」
いつの間にそんなものを……
「一応僕も協力しました……」
お前もかよ。
「僕は一本の動画にしてみました」
改めて見るとこの部活適当で活動内容意味不明だな……
こんな日常風景集めたって面白くも何ともないだろうに。
「私はこれを……」
普通の合格祈願のお守りだ。逆に誰も思いつかなかったか、そもそも知らなかったのか。
「そして、最後に私です!」
神楽が背後から取り出したのはキャンバスだった。
それもかなり大きい。実際隠れていなかったし。
この絵の感想については筆舌に尽くしがたい。
先ず部員全員が描かれていたことに安堵に近い喜びを感じている。
「うわぁ……!」
異口同音、感嘆と懐古の思いが入り混じって垂れる。
皆が別々の表情をしているのが如何にもこの部らしい。
背景はこの部屋だ。何の変哲もないただ散らかっているだけの。
ただ全く趣きが無くても、これだけ長期間居ると愛着めいたものが芽生えてくるのである。
余韻を楽しみたいと望みを口にするが、やはり忙しいのか早々に荷物を纏める。
「「「ありがとう」」」
その一言が全てを語っていた。これ以上ないくらいの感謝が込められているのだと情の薄い俺にさえ解った。
息の揃ったお礼を言い終えると、立ち去ってしまった。それと同時に雪は降り始め、天は白く、地は黒く染まった。そして俺の足は時間差で同じ方向へ動き出した。
「いや~意外だったよ。後輩君が追いかけてきてくれるなんて」
「何か言い残したことでも?」
硲先輩が
小田桐先輩は観察するように無言でいる。
美海先輩は期待の眼差しでこちらを見つめている。
昭和の青春ドラマの見過ぎでは?
「すみません、何も用意できないで……」
「そんなことを態々言いに来たのかい?」
「ふふふ、ではこれは出世払い的なあれで……」
「何でプレゼントもらう側が偉そうなんだよ」
思わず口が緩みそうになった。
「そういうことだから、期待しているよ!」
美海先輩が親指を立てた右手を前に突き出す。そして屈託のない笑み。
「あかりん、行くよー!」
「待ってー!じゃあ、またね‼」
軽く手を振り、
街路樹の並木道を潜って、その雪兎達は姿を消した。
入れ替わりに背中側から旋毛風のような声が飛んでくる。
「来須さーん」
あの小さなシルエットは他にはない。確信せざるを得ない。
「神楽?なんでお前が……」
「何か勘違いをしているようですが、別に私は怒っていませんよ?」
「さっき口を尖らせていただろうが」
「あれは……あの絵で喜んで頂けるか不安だったからですよ……」
こいつにも不安とか心配とか女々しい側面があるのだろうか。
それすら疑う俺は人として終わっているのか?
「それより……荷物、忘れてましたよ」
「あ、すまん……」
「そこは謝るのではなく、感謝して欲しいのですが」
「か、
「何故古風なんですか……」
俺は彼らのように素直にはなれない。特に複雑な理由がある訳でもないが、性格を単簡に捻じ曲げられる筈もない。
実に嘆かわしい。
「寒くなってきましたね」
「まあ、雪が降っているからな」
横を見ると小さな植木を囲う石の上に彼女が腰かけている。
一体どうしたというのか。
「急にどうしたんだ、座りこんで」
「私もそろそろ話すべき時が来たのではないかと思いまして」
俺も小北もなるべく目立たないように行動していたが、
「昔はやんちゃしてましたね~」
今も昔もあまり変わっていなさそうだというのは、黙っておこう。
「喧嘩で負けたことなかったんですよ。あ、小学生の頃の話ですよ」
「お、おう……」
滔々と過去の体験を語る神楽の目は不自然に感じる程淀みない。
木を隠すなら森の中とは少し違う気もするが、恐らく真の傷は他に在る。
「まあ、それは大したことではなくて、本題は中学の時のことなんですけどね」
一気にテンションが下がり、背が丸まる。
「白昼に通り魔に刺されそうになりまして。咄嗟に蹴り飛ばして目立った怪我はしないで済んだんですけど、犯人が結構な傷を負ったみたいで」
「それで……?」
「勿論正当防衛ですよ。まあそんな事関係なく学校じゃ浮きましたけどね」
軽く言うが相当な屈辱を味わったことだろう。何せ殺そうとした奴から身を守っただけなのに、被害に遭った自分もそんな目に遭うなど、憤怒が込み上げてきそうなものだ。
暗い面持ちでゆっくりと立ち上がると、仏のような顔を向ける。
「皆さん、解散されましたよ。来須さんもお帰りになっては?」
「お前は?」
「私はもう少し此処にいます。変なことを思い出してしまったので」
「すまない……」
「いえ、来須さんの所為ではありませんよ。いつかは決着を付けなければいけないのですから」
「……」
感傷に浸っている彼女にこれ以上干渉するのもよくないと思い、一度も振り返らず悴んだ手をポケットに突っ込みながら降り頻る雪が作るトンネルを潜っていった。
☆
「こんな中調査なんて精が出ますね」
「いえ、それほどでもないっすよ」
ひらひらと舞い落ちる冷たい綿毛が徐々に地上を湿らせていく。
「ご察しの通り俺が此処にいたのは偶然ではありませんよ」
「今、私がそんな事を気にしているとでも思いましたか?」
「まさか。それよりも大事な話を聞かれたこと気にしているんですよね?」
「なら、どうだというんですか?」
「別に。俺は謝りませんよ。こんな屋外で機密事項を打ち明ける方が悪いんですから。今の時代壁に耳あり障子に目あり、神楽先輩も重々承知だと思うんですけど……」
北風が勢いよく吹き荒れる。
「特に気にしませんよ。私は部員を信じていますから」
「殊更めいた言い方っすね。凄い自信、尊敬しますよ」
「後輩に褒められるとは嬉しいですね」
「その余裕……あの、確認なんですけどさっきの話って——」
「……?」
「——嘘ではないっすよね?」
吹雪に飲み込まれたような凍てついた空気。辺りは静まり返る。
小柄な少女はやや俯いて、路面の溶けて消えそうな雪の残骸を眺める。
「いえいえ、そんな訳ないでしょう」
「ですよね!あ、今日聞いたことはちゃんと秘密にしますから」
「じゃあ、失礼しまっす!」
元気よく駆け出していく彼を見送る彼女から時計のような短音が漏れたことに気付いた者は誰一人としていなかった。
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