第五十一章『彼女はずっと、その瞬間を待ち続ける。』
監視者というよりは只の目撃者だった。
邪推が過ぎたか。
「それで、何でお前はこんな所に?」
「盗み聞きしようと思った訳じゃないん、です……見かけたから……」
注意力が散漫になっていたか……
「石見、この事は——」
「——はい、分かってます。内密に、ですよね……?」
まあ、さっきの話を聞いていれば大方予想できるか……
こいつなら信用出来る。万が一石見が嘘をついているとしたら、もう俺は誰も信じられなさそうだ。
「先輩、最近様子が変ですけど、どうかしたん、ですか?」
「いや、大丈夫だ……」
「本当に本当、ですか?」
うっ……疑いの視線よりも心が痛くなる、真実であることを願っているような瞳。
あまり能動的でない割に芯は太く強固。
こういう人間こそ評価されるべきだと切実に思う。
「楓ちゃんもそんな酷い目に遭ってたんだ……」
「柳も?」
「あ、すみません。出過ぎたことを言いました……」
この流れなら自然に聞き出せるかもしれない。
「お前も何かあったのか?」
「はい、それこそ楓ちゃんとは比べ物にならないぐらいちっぽけなものですけど……」
名前にちゃん付けか……
まあ、
「端的に言えば……『誘拐』です」
「……!」
想像以上に重い。
その真実が判明すると、確かにその手掛かりは各所に鏤められていたような気がしてくる。
例えばお化け屋敷の時。てっきり妖怪を怖がっているのだと決めつけていたが、暗く狭い場所自体に怯えているような感じがした。
それに崖から落ちた時。彼女は震えはしたものの、悲鳴一つ上げず、泣き叫ぼうともしなかった。その時は驚きで感情の発現が鈍っているのだと結論付けたが、あの瞬間石見は死を受け入れるような諦めた表情だった。俺も正気ではなかったからあまり自信は持てないが。
「話してもいい、でしょうか……」
「俺は構わないが、お前は大丈夫か?」
「ええ、平気、です。あれから十年以上経過しています、から……」
平然を装っているが、少し俯いている。
こちらから問い詰めるのも流石に無礼だと思い、空を仰ぎながら口を開くのを待っていた。
「ある日親に叱られて
「何かされなかったのか……?」
口を滑らせてしまった。本当に情けない。
「はい、
「……」
「その時、私は身の危険を感じて暴れ回り、脱出に成功しま、した。しかし……」
「犯人か……」
「はい、焦って冷静を保てなくなった犯人は私を刺そうとしま、した。私は小さいながらも死を悟り、ました」
「大丈夫だったのか……?」
「今見ての通り、です。怪我一つしていま、せん。直前に捕まりました、から……」
軽傷こそ負わなかったとしても、彼女にとって大きな心の傷が残ったのだろう。
「だから、大したことないん、です。他の人に比べたら……」
「不幸なんか比較できるものでもないだろ」
「それはそうなんです、けど……」
「分かったらこの話はもう終いだ」
全く俺には学生特有の陽気な空気もこういうシリアスな雰囲気も似合わない。
要らんことに首を突っ込んで、出しゃばった結果か。
無知な方が楽だった。しかし、今まさに生きているという感じがする。
苦労に喜びを感じるなど我ながらイカれている。
「石見、元気出せ——」
「あっ!ここ夕日が綺麗に撮れ、ます‼」
慰めは必要なさそうだ。
最早俺の存在など一ミリも気にせず、撮影に集中する石見。
自然な笑みを確認すると、物音を立てないようにそこを後にした。
*
私が真に絶望したのはあの事件でも、犯人に対してでもない。
その後の周囲の人間の態度だ。
それを既知している者は殆ど例外なく、私の顔色を窺い、目を合わせるなり苦笑して、頭の片隅から捻り出したように私の名前を口にする。一言で表すと腫物扱い。
それが何よりも苦痛で、その時この町に私の居場所は無いのだと悟った。
親ですら余所余所しく、長い時間を一人で過ごした。
しかし、それも虚しく徐々に生き甲斐を見失っていった。
私にとっての写真は夢とか趣味とかそういう華々しいものではなく、一種の精神安定剤。
自分にはこれがあると、人生を写真の代償にした。
でも今はそれらも解決した。無意味だった十何年より倍以上の価値がある。
私はカメラの手入れをしながら考えていた。
今こそ人生のシャッターチャンスかも。
両手で長方形を作りながら、地平線へ光を返した。
そんなこんなでもう一年の終わりが近づいている。
この所しんみりした話ばかりで気が滅入りそうだ。
それに加えこの寒さときた。学校の大きな庭を駆け回る犬どもの気が知れない。
ああ、炬燵で丸くなっていたい。
「寒い中、態々呼び出しやがって……」
「僕が悪いんですか……」
「ああ、取り敢えずここ最近の事は大体お前の所為だな」
「まあ、そう言えなくもないですが……託けでは?」
「この際それはどうでもいい。それでどうかしたか?」
小北はまたいつぞやの真剣な表情をして、報告をする。
こいつのこの顔はあまり縁起のいいものではない。かと言って平生のへらへらした笑いを聞きたくはない。こういうのをジレンマというのか。
「但馬君と白河さんの聴取は完了しましたよ。二人も——」
「そうか、分かった……」
「内容はいいんですか?」
「他人の不幸話なんて好んで聞くかよ。
「それもそうですね。失言でした」
打って変わって不気味な微笑。
「あと三人か……」
「堺さんと神楽さん、二人では?」
「お前も数に入ってる」
「それはそれは、光栄ですね」
「別に今語ってくれて構わないが?」
「それは止めておきましょう。気が乗らないですし、何より——」
「何だ?」
「——楽しみは取って置かなければ」
「
この面倒を先延ばしにするのは気が引ける。
「来須君はもう少し美や風流を嗜んだ方が良いかと」
「余計なお世話だ」
未だに奴の思考は理解不能だ。
通知音が鳴った。
そのメッセージの主は大体予想がつくのだが……
そんな訳ないよな……
「From 硲由希」
予想通りなのか……あの人勉強はいいのか?
二日後という記述からして遊ぶ気満々だ。
一見普通の文章だが……米印とか無いだろうな……
それにしても、パーティーとは何をすればいいのか、するべきなのか未だ解らずにいる。
高校生の地位を剝奪されそうだ。そんな大層なもんじゃないが。
「やるだけやってみるか」
あんな先輩達でもかなり世話になった。色々と適当な俺でも情ぐらいある。
しかし、あくまで平常通りだ。別れを惜しんで感情を露わにするのは只の自己満足、相手を惑わせるだけだ。
俺の中で湧き上がってくる何かを屁理屈で抑え込み蓋をした。
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