第五十章『透明な水槽の中で』

「最近先輩たちはあまり来ていないようですね」

「忙しいんだろ?閑暇しかない俺たちと違って」

「ところで、何やってるんだ、それ」

「PCを修理してるんですよ。学校の備品です」

「お前がそんな事するなんて、どういう風の吹き回しだ?」

「さあ、どうしてだと思います?」

「知るか。考えるだけ無駄だ」

「ある意味正解ですね。僕自身もよく解りませんから」

「回答もない問題を出すな」

「ひっかけ問題というやつですね」

 

 ひっかけ問題でもちゃんとした解答はあるんだけどな。

 ただ答えが無いと問題が成立しないかというとそうでもない。

 そういう物は問題でなく、問いと呼ぶ。

 問題は人工的なもので、問いとは見つけ出すものである。

 正確に言えば、それらの問いには答えが無いのではなく、用意されていない。


「あ、直りましたね」

「ん?何だそのファイル」

「『Diary』……日記ですか」

「これ授業用じゃないのか?」

「いえ、部活とか委員会で使っていたものらしいです」

「日付は……十年前か」


 肌寒さも忘れて俺たちはそれに読み入る。


 

 この部で過ごした三年間、とても楽しかった。

 確かに部がある理由を知った時は少しショックだったけど、終わり良ければ全てよし!

 これからも友達でいられますように。



「うっ……」

 頭が痛い。何だこの如何いかにも幸せだとアピールするような春色の文は。

 他にも色々書いてあったが、これといって重要事項は記されていない。


「来須君、同じファイルの中にメモが入っています」

「本当だな……」


 備品・資料管理室


「資料室というと……二階の端の部屋ですね。存在を認識しているのはほんの一部ですが……」

「そこに何があるんだ?」

「さあ。あ、ここに書いてありますよ」

「『CPU』?何かの機械か?」

「若しくは記載した者の名前、でも……イニシャルではないですよね」

 考え込んだところで始まらない。取り敢えずその場所に行くのが筋だろう。


「ところで……それ、何処だ?」

「ご心配には及びません。僕はこの学校の構造、部屋の位置などちゃんと把握していますから。そこらの独活うどの大木と一緒にされては困ります」


 悪かったな、単細胞の役立たずで。大して身長は無いが。

 しかし、こいつが表立って他人を見下すのは珍しい。

 いや確かに客観的に見れば、他より多く天稟を授かっているのは明白。

 多少性格に難があろうとも、評価は覆らないし、第一そんなに気にする人間など稀。

 阿諛追従あゆついしょうしているように見えて、ずっと虎視眈々こしたんたんと邪魔者を刈り取る算段を立てている。

 きっとこいつはそういう奴だ。


「来須君、着きましたよ」

「あ、そうか……」

 脳内を散らかしていたらもう到着したらしい。


「うわ……」

「はあ……」


 うちの部室と上位争いをするぐらい汚い。こっちは薄暗いから更にポイントを追加してもいい。


「これは片っ端からになりそうですね」

「そうだな……」

 小北と二人なのも気にならず、俺はアンドロイドのように何とも分からぬそれを捜し始めた。



「これですかね……」

「そうだろうな……」

 一時間ほど奮闘し、やっとそれらしき物を見つけた。

 本、というより冊子。

 裏表紙には耳に胼胝ができるほど聞いた名前。


『文芸部記録』

 年は三十年前。


「やはり、そうでしたか……」

「お前、気付いていたんだな」

「ええ、あのPCは生徒会室に在ったものですから」

「何故、今になって?」

「生徒会入れ替えの為に掃除をしていたら出てきたと、元会長が仰っていました」

「東先輩が……ん?」


 一旦会長への疑いは置いておいて、何故今になって見つかったのかが最大の謎だ。

 どんな隙間に隠したところで生徒会役員に発見される筈。

 だとすれば俺が思いつく可能性は二つ。

 東元会長が隠し持っていたか、何者かが生徒会室に態と置いたか。

 まあ十中八九二つ目だ。


「先ず中を確認しましょう」

「それもそうだな」

 

 

 先ずこの部が存在するのは、天才を集めての切磋琢磨や潜在能力の解放が目的では無いことを初めに断言しておく。

 真に存在している理由、それは精神傷害者の隔離及び保護である。

 その為の原則として、保護対象にこの事実を知られてはならない。他の生徒もまた同様。

 次に集団として極力目立つのを避け、あくまで文芸部として振る舞わせる。

 最後に秘密が漏れぬよう、迅速に対応せよ。



「どうやら遅かったようだな」

 背後の暗がりから死神の気配がした。


「東先輩、どうしてここに……⁉」

「その様子だと元会長の仕業ではないようですね」

「勿論だ」

「でも、部の真実はご存じだったと……」

「ああ、そうだな」

 

 その開き直ったような発言が鼓膜に通っても、不思議と俺は少しも驚きはしなかった。

 寧ろ謎が大方回収されて安堵している。

 それで全て説明がつくからだ。それに生徒会長が情報を持っていても然程変ではない。

 それよりも気になるのは……


「元会長ではないとすると……一体誰がこれを見つけるように誘導したんでしょう?」


 そう、それだ。他の調査よりプライオリティーが低いかもしれないが、一度気になると頭から追いやれない。


「それは、直に分かることだ」

「ですね。では会長、失礼します」

「ああ、精々励むことだな」

 

 俺たちとは逆方向に歩き出した彼女は何食わぬ顔で捨て台詞を吐いた。


         ★


「お、噂をすれば影だな」

 人気のない廊下にその振動が伝わる。


『余計な事を喋ったらどうなるか、賢いあなたなら弁えていると思いましたが』

『待て、早とちりだ。私は真実を知っていたことを肯定しただけだ』

『ならば、いいのですが』

『第一、 私はお前の正体に見当もついていない』

『なら、妙な言動は慎むことです。身の潔白を証明したければ』

『心得た』


 暫し沈黙が流れる。

「さて、『CPU』。お前がこれからどう動くのか、楽しみだ」




「また呼び出しですか、先輩」

「今度は別件だ」

「勿体ぶらなくていいですから、手短にお願いしまーす」

「その心算だ」

 こいつに言われるまでもない。


「単刀直入に言う。お前について調べたい」

「私を調べる……⁉それで……住所、アドレス……スリーサイズ……」

「言い方が悪かった。お前の『過去』についてだ」


 その途端、急に柳の様子がおかしくなった。

 口はファスナーのように閉じ、筋肉の動きが止まり、凍り付いたように身動ぎもしない。

 徐に口を開くと、一度も出したことのない凍結した一言半句を空気を介して伝える。


「どうして、そんなことを訊くんで

す……?」

 

 重い。ここだけ重力が強くなっているのかと感じる程に。

 あれだけボーボー燃えて火の粉を撒き散らしていたのに、今はもう黒く焦げて仄かに煙が立っているだけである。


「『虐め』か……」

「はい、そうですね……」


 俺は詳しくは知らないが、彼女が受けたであろう酷い仕打ちをそんな片言隻語で片付けていいものか。

 もしかしたらそんな思考すら被害者からすれば、鬱陶しく吐き気のする偽善なのかもしれない。

 深く考えれば考える程、選ぶ言葉の選択肢は狭まり、結果的に大きな間が空く。


「でもあまり覚えていないんですよ。何故なんですかね……?」


 くすぐられたように口元が震え、引きった笑いをする。


「最初は物を隠すあたりから始まった気がします。それから……プールに落とされて、机に落書きされて……それから——」


 苛酷で苛烈な過去を封印から解き放つ度に、彼女の瞳は白に侵食され、肌は色を失っていく。錯乱や暴走より深刻な、生の虚無を悟り何もかも諦めたような眼だ。


「もういい、すまん……」

「何で先輩が謝るんですか?」

「嫌なことを思い出させた……」

「私が虐められたのは私の責任です。先輩は関係ありませんよ」


 柳は励ましの心算で発したのだろうが、俺にはそれが許可なく立ち入ったものを拒み、突き返しているように聞こえてならない。

 そういえば、いつもの柳、に限りなく近い柳に戻っている。

 自身の秘密をひた隠しにするその様子に俺は既視感を覚えた。


「私は……過去の自分を消したいんです。もう悪夢にうなされたくないんです……」

「……」


 悪夢か。それならばまだ軽い方だ。夢は大抵起きた時には忘れているのだから。

 しかし、惨澹さんたんたる記録は忘却することも叶わない。

 そう、いうなればそれは悪夢などという生温いものではなく——


「——所謂黒歴史ですね」


 肯定も否定もすることは出来ず、項垂れる。

 顔を上げると柳が辺りを見回していた。


「どうかしたか?」

「いえ、気配を感じたんですけど、気の所為ですね、きっと」


 枯れた紫陽花みたいな彼女が立ち去るのを俺はじっと見つめていた。

 柳が一度も振り返ることはなかった。

 姿が視界から消えるのを確認すると、どこかにいる傍観者に呼び掛けた。


「さっきから、コソコソと何の心算だ」

 小枝を踏み折る音がした。




 私は過去の私をもう自分だと認めてはいない。

 段々思い出してきた。歯が折れそうになる程食い縛る。

 無性に苛々いらいらする。あいつらの顔が浮かぶ。何度殺そうと思ったことか。

 前に学んだことがある。虐めが成立するのは、何も実行犯だけの力じゃない。

周りが作る空気だと。

 ならば傍観者も同罪ではないかと、収まることを知らない怒りは四方八方へと矛先を広げていった。

 私の狂気じみた破壊衝動が芽生えようとしていた時、それは起こった。

 

 「遂に自殺者が出た」と。

 その事件が切っ掛けで教員たちがより一層目を光らせ、殆どの虐めが発覚又は停止した。

 私は嬉しかった。不謹慎なことは分かっている。でも、泣いて喜んだだろう。

 その一方で私の中の凶刃は向ける相手を失った。一体この気持ちはどうすればいいのかと悩んだが、やがてそれも蒸発してしまった。

 それから私は全く関わりの無かった赤の他人の墓へ何度も赴いた。

 何も供えはしなかった。きっと邪魔になると思ったから。

 私は彼女に感謝した。彼女にとってはこの上なく腹が立つことだと解っていて。


「——いい名前だね」

 刺すような北風が側面から吹き付けた。

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