第四十五章『カイコ』
「もう、一年が経ったのか」
「そうですね……」
あの時と殆ど同じだ。人気のないこの場所も、沈んだ気持ちも。
「それで話とは何だ?」
「過去について伺いたいんですけど」
「硲か美海から聞いたのか……」
「はい……」
てっきり二人と同じだと思った。しかし、それは状況というだけで真に辛い記憶ではなかったのだ。
彼に少し虚言を言ったような気がした。確かに施設にいたことは彼女たちから耳にした。
だが、真相を語ったのは完全なる部外者とは、変な気分だ。
「『虐待』ですか……」
「一言でいうとそうだな。父親がかなりの屑だった。これだけで大方想像がつくだろうよ」
「……」
俺はまたしても言葉を失った。生声に驚いたのではなく、その闇を
闇というと漠然とし過ぎている。憤りと倦怠感で主に構成されているようだ。
「色々とされはしたが、首を絞められた時は死を悟ったな。三途の川が見えるぐらいに」
淡々と話しているが、きっとその心の傷は俺の想像も及ばないものだろう。
こんな事をあと何回続ければいいのやら。
胸を締め付けられるような感じがしていると、区切りをつけるように鐘が鳴った。
「もう戻れ」
「はあ……」
上を向いて歩けない。自分を鼓舞しようとしても焼け石に水。絶望の中に飲み込まれていくさまを俺はしっかりと記録した。
「盗み聞きとは性格の悪い」
「そんなの自覚していますよ」
物陰から
***
もう一度あの男のことを思い出すことになろうとは。
余計な真似をしてくれたものだ。
あの屑の生き死になど知ったことではない。ただ何故こう何回も邪魔をするのか、恐れを通り越して激しい
あんな奴がのさばっている社会に業腹だった。
思えば彼女たちと出会ってから俺の意識は変わったのかもしれない。
あの夜、俺は死に場所を探していた。
恐らく気が狂っていたんだと思う。
生の戒めにうんざりしていたのだったか。
他にいい思い出も無かったからか、やけに鮮明に覚えている。
真っ暗だ。街灯の微弱な光を頼りに歩き続ける。誰もいない暗夜行路。
開けた場所に出たところで、人の気配を感じた。あの忌むべき経験から培った危機察知能力だ。
近づいてみると同年代の女の子ではないか。
下りそうな
衰弱している。この様子だと何時間もここにいたのだろう。
何かを期待していたのか、すぐに俯く。
「なんでこんな所に……」
「……」
裏の裏をかいて質問したのではなく、単純に疑問と衝撃が抑えられなかった。
しかし、聞き取れているのかも怪しい。思えばただの独り言だったような気もした。
「ちょっと待ってろ」
別にそのままにしておいてもいいのではないかという考えが過った。
でも放置していたら本当に死んでしまうのではないかと幼いながらに危機感を持った。
ポケットに入った一枚の煎餅のようになったビスケットの成れの果てを差し出した。
あとは水飲み場で水を飲むよう促した。
それで漸く話せるかどうかの状態になった。
「なんで……?」
「死なれると目覚めが悪い」
零落した俺でも幸い人の心は残っていたようだ。一安心。
その後行く当てもないらしいため、止むを得ず施設に連れて行ったのだ。
数日ほど
彼女がガキどもを統べるのに一か月もかからなかった。
そして思い出したように木陰で涼んでいる俺の隣に座って一言、「ありがとう」とだけ言った。
むず痒いその礼の言葉に驚き呆れながらも、何とか返事を絞り出した。
「どういたしまして」
あれから美海先輩にも話を聞いた。捨て子であること、二人と幼い時分から親しくしていること、両親は外国にいること。
それまでの遍歴は訊かなかった。話始めると三時間はかかると宣告されたからだ。
「やっぱり。由希と隆一郎からも聞いたんだ……」
「美海先輩?」
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
曇った瞳がやっと光を取り戻して、愛想笑いをする。
後光が差す中、物静かに微笑んだ。
「戻ろっか」
試練を終えても、肩の重荷が下りることはない。
またすぐに祭りが顔を出すのだ。
「皆で頑張ろう~!」
「えっ……!」
「おー!」
たった今部活内は二分された。
どう分かれたかは言うまでもないだろう。
肯定するのは柳、神楽、美海先輩。
無投票が但馬、石見、小北。
その他は恐れ知らずの否定である。
しかし、これに意味などない。何故ならもう決定しているからだ。
勿論部長の独断だが、異論を唱えられる奴がいるとでも?
どうやら「これで最後だから」で全て通す心算らしい。
全く知らなかったのだが、今年は部活動対抗の競技があるらしい。
単純なリレーという話だが、真偽は定かではない。
はっきりとした見返り、賞品が用意されている訳ではないだろうが、注目というだけで十分なのだろう。
「誰が参加するんですか?」
「六人、だったかな……出たい人!」
小学校教師みたいに手を上げるよう促す。
流石に誰もやりたがらないだろうな。
「はい!」
あ、一人いた。
「じゃあ、私も!」
更にもう一人。
大体想像がつくだろう。美海先輩と柳である。あと提案者及び決定者の部長。
さて、あと三人。
淡い期待は叶う筈もなく、希望は潰えた。
先ず消去法で石見と小田桐先輩、白河は除外。
残り選択肢は六人になるのだが、どうやら神に見放されたらしい。
尤も神どころかあらゆる超常現象、超自然を信じてはいないが。
あったらいいなを抱く愚かな高校生である。
ということで、メンバーは美海先輩、柳、部長、堺、但馬、俺になったわけである。
取り敢えず小北を
非常に不服というか、気が進まないのは否めないが、「異議あり」と申し立てたところで裁定、独裁的決定は覆らない。弁護人でも立ててみようか。
しかし、部長の選抜は概ね適切であると思う。俺が入っている点については苦情を入れたいところだが。
下らない不満を垂れ流しながら、これからの日々にメランコリーを感じながらも、少しの心の和みを違和感として胸に刻んだ。
という訳で、部長率いる文芸部のチームは毎日のように特訓することとなった。
なにも一等賞を取ろうというのではない。恥をかかないための最低限の準備だ。
というより、逆らえないから自分にこう言い聞かせているという節もある。
学校でやるのも目立ちすぎて気が引ける為、今回自然公園に遠征?に来ている。
公園と言っても遊具があるわけでもなし、何か設けてあるわけでもない。
舗装した道の脇に木やら草花を生やしたものと言えば、想像がつくだろうか。
今はその中を廻っている最中なのである。
風が吹く度木の葉が舞い、顔に張り付きそうになる。
二人はもう遥か彼方。俺の視力を以てしてもその生体反応を捉えることは出来まい。
堺の負けず嫌いもこれだけ引き離されていると効力が出ないようだ。
「いや~大変ですね~」
鼻まで垂れた汗を拭いながら、笑顔の柳。その余裕の笑みはあの小賢しい輩を彷彿とさせる。
「全然平気そうね……」
「これでも元運動部ですから!」
あれ、この部って文化部扱いなのか?吹奏楽部の次ぐらいに判断が難しい。
尤も活動内容も明文化されていないこの部活じゃ、それの判断材料も揃えられないが。
「但馬、大丈夫か?」
「はい、先輩は……」
「辛うじて」
体力が無いためか、長時間の稼働は無理らしい。もう息が切れている。
「よ~し!休憩にしよう」
一足先に停止した彼女たちがやっと視界に入る。数キロ離れていたような気がした。
呼吸器への負担が大きい。三分の二がベンチに座り込む始末。
秋風が体の熱を着実に奪っていく。長閑な公園の隅で尋常じゃないくらい疲れ果てている完全に変な集団である。
「喉渇きましたね……」
「もう限界……」
ミイラのように歩き回って漸く自販機を見つけ、現在渇きを癒してほっと一息吐いている所だ。
「さて、もう一っ走り行こうっと!」
「賛成!」
あーあ。勝手に暴走しにいっちゃったよ。いつもはその高い波に呑まれ流される柳も苦笑いするほどの狂った勢いだ。
潤った口から渇いた笑いが零れるほどに引き気味だったが、頼もしい限りである。
そうして部長たちの競り合いを観戦していると、大樹の向こう側から身に覚えのある威圧的な視線が飛んできているのを感じた。
「どうやら、頑張っているようだな」
「他人事みたいに……」
「実際、そうだが」
「俺たちの練習を見物しに来たのではないんですよね?」
「ああ、伝えておきたいことが有ったのでな」
気が変わったとか、事態が好転するならまだいいが。これ以上の悪化を俺が食い止めるのは難しい。
「再来年まで延長してやる」
「どういう風の吹き回しですか……」
何でも要求を吞む気は無いが、ここまで来たら出来る限りのことをするしかあるまい。
「条件は……丁度いい、今回のリレー一位だ」
「は……?」
そんな気はしていた。というか、この競技自体会長が用意したように思える。
「ちゃんと部長にも伝えてある。精々頑張りたまえ」
以前と同じように用件を済ませるとすぐに林の中に紛れて消えてしまった。
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