第四十四章『カタストロフィ』
「やあ、来たね。皆勢ぞろいかな?」
既にいた。俺たちも早々に準備に取り掛からなければ。
といっても、俺のすることと言ったら、受付と客席の監視ぐらいだが。
客席は行儀よく椅子が並べられ、収容人数が意外に多いことを知らせる。
体育館を見渡しながら、俺は受付の机と椅子を
「先輩~あともう一つ椅子を追加で、お願いしまーす」
「なんでだよ」
「ほら、三人で受け付けですから」
俺は腰かけてから気付いた。何かおかしい。
何故俺が真ん中に座っている。いや、本質的な問題はそこではなく。
「よろしくお願いしますね!」
「よろしく……」
そう、明川と柳に挟まれて身動きが取れないことだ。
外部から観測すれば両手に花なんだろうが、俺の感覚としては壁の隙間で生き長らえているような感じだ。
「なあ、これ俺必要か?」
柳に退くように促す。
「それはほら、女子だけだと舐められるかもしれないので」
何とも適当な理由をでっち上げたものだ。
「すみません、邪魔でしたか?」
「いえ、そうではなくて……」
両方対応するのは流石に骨が折れる。
「あ!受付はこちらでーす」
今度は客の対応かよ。勘弁してくれ。
その時が近づく。
照明よし。音響よし。舞台よし。役者スタンバイ。
緊張と不安が入り混じっている。
さあ、幕開けといこう。
『あなたの名前は?』
『……』
『な、ま、え!』
『樹……』
「なあ、女子はこういうの好きなのか?」
「無愛想な男子ですか……ツンデレと考えれば悪くないかもですね」
「いや、何の話だ。俺は作品自体のことを訊ねた心算なんだが」
「さあ……私にはよく解りません!」
お前に訊いた俺が馬鹿だったよ。
「そうだ、明川さんに……」
「どうした?」
彼女の顔を見て、思わず俺は目を丸くした。
「はぁぁぁ……」
何だろうかこの瞳の輝きは。初心な乙女を思わせる羨望の眼差しは。
「明川、さん……?」
見入っていて全く反応する気配がない。
そうこうしているうちに俺たちの戦いは終わりを迎えようとしている。
エンディングだ。
「すみません、私ちょっと失礼します」
「……?」
俺と柳は一度目を合わせて首を傾げたが、それほど気には留めなかった。
それよりも最後まで無事に終了できるかという方が気がかりだ。
多くの意味で一連の試験は幕を閉じた。
さて、審判へと移るのか。
「只今戻りました」
「あれ?早かったですね」
すぐ舞い戻ってきた。とんぼ返りというのだったか。
「すみません、来須さん。ちょっと来ていただけますか」
そうして体育館の外に連れ出され、三つ折りの紙を渡された。
「これは……」
矢張り会長からの呼び出しだった。結果の件を報告する為なのだろうが、何故俺だけなのだろう。
苦痛な役目を俺に被せようというのか。
胸ポケットに適当に突っ込み、急いで向かった。
「ここまで十分以上か。てっきり五分ぐらいで飛んでくると思ったのだが」
「流石に目立つ訳にはいきませんからね……」
少し息を荒げながら俺は言い訳を述べる。
「さて、早速だが試練の結果を発表するとしよう」
この時ばかりは俺もかなり緊張した。どうしてかははっきりと解らない。
「今年度を以て文芸部は廃部とする」
俺はどういう捉え方をすればいいのか、どう反応すればいいのか惑っていた。
三月までに伸びたのだと喜ぶべきか。
来年には無くなると悲しめばいいのか。
この決定が彼らにどんな影響を及ぼすのか。
俺の心の乱れを感知し、意味深な一言を告げる。
「抵抗して見せろ、『英雄』」
「何故、あなたがそれを……⁉」
その問いかけに会長が応じることはなく、その情けない声は虚しく響くのみ。
ただ背中を向けて手を振る。追いかけても間に合う筈がなく、扉は閉ざされた。
***
「これで良かったのか?」
「ああ、鍵となるのは恐らくあいつだからな」
強固な扉を無理矢理こじ開けるのではなく、それを以て侵入する。
「お前らには嫌な役を押しつけたな」
「何を今更。それにこれは我々にとっての義務だ。どう転んでも結局は為さねばならん」
「良くもそんな虚言を吐けたな、浅井。どうせ、あの人に頼まれたからだろう?」
「い、いや、断じてそのようなことは……」
「お前も分かり易い奴だな」
「黙れ。調子に乗るな、裏切り者」
失礼な。裏切ったのではなく、目的のために手を回しているだけだというのに。
「にしても、名演技だったぞ。体調の優れない部下を怒鳴り散らすとか、絵に描いたような屑だな」
「彼女には謝ったのか?」
「まだ内にも漏らすわけにはいかないだろう。特にあいつは嘘が付けん」
「同感だな。心苦しいが、事が全て明かされてからでいいだろう」
「じゃあ、引き続きよろしく頼む」
「くっ、命令するな」
「了解だ」
文化祭が終了。出された判定は釈然としないものだ。
それなのに、あまり部屋の雰囲気は変わっていない。
最後に部屋に入った俺はその光景に違和感を感じざるを得なかった。
「部長、これは……」
「あ、来須君、ちょっと場所を移そうか」
そう言われて、俺は連れて行かれるまでの間に漸く部長の意図の断片を察した。
「いいんですか?あいつらに話さなくて……」
「やっぱり、来須君は聞いたんだね。柳ちゃんから劇が終わった直後にどこかに行ったって聞いてたから……」
「……」
「伝えなかったわけでも、嘘をついたわけでもない。ただ省いただけ……」
どうやら俺の同情が欲しい訳ではなく、己の罪悪感を消したがってそう発したらしい。
確かに先輩たちから見れば、その部分は無駄なのかもしれない。
しかし、彼らにとってはそこが要点であり、これからの未来を決定づけるものだ。
それを知りながら、彼女はこのような形を取った。
そう、彼女はあの二人とそれ以外を天秤にかけたのだ。会長とはまた別の意味で。
そうなれば当然、あの二人を選ぶ。そんなことは目に見えて分かっている。
大事な人間とその他の数億人とくれば、恐らく迷いなく数億人を殺す。
人は自分のこと以外はどうだっていいのだ。それは人間だからというだけではなく、生物の性格として不文律に決定づけられている。
そう割り切ってしまえばいいのに、何故この人はこんなにも申し訳なさそうな顔をしているのだろうか。
良心という名の足枷。優しさという名の鎖。
それらは世間体がどうこうとかいうものではなく、自分で自分が
奇しくもあの時と同じ場所で立場が逆だ。
果たしてここが俺の始まりの地にして、墓場となるのか。
部長は暫し俯いてから、渇いた笑いをした。
「泣くとでも思った?流石にね~」
「遠回しに人を馬鹿にする元気があるなら大丈夫ですね」
「質問は終わったようだし、私今日は用事あるから失礼するね」
その時微かに心がざわついた。何かを訊かなければいけないような、そんな気が。
「もう一つだけ質問があるんですけど……」
「何だい?」
さて、口を滑らせて引き留めたはいいものの、何から訊ねるべきかと選択に手間取る。
「この部活って何年前からあるんですか?」
「それは色々とややこしくてね~。敢えて言うなら二年前か三十年前かな」
「それはどういう……」
声は届く前に遮蔽物に遮られた。
暫く俺は座り込んでその意味について考えていた。
一体何が三十年前と二年前を結び付けているのか。
勿論文芸部、楽エン部というだけでなく他の共通点があるかどうかという話だ。
鴨が葱を背負って来るように、不可解が謎を連れてきた。
意味合いとしては全く逆だが。
そもそも部長も会長も何故俺にこんな謎解きゲームをやらせたがるのか。
どんなに頭を悩ませても出てくるのは溜息のみという徒労を強いられている。
どうでもいいことが気になるのが俺の悪い癖だ。これを放っておいたら気味が悪い。
そんな時、俺の携帯がピコンと空気を読まず鳴った。
「何の用だ、俺は今非常に忙しいんだが」
「やっぱり……そうでしたか」
おい、勝手に一人で納得すんな。
「おっと、失礼。あなたは何もご存じないんでしたね」
優越感に浸る素振りを見せながら、態と挑発するような口調で言う。
今世紀最大に腹の立つ態度だ。俺は怒りを静かに抑え込み、情報を引き出そうとする。
「まるでお前は知っているかのような言い草だな」
「事実、そうですから。といっても、直接核心に迫れるような強いものではないですけど」
「何でもいい、教えてくれ」
「そこで一つ、提案なんですが」
「何だ?」
嫌な予感しかしない。俺は悪魔に魂を売ったのだろうか。
「情報提供の対価として、僕の指示通りに動いてもらいます」
邪推するまでもなく、傀儡、道化、下僕ではないか。
「ふざけてるのか?デメリットしか見当たらないんだが」
どんな情報化不明瞭な上、何をやらされるか分かったものではない。
「来須君、僕がいつ
「あーそういうことか」
最初からこれは提案の皮を被った脅迫だったのだ。
最早選択の余地は無い。
「では早速ですが、これに目を通してください」
「これは……履歴書か?」
それもこの部活の部員のもの。
「見た目は同じですが、内容が全然違います。僕は裏と呼んでいる報告書です」
「一体どこが……っ!」
「気づきましたか?そう、あの人たちは一人残らず悲惨な過去を持っているということですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます