第四十三章『漸く、彼らの舞台が開演する。』
ここまでの一か月が非常に長く感じた。
後は本番を待つのみだ。
今日と明日の二時から公演開始。
別に俺は重要な役を任されている訳ではないが、傍で固唾を飲んで見ていると、こっちにも緊張が移りそうである。
だがしかし、逆に言えばそれまでは予定がストンと抜け落ちている。
この言い回しだといつも予定が詰まっている多忙な人間のように聞こえるが、実際は全く違って、なんならスケジュールが埋まっていること自体が珍しい。
「おや、来須さんではないですか」
「それを言うなら、そっちはまたトリオか」
「何となく一緒になりまして」
「こんにちは!」
「こん、にちは……」
あれ?
俺は違和感を覚えた。
石見が普通に喋っている。前の単語だけの棒読み音声ではなく、自身なさげの蚊の羽音のような声。
「驚きました?」
「ああ、なんでまた急に」
「ほら、この前の一件で」
一件。思いつくのは一つしかない。いや、俺の勘が鋭いんじゃなくて、単にそれぐらいしかここ最近で記憶に留まった出来事が無いというだけで。
あの花火をした後、石見はテンションが上がって我を失っていたのか、柄にもなく皆と歓談をしていた。
それじゃ言い方が悪いか。彼女はあの瞬間変わったのだ。
それも人間としてはかなり良い方向に。
俺も見習わなくては、と変なことを口走ってしまいそうになった。
現在の彼女は過去の彼女よりも進化している。
前向きな煽てのように受け取れるが、現実それは部員の誰から見ても明白だったろう。
「どうです?先輩も一緒に回りたいですか?でもまあ先輩は孤独がお好きですから——」
「——じゃあ遠慮なく」
「ですよね、先輩は行かないって——あれ?」
柳が驚くのも無理はない。確かに別に断ってもよかったんだが、一人でいてもやることが思いつかないから、取り敢えずだ。
「おい、置いてくぞ」
「ま、待って下さいよぉ~!」
一生懸命追いつこうとしている彼女を尻目に、俺たち三人は不覚にもクスリと笑みを零した。
「う……まだ、頭がクラクラする」
「同感、です……」
まさかここに無数にあるお化け屋敷を全部巡ると言い出すなんて、誰が予想できただろう。
そういえば、石見はああいうのが苦手だったな。終始縮こまっていたし。
一方、柳は典型的な女子高生みたいに人目も気にせず、
神楽はというと、作品として評価しているのか、お化け役が出てきても瞬きもせず、頤に手を当ててじろじろ見回していた。
御蔭で係の生徒に一体何をしに来たんだと、訝しむ鋭い瞳孔を突き付けられた。
矢張り正規ルートから大きく脱線しているようだ。
「じゃあ、俺はそろそろ失礼する」
「分かりました。ではまた後程」
「じゃあ、また~!」
二人は気まぐれな幼児のように駆け出していくのに、ただ一人その人影は留まっていた。
「何か用か?」
「えっと……」
パッと見、明川のような仕草をするが、彼女の場合はすることは定まっているのに、行動に移せないというもどかしさを感じさせる。
不器用に巣から飛び立って行く小鳥を見ているような、小鹿がガクガクする脚を立てようとするのを見守っているような。
「この喋り方、変じゃない……でしょうか」
たどたどしい人語を懸命に紡ぎながら、こちらに詰め寄ってくる。
前とは雰囲気が全く違う。その些細な仕種さえ、人を引き付けるような未熟人間。
だからこそ、この上目遣いは破壊力抜群だろう。俺でなきゃ変な気を起こしそうだ。
「ああ、変じゃない。それで正しい、とは言えんが着実に近づいているな」
さて、一体何に接近しているのか。俺でさえ解らぬその答えを彼女は悟ったように頷いた。
「はい、頑張ります」
自信に満ちた顔つき、漸く傲慢と強欲が発現してきたようだ。
一見腐敗のようなその現象も、成長へと塗り替えてしまう彼女は矢張り『天才』と呼ぶべき人間なのだと俺は勝手に思い込んだ。
もう昼時だと携帯のホーム画面を見て気付く。
群れの中を掻き分けてどうにか進んでいる。
「もう、こんな時間か……」
大して動いていないから、腹の虫も留守——ぐぅう
——ではなかった。
何もしなくても腹は減る。最早それはどうしようもない。
省エネの無意味さを思い知る。
昼飯は屋外ににしか無さそうだったから、仕方なく日の下へ出でた。
そして一番近かった
「どうも、ご無沙汰しています」
「小田桐先輩もお昼ですか?」
「こんにちは」
男子部員が集まっている。不思議なこともあるものだと観察しながら「ああ」とだけ返す。
「いや~大変でしたよ。道行く女性に振り向かれて、連れの男性に睨まれました」
「それは嫌味か?マウントなら他所でやれ」
「僕も思わず謝っちゃいましたよ……」
ふむ。面が良いとは必ずしも良い結果を招くわけではないのか。
自分だけでは絶対に成し得ないその発見に、俺は珍しく感想を持つ。
果たして能ある人間は幸福なのか不幸なのか。
それは持ち主である彼らの判断に委ねられている。
ただ食す事がつまらないのか、饂飩を
「意外と、美味いな……」
「そうですね」
「調理の仕方が良いのか」
「何か裏があるのでは?」
今まで自分の発言にこんなに反応が集まったことがあっただろうか。
確かにあいつらが居てくれたことは大きい。
だが、それ故に他の人間とは関われなかったし、一切の信頼も興味も寄せてはいなかった。
その事実が今が良いということを気付かせる。
昼食を食べ終えると、一斉に席を立ち、
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