第四十二章『暗黒の金曜日』

 何日も連続で居残りをするのは久しぶりだ。部活は適当な日程だし、ただ部屋にいるだけだしな。

 俺は今画面の前に拘束されているかと思うぐらい、仕事に追われている。タダ働きは御免なのだが、今回はそんなことも言ってられない。

 審査の件もそうだが、自分が参加する以上、何かしらの成果、働きは目に見えて分かるように残しておかなくては。

 うぅぅ……疲れた。

 少し休憩するか。

 たまに休息を取らないと、作業効率が落ちるらしいし。

 その実、予想以上に辛くて、英気を養わないとやっていけないような感じだ。

 俺がこの校内で唯一気に入っている場所へ来た。

 そう、休憩所である。

 今思い返してみると、ここでは色々なことが起きた。まあ、ここに限った話ではないか。

 だらしのないたるんだ動き、引き締まらない顔でカタツムリのようにのろのろと歩いていると、見知った顔が眼に映った。


「あれ、明川さん?」

 口と声帯が勝手に動いてしまい、少し焦る。


「え、く来須さん⁉」


 別に気配を殺していた心算はないのだが、相当肝を潰してしまったようだ。

 向こうが俺の数倍も焦りテンパっているのを見て、少し俺は冷静になった。


「すいません、驚かせてしまって」

「い、いえ……私が小心者というだけなので、気にしないで下さい」


 相変わらず調子が狂う。これが普通、いいや善良な人間で間違いないんだろうが、なにせ感覚が麻痺しているものだから、逆に理解が追い付かない。


「どうしてこんな時間まで学校に?」

「あーそれは……文化祭の準備ですよ」

「大変ですね……」

「そんなことは……あるかもしれません」

「うふふ、正直ですね」


 この人は女神かもしれない。疲労で眠気が増していたからか、そんな戯言が脳を覆った。

 もしかしたら、金の斧をくれるかもしれないな。


「ところで、明川さんこそ何故まだ残っているんですか?」

「私は雑務が有りまして。ほら、文化祭前に書類を片付けないといけませんし……」 


 なんとも勤勉なお人である。あいつらにも分けて欲しいくらいだ。


「せんぱーい!何してるんですか~?」

 噂をすれば影。中でも最も欠けていると思しき奴だ。


「あ、柳さん。お疲れ様」

「あ~どうもどうも、えーっと……生徒会書記の方!」

 ボリュームで誤魔化そうとすんな。


「名前何でしたっけ……?あの、先輩の偽カノだった人ですよね?」

「何だその変な覚え方は。相変わらず失礼な奴だな、お前は」


 こそこそと作戦会議をしている俺たちを明川は満面の笑みで見つめる。


「もういい、素直に謝ってもう一回やり直せ」

「ですね……」

 というか話し合うまでもなく、一般常識ならそれ一択だ。


「すみません……」

 柳が九十度頭を下げると、明川は焦ってフォローしようとする。

「いえいえ、私って影薄いし、存在感ないですから」


 謙遜だとも言い切れない。明川はあまり目立たないのだろう。

 というより、自分から目立つことを避けているようにも考えられる。

 考えてもみて欲しい。もし明川が表舞台に率先して立っているとしたら、それこそ他の女子たちが入り込む隙も無いほどに、人気を博し、男子から詰め寄られるだろう。

 しかし、そんな噂は耳にしたことがない。

 まあ、誰も俺になど教えてはくれないのだとすれば、それまでだが。

 

 生徒会に在籍しているからなのか、それとも別の事情が有るのかは見当もつかないが、何れにせよ、これ以上詮索する心算は無いし、もっともそれは彼女への背信行為に当たるため、どうにも判断が揺らいでいるというのが、正直な話だ。

 尤も彼女が俺を信頼しているかというと、五分五分、いや三分七分で若干望みは薄い。


「よし、戻りましょうか!」

「ああ、そうだな……」

「はい」


 柳はまだまだ力が有り余っているのを喧しいほどにその動作で表現しながら、さっさと俺たちを置いて走り去ってしまう。

 マラソン大会で友達を裏切るタイプの奴だ。まあ、今時そんなもの無いが。というか廊下を走るな。

 目の前で堂々と柳が疾走しているのだが、お叱りの大声は聞こえない。

 そんな兎のような奴を気にしている場合ではないのか、明川は俯いて何やら考え事をしている。


「……」

「明川……さん?」

「はっ、はい。何でしょう⁉」


 面白いぐらい取り乱して先程の一・五倍くらいの高音を上げる。

 俺はどう言葉を紡いだらいいのか分からず、出るのは空気だけ。

 明川に至っては、羞恥心から顔に火が付いたようだ。


「そういえば——」

 この空気は良くないと感じて、必死に話題を提示しようとしてみる。


「なんで、明川さんも演劇に参加しているんですか?」

「あの、それは……生徒会の仕事です」

 何故、生徒会が他団体の手伝いをする?


「どういうことですか?」

「人手が足りない所に人員を派遣することになったって……会長が」

「でも、生徒会も結構仕事ありますよね……」

「『二人で十分だ』って会長が仰っていて……それで——」

「——補助ですか……」


 それが誠ならば、会長もまた、無茶苦茶な人間だ。

 数人分の仕事をたった二人で取り持つなんて、狂っているとしか思えない。


「なので、制作に限らず、あらゆる仕事をサポートします!」


 明確な仕事が定まっていない役職ほど、終わりが見えず、ハードだということは彼女も承知の上だろう。

 にもかかわらず自滅するような経路を辿たどるということは、会長をかなり恐れているのか。

若しくは彼女も俺たちと同じカテゴリーに属し、中でも突出するような集合「狂人」の一人なのか。

 俺は、壮大に意気込みながら微笑む彼女の側で、ひっそりと微苦笑した。




 そんなこんなで前日準備へと場面は移る。

 前日の仕事は大方広告紙を貼ることぐらいだ。

 他に有るのだとしても、言い渡されていないからいいんだろう。

 それよりも……


「いや~楽しみですね!文化祭!」

 こいつ当日の業務忘れてないだろうな。


「そうですね」


 どうして明川まで……いや、嫌っている訳ではなく。単純に生徒会という肩書で、思わず警戒してしまうというだけで。

 傍から見たら、さぞ幸せな光景だと思うんだろうな。俺もそんな御目出度おめでたい頭になれたら、苦労しないんだが。

 俺を羨望する奴の思考回路を皮肉交じりに羨望する。

 俺たちは現在、校内を歩き回ってポスターを掲示している。

 大した仕事ではないが、核となる部分なのは間違いない。

 だから、なるべく丁寧にこうして貼り付けている。

 にしても、このポスター気合入ってんな。

 これ持って歩き回るの恥ずかしいんだが。


「柳、そっち終わったか?」

「オッケーです!」

「あれ、明川さんは?」

「おかしいですね、戻ってこない」


 辺りをきょろきょろ見回していると、明川を発見した。それと同時に最悪の予感が当たってしまった。


「なに?私たちがぶつかったって言いたいの?」

「いえ、そうではなくて……」


 はあ……やっぱり。

 男なら投げ飛ばして解決するが……幾らやかましくて野蛮でも、相手は女だ。

 別に女だから殴れないという訳でもないが、色々と面倒なことになりそうだ。


「どうします?」

「取り敢えず明川さんを回収して、適当に謝罪の弁を述べながら退却するか」

「ですね」


 打ち合わせをしていざ参ろうかとした時、背後から肩を叩かれた。

 その人物は俺らを通り過ぎ、そのリング内へと怖気づく素振りも見せず、一直線に向かっていく。


「あんたみたいな鈍間が歩いてると邪魔なのよ!」

「すみません……」


 その女子生徒が続けて罵声を浴びせようとしたその瞬間、一気に彼女たちの顔は青ざめた。


「ほう……それ以上は生徒会への挑発と見做していいな?」

「なんで、ここに……」

「か、会長⁉」

「さあ、どうだ?まだやるか?」

「大人しく逃げよう!」


 仲間の一人に助言され、そそくさとその場を去る。


「有難う御座いました……」


 明川は深くお辞儀をする。

 そしてまだ状況が呑み込めていない俺たちの下へ来る。


「すみません、貼付すら真面にできなくて……」

「いえ、それはいいんですけど……大丈夫でした?」

「あ……それなら大丈夫です。慣れてますから」

 

 暫し沈黙が流れる。

 そこで会長が手を叩いて、皆の注目を集める。


「そこまでだ。この話はもういいから、仕事に戻れ」

「「「はい」」」


     **********


 自分たちの仕事が一段落して、私たちは他の担当の作業場を手伝いに赴くことにした。


「着きましたよ」

「うわぁ……凄いですね、これは」

「俺たちより情熱的というか、青春って感じがするな」


 皆手を休めることなく、意見を交わしながら順調に進んでいる。

 その中で一際目立っているのが彼女だ。   

 あ、勿論立場的な意味で。


「皆さん、どうしてここに?」

「いや、手が空いたら他の所を手伝えとの命令だ」

「少しは休みたいですよね~」

「お前は十分休んだだろ」

「そうかも、しれないですね~」

「そういう訳で、何かお手伝いできることはありますか?」


 明川さんの問いかけに、神楽先輩が応答する。


「じゃあ、来須さんはこっちで大道具作るのを手伝ってください。二人はあっちの片づけをお願いします」

「分かった」

「了解です!」

 

 それにしても、何故先輩だけ大道具の手伝いをするんだろう。

 私は不思議に思いながらも、掃除と片付けに専念した。

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