第四十章『夏の亡霊』

「遠慮、無理……」

「お願い、ちょっとだけ!」


 乗り気ではない石見を強引に美海先輩は連れ出した。

 多少力ずくではあるが、これぐらいしないと、石見はまた閉じ籠ってしまうだろう。

 先輩がそこまで計算しているのかは知らないが。

 本心から嫌だと思っているのなら、彼女はその手を振り払い、指を挟むぐらいの勢いで扉を固く閉ざす筈だ。

 それをしないということは、矢張り遊びたいのだろう。

 こういう時、うじうじといつまでも引き摺り、判断を誤るのが人間の残念さであろう。

 斯くして俺たちは石見の拉致に成功した。


「お!来た来た。遅いよ~」

「ごめーん!」


 ったく、人が大変な思いしてる時に暢気な奴らだ。

 全員揃うまで待てんのか。


「ほら、あなたの分」


 堺が落ち込んでいる石見に笑いかける。何でこうも対応が違うのやら。


「私は……」

「つべこべ言わずに早く持ちなさい」

「はい……!」


 少し恐縮しているかに見えた彼女も、もう口が綻んでいる。

 やっぱり、自分に嘘はつけない、か。


「なんか嬉しそうですね」


 ススキ花火を持ちながら、向こうをぼうっと眺めていると、神楽が知らないうちに真横にいた。うーむ、意識が飛んでいたとはいえ、気配を感じなかったとは、こいつは暗殺者なのか?そうであっても、頷いてしまう気がしなくもない。


「ただ、問題が片付いて一段落したってだけだ」

「ふーん……」

 一体何が納得いかないというのか。


「良かったですね、大切な仲間、部を護れて」

「非常に不本意だが、結果としてな」

 話が終わる頃にはもう、手元の花火は消えていて、尚且つ線香花火以外の手持ち花火がバケツの中だった。


         **


 花火の後、自由な時間ができたため、僕は外に出て望遠鏡を覗いた。

 一応、説明しておくと、流石にこれは自前ではなく、旅館の人に借りた。

 ベガ、デネブ、アルタイル、アンドロメダ、アンタレス。

 指をさしながら、一つ一つ確認してみるのだが、やはりうろ覚えだ。

 都会よりも星が多く見えるものだから、困惑する。


「こんなとこで何してるんだ?」

 最早聞き慣れて違和感すら感じなくなった機械音声。


「天体観測です。面白いですよ」

「いや、遠慮しておく。眺めているだけで十分だ」

 

 いつもは脆く頼りなさそうという印象なのだが、何故だかこの人の真剣な表情はいつになく緊張するぐらい、気迫がある。

 話題が特に出されなくて、結果的に沈黙に置き換わる。

 そんな時、夜空に斜線が出現する。


「お、流れ星か」

「そうですね……」


 本当に願いが叶うかは別として、何か願ってみようか。今一つ思いつかないまま、それは消滅する。


「部の存続でもお願いしたのか?」

「まあ、そんなところですね」

 

 それを訊ねるということはきっとこの人も口には出さずとも、少なからずそれを望んでいるのだろう。


「ところで、生徒会を止める手立ては用意できたのか?」

「まあ、ぼちぼちですね」


 作戦というよりは、策という感じだろう。

 満天の星空を眺めながら、策士の如く笑ってみた。




 夏休みの合宿という名目の旅行はつつがなく、いや多くの奇怪を生じさせながらも振幅を停止した。

 さて、夏季休暇は八月へ突入し、勉強する気も起きない暑さをただただ疎む毎日である。

 ご察しの通り、一介の高校生のように友人と交流する気なんて更々ない俺は、無駄に体力と電力、その他諸々の貴重なエネルギーを浪費しながら、実りの無いことを反復する。

 まあ一応今日は外出する用事がある。

 課題で美術館及び博物館のレポートを書けと命じられた——気がする。

 適当に残り物を食べて、昼食とし、最低限の荷物を持って尻込みながらも、覚悟して戸を開ける。

 暑い。死ぬ。

 余りの熱気に語彙力すら死んできた。

 尋常ではない。


「「暑~い……!」」


 何やらユニゾン、シンクロ、レゾナンスする心から漏れ出た叫び。

 意識を朦朧とさせながらも、認識できる存在。

 そんなのこの地球上で一人、いや二人三人ぐらい居たかもしれないが……まあ、いいか。


「それで——何であんたがいるわけ?」

「そっちこそ、何故……嫌がらせか?」

「そんな下らないことするとでも?」

「なんてこった……」


 もしこれが意図的でなく完全なる偶然だとしたら、俺とこいつの思考は一部であれ、一致していることを結論づけることになる。

 その過程が真実だとするならば、これは互いにとって忌まわしき結果な筈だ。


「まさか……」


 俺と堺は顔を見合わせ、同時に同じ言葉を口にした。

 それ、則ち……

 そう、当然ここから最短距離の目的地も同様だ。



 何も話すことがない。現在俺たちはバスに揺られている。時間が中途半端なだけに大して混んでいる訳もなく。

 しかし、重要なのはこの後だ。何を血迷ったか、堺が俺の隣に座ってきた。

 勿論、しっかり距離を取ってはいるのだが、沈黙の中に取り残されていることにより、凄く近く感じる。

 社会的に自然でも、俺たちにとっては不自然である。


「……」

「……」


 意外と近所だったようで、もう次のバス停だ。

 ベルが鳴り響き、赤い文字が浮かび上がる。


「着いたわね……」

「着いたな……」

 想像していたよりずっと巨大で、格式の高そうな建物だ。学生如きが入っていいのか?

「い、行くか……」

「そうね……」

 汗が垂れてきたのはきっと猛暑の所為だろう。


 中に入って美術の良し悪しも判らない俺たちは、取り敢えず一つずつ見て回るという動物園に来た幼児と何ら変わらぬ形式で、俗人らしく影を薄くしていた。

 そして漸く半分ぐらいのラインで、疲れが出てきた。


「ふぅ~やけに広いな」

「面積広いし、空気は重いしで、本当居心地悪い場所ね」

 

 喩え百年かけたとしても、きっとここに相応しい人間にはなれないだろうよ。尤もそんな大層なものになる気なんて更々ないが。

 その証拠に、もう椅子から腰が離れそうにない。

 少しリラックスモードに入っていると、妙な気配を感じた。


「げっ……」

 堺が何か都合の悪そうな物を見たような、青い顔をする。

「やっぱり、君たちだったか」

「何の用ですか」


 堺の口調が俺の時より冷酷になる。

 その視線の先には、俺よりも背丈の長い、いかにも体育会系の女性だった。

 それでいて、見目好みめよいというのは些か都合が良すぎる。


「お邪魔だったかな?」


 俺の方を一瞥して、堺の魔眼を受けているにもかかわらず、平然且つ堂々としている。


「余計なお世話です」


 これが生徒会長。あの眼鏡の上司。ということはディオニスも驚くほどの邪知暴虐か、将又鋼鉄少女アイアンメイデン的な通り名を持った氷の女王か。

 何れにせよ、森々としていて流石は生徒会長といったオーラだ。


「態々話しかけたのに、相変わらず辛辣だな」

「誰が?」


 うーむ、どうしたものか。俺全く関係ないのに修羅場に引きずり込まれたんじゃないか?

 数センチずつ足を擦るようにして、戦線離脱を試みる。

 巻き添えを食らった俺は周りの目を気にしていた。

 この光景から推測されると、俺が悪者にされそうな気がした。


「二人とも、場所を移動するぞ」

「え、ちょっと!」

「うむ、致し方あるまい」


 会長の方に関してはすんなりと指示に従ったのだが、変なところで頑固な堺はまだグチグチ小言を零している。

 それにしても……やっぱり外は暑い。

 予定ではもう少しあそこで涼む心算だったのに、もう戻れない。


「どうして、お前、そんなに攻撃的になってるんだ?」

「何故って当然でしょう?この女が諸悪の根源なのよ?」

 つまりこの騒動の元凶、廃部提言者か。


「別に私は部を無くすことを強行するとは言っていない。ただ検討の必要があると提案したまでだ」

 

 何だろうか、この温度差は。

 一番分かり易いのは、炎と氷のイメージだろうか。

 在り来たりすぎて表現として秀逸とは思えないが、それが適切だろう。

 会長は余裕の笑みを浮かべ、その器の大きさを体現しているようだった。

 堺はどういう訳か、攻めに転じている。いつもはカウンター型なのにだ。

 両者睨み合い、何か戦闘でも始まるのかと冷や冷やした。


「おっと、もうこんな時間か。では、私は失礼するとしよう」

「絶対にあんたの思い通りにはさせませんから」

 

 意図せず、女子の恐ろしさ、野蛮さを思い知らされた俺は、溜息を吐くことしかできなかった。

 俺の知らない所で一体何が起こっているのやら。

 その案件について沈思黙考していたら、うっかり停車ボタンを押し忘れそうになった。


      ********


「それで、どういう心算?」

「何のことかな?」

「恍けないで。あなたあの二人と接触したようだけど」

「あそこに居合わせたのは偶々たまたまだ。それ以上の理由は無い」

「いや、あなたは何かしら目的がなければ、あんな場所に訪れる筈がない」

「根拠は?」

「あなたには似合わない、華麗なる娯楽の象徴だから」

「成程、確かにその通りだな。あんな物に微塵も興味はない」

「じゃあ、やっぱり……」

「何か誤解しているようだが、危害を加えようとした訳ではない。寧ろ噛み付かれたな」

「ああ……彼女が」

「青年の方は逆に反応が薄すぎて、寂しいくらいだったな」

「まあ、彼は最近まであなたのことも全く知らなかったみたいだし」

「ほう、この学校にまだそんな肝の据わった奴がいるとはな」

「何度も言うようだけど、ちょっかいを出さないように」

「心得ているさ」

 

 信憑性のない言葉に加えて、この堂々とした立ち振る舞い。

 生徒会長である前に、この人は何か別の大きな存在なのではないかと、曖昧な直感が生じたが、狼狽からきた一種の幻覚だと思い、気にも留めなかった。

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