第三十九章『頂を目指す少女』

 さて眠ったら一瞬で東雲しののめ。三日目が始まる。今日の昼間は特にやることがないらしい。

 その分夜はイベントが目白押しだとか。

 え~っと、花火に天体観測、肝試しなんかもあったな。

 ということは自由時間か。散々予定を押しつけられて少し抗ってはいたものの、実際やりたいことは無いというのがいかにも俺らしい。

 朝食を済ませ、俺は室内をうろうろと歩き回る。

 

「予定、未定?」

 死角から亡霊のようなか細い声に呼ばれた。


「なんだ、石見か。どうした?」

「是、写真。山頂!」


 まさかこいつ、山頂まで連れてけと命令しているのではあるまいな。


「おいおい、こんな所に行くのか?」

「勿論‼」

 やけに強引だな。確かにいい景色ではあるけども。

 多分、特別高いわけでもなさそうだが……しんどい。


「早速、出発!」

「おい、行くと言った覚えは——」 


 言い終えられず、俺は石見探検隊に引き入れられたわけだ。

 二人じゃ隊としての体を成してないが。




流石に体力貧弱の俺と石見だけでは数日経って、遺体で発見され兼ねない為、止むを得ず

この人に協力を要請した所存だ。


「なんか面白そうだね!」


 美海先輩ならば、断崖絶壁も見事攀じ登ってくれるだろう。

 要するに単純な身体能力の強さである。

 凄い引き気味に提案したのに、何故か乗り気であっさり承諾。

 二日続けて山に潜ることになろうとは。叢を掻き分けて進んでいると、今更ながら後悔が込み上げてきた。

 石見は異様に張り切って、カメラを構えながら舞う。

 閑静な山奥に寂しくシャッター音が響く。


「いい動きだね~石見ちゃん。私も負けてられないな」

 一体どこで張り合おうとしているんですか。

「本当に良かったんですか?こんなのに付き合わせて」

「な~に言ってるの!後輩の面倒を見るのは当然でしょ?」

 えーっと、保護者面をされてるとこ悪いですが、実のところ護衛とか傭兵的な感じなのですが。


「そう、ですか……」

 俺は罪悪感を感じ、言葉を詰まらせた。

 そんなこんなで頂上に着いた。猛獣や毒虫が出なかったことにまずは感謝しよう。


「見事、絶景!」

 彼女の瞳が再度閃いた。写真家志望の血が騒いでいるのではないだろうか。

 別に上からの写真など衛星からでも撮れるが、そういうことではないらしい。

 記録だけだった写真撮影が今や芸術となりつつある。

 全く同じ景色は二度は撮れない、と石見が専門家気取りの口調で話していたのを思い出した。

 確かにその通りかもしれない。都会に限らずこんな大自然も変化を絶やさない。

 今日という日が二度と来ないのと同様の意味合いを持つのだろう。

 まあ、そんな事関係なしに世界を俯瞰しているというのは気分がいい。

 物理的な高低差によって、精神的にもそう錯覚してしまう。


「少し風が出てきたね」

「おい、石見~。そんなに乗り出すな」

 その時、案の定疾風が吹き抜けた。

 その後何が起きるかはご想像の通り。

 石見は体勢を崩し、崖の方へ流される。

「ちょっと!」

「石見!」

 彼女は悲鳴の一筋さえ上げなかった。

 きっと驚きによるものだろう。

 美海先輩の手は惜しくも届かない。


「くっ……!」

 俺は極限まで腕を伸ばすようにして、何とか彼女の腕を掴んだ。

 腕が引き千切れそうだ。重力の負担がほとんど腕にかかっている。


「大丈夫⁉」

 すぐ横から飛び出してきた美海先輩が補助してくれる。

 一気に軽くなった。なんて怪力だ。


「うおりゃぁぁー!」

 その声に合わせて一気に引っ張り上げる。

 石見は脚を地面にべったり引っ付けたまま動かない。


「謝罪……」

 言葉数少ないのがさらに悪化して、もう既に単語のみである。


「いいって。それより怪我無い?」

 うずくまっている彼女はこくりと小さく頷くのみだ。


「歩けるか?」

 やはり恐怖が抜けていないようで、真面に動ける状態ではない。


「じゃあ、帰ろうか。後輩君、肩貸して」

「分かりました……」

 未だに小刻みに震えている彼女を支えながら、俺たちは山を下った。


     *********  

 

 あんなことがあったからか、彼女は部屋で横たわっている。

 私には彼女を慰めることしかできなかったけれど。いや、それすらも十分にこなせたのか怪しい。

 本当に寿命が縮まるかと思った。こんな体験はあの時以来かもしれない。

 実際、彼女を助けたのは彼だ。私の出る幕などない。

 昔の出来事と重ねながら、私は思い馳せる。

 ふと気配を感じた。思わず拳が突き出そうになるが、ぐっと抑える。


「こんな所に居たんですか……?」

「まあね。月が綺麗だよ?」

 洒落た句が思いつく筈もなく、御座なりな応答をする。


「本当ですね……」


 あれ……? そこはなんか突っ込むところじゃないかなぁ?


「どうかしました?」

「い、いや何でも」

 いけない、いけない。年長者の私がこんなんでどうする。

 私は頬を叩く。


「昼間は有難うございました」

「あはは……やけに礼儀正しいね」


 無理もないか。幾ら無事だったとはいえ、目の前で死人が出そうだったのだから。

 私も実のところ空元気を絞りだしているわけだし。

 空は黄昏て、私たちもまた黄昏る。


「二人とも~花火やるよ~!」


 由希の声だ。全く、気分ぶち壊しだよ。

 先程までの悩み顔が馬鹿らしくなって、思わず笑う。


「ほら、行くよ。後輩君!」

「でも、石見は……」

「無論、彼女も連れ出すさ!」


 私は少年の腕を掴んで、駆け出した。

 さっきまでの精神ドーピングではない。

 高校生の夏が楽しくなくてどうする。

 どんなに批判をされても、私は勝手に明るく馬鹿みたいに空気を読まずに生きてやる。

 改めてそう心に誓った。

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