第三十六章『真夏の青春方程式』
この合宿?をするに当たっての、参加条件は厳しいものだった。
何故ならそれは「夏休みの宿題を全て終わらせる」だったからだ。
指の感覚がなくなるほど、長時間労働を強いられ、俺はゾンビかミイラと化したのだと思う。それにこの熱帯のようなしつこい暑さだ。全く、季節すら俺に冷たくするというのか。現在とてもホットだが。
冗談はこれくらいにして、海岸線へと意識を戻そう。
水平線をぼんやり見つめながら、座り込んでいる。部員たちが仲良く戯れている。ちなみにビーチバレーをしているらしい。
俺もさっきまで参戦していたのだが、なんせ普段スポーツはおろか、運動もまともにやっていなかったものだから直ぐに体力が尽きた。だからこうして海辺に佇んでいるのである。
一応、傍には小田桐先輩がいる。いつぞやの光景と似ている。
「元気だな……」
「そうですね……」
キャッチボールが尋常じゃないほど鈍く、その合間を縫うように波がざあっと騒めく。
海は凪いでいる。まるで嵐の前かと思うほど。
「えい!」
どうやら神楽がレシーブし、小北がトス、部長がアタック、と三段攻撃を綺麗に決めたようである。
石見のカメラが瞬きをして、その勇姿を写真に収めている。
どれだけやっていたのやら、滝のように汗をかいている。
「はぁ~……もう駄目……!」
堺など俺の真横とも気にせず、倒れ込む始末だ。
例の五人はまだ平気そうだが。
おい、小北。爽やかにスポーツドリンクを飲むな。
非常に嘆かわしいが、こいつは何をやっても絵になるどころか、CMにすらなりそうだから、余計に不愉快だ。
矢張り、大事なのは器ではなく、中身だな。
小北や堺、神楽と居ると、強くそう思うのだ。
「ふぅ~楽しかった~!」
「お腹空いたね」
「丁度お昼の時間という訳ではないですが、早めに済ました方がいいんじゃないでしょうか」
「賛成」
「じゃあ、誰が買いに行きます?」
「それは勿論——」
言わずと知れた平和的且つ公平な勝負、じゃんけんである。
簡潔に言うと負けた。
しかも堺と行かなけりゃいけないときた。
これは多分悪魔の仕業だ。
第三者の悪意に敏感になりながらも、俺は課せられたパシリ的な罰を受ける。
所謂海の家までそんなに離れているわけではないのだが、想像以上に人が多く、違う波に呑まれそうだ。
付け加えておくと、俺たちがいた場所はその端っこで、かなり岩場に近いため、あまり人が集まらない場所で、それをいいことに好き放題やっているという具合だ。
人混みという凪ぐことのない海の荒波に揉まれ、方向感覚が狂いそうだ。
おまけに堺も見失いそうだし。
「ぐっ……」
「……」
急に堺が俯いたと思うと、また掌を握られた。
逸れないようにという策なんだろうが、別に他の場所を掴んだっていいわけで。
しかし、彼女がまだこんな感じなため、不問とした。
やっと流れ着いた店で、人数分の食料を買うのは意外と大変だった。初めてこんな量を購入した。
あとで一人ずつ請求しよう。
食い物の入ったプラ容器を袋に詰めこみ、歩き出そうとしたところで気付いた。
「ん……?」
堺がいなくなった。恐らく迷子になったのだろう。
ここがデパートやプールなら、迷子センターへ直行するところだが、それもない。
アナウンスされるのは中々に恥だがな。
「はぁ……」
仕方なく辺りを見回す。
五分ほど捜索していると、それらしい姿を見かけた。
「うげっ……」
何か変な声が出た。結構まずい状態である。
堺の奴、男に囲まれてるぞ……物陰から様子を窺う。
どうやら、いちゃもんでも付けられて、反撃に出ているらしかった。何とも
「そっちがぶつかってきたんだろうが!」
「何言ってんの、そっちが前見てなかったからでしょ」
しかし、言い合いで済みそうにないことは相手の身形から分かった。所謂はみ出し者か。
「よし……」
緊張と恐怖を押し殺し、特攻する!——つもりだったのだが。
「とりゃー!」
なんと、救世主が現れたらしい。ほっとしたようながっかりしたような、恥ずかしいような。
「ぐほっ……」
ついさっきまで吼えていた不躾な犬は蹴倒され、周りの五月蠅く
「大丈夫~?」
「は、はい……」
彼女は開いた口が塞がらないようで、出目金の如く目を飛び出しそうだった。
その勇者が知り合いだということは言うまでもない。
そう、察しの通り美海先輩である。武道の心得まであったとは、計り知れないお人である。
「ありがとうございます」
「いや、いいよ。偶々通りかかっただけだし」
一件落着かと油断したその時、さっきの犬、じゃない不良っぽい男が急に立ち上がり、殴りかかろうとする。しかも仲間に合図を送っていたようで、一斉に攻撃を仕掛ける。
驚き焦った俺は傍に落ちていた、奴らのであろう空き缶をそいつらの顔面目掛けて、シュートする。
計算に狂い無し、クリーンヒットである。
それによって狼狽えた軍勢を彼女は又もや、薙ぎ払った。
「ふぅ……しぶといなぁ~」
よし、じゃあ気付かれないうちに退散——
「——誰かいるの?最初から妙な気配がすると思ってたんだよね~」
「さっきの正確な狙撃、まさか……」
「ねぇ?後輩君」
あの時の英雄気取った俺を叱責してやりたい。結局情動のままに行動してしまう。
下らない正義を振り
観念して、両腕を上げて闇の中から出現してみる。
「来須……」
「凄いですね……男たちをたった一人で捩じ伏せるなんて」
「全然。凄かないよ。この力は私の黒歴史を生んだ元凶なんだから……」
美海先輩は握り拳を見つめながら、深刻な面持ちで呟く。
「——まあそれはいいとして、後輩君。かっこよかったよ~」
くっ……
そう悔し気に堺を一瞥するが、吹き出すこともなく鏡のような目で俺に何かの光線を出していた。
何やら浮かない表情。調子が狂う。
「さあ、戻るよ!」
「「はい……」」
*********
日は没し、夜も更けて陸風が吹き始める時間帯になった。
澄み渡った藍色の天に点々と星が灯る。
星と星。文面では全く区別がつかないなぁ。地上の星と天上の星。
私の名前の由来である神秘的な光を放つ彼らは、今日も変わらずそこにいる。
付けてくれたのは里親ではなく。赤子で捨てられた時に、一緒に紙が添えてあったそうだ。それはもう、委縮しているのが目に見えて分かるくらい、小さな埃のような文字で。
どうせ捨てるペットに名前を付けるなど、甚だ疑問だ。それともよっぽど身勝手なのか。
私の起源など最早重要ではない。大事なのは産みの親ではなく、今の心優しい育て親だ。
長期間降り積もった悩みを広い広い大海原に打ち明け始めた。
今の人たちと出会ったのは確か……学年で言ったら小学生中学年ぐらいだった。
彼らはその頃日本に住んでいた。きっと長く居るつもりだったから私を拾ったのだろう。
そして、私は学校に通うことになった。高学年からっていう中途半端な時期で。
転校生とはトレンドとか流行と同じで、いずれ飽きが来て自然と誰も近寄ってこなくなる。
そんな時、友達と認めてくれたのが硲と小田桐だった。
名字で呼ぶのは他人行儀な気がするが、名前で呼び始めたのはつい最近だから、意外と馴染みがない。
呼称が統一されないのもこのためだ。
中学生の頃、和の心を学ぶとかなんとかで、空手に打ち込んでいた記憶がある。
只管に無我夢中でやっていたら、色んな大会で優勝して、全く達成感を感じられなくて。
無意識に自分より弱い者を軽蔑する癖がついた。優しく応対していても心の中ではどこか小馬鹿にしている。そんな傲慢と唯我独尊で成り立っていた。
そんなある日、後輩二人が
私に対する何らかの腹いせだったのかはあまり覚えていない。
私はすぐに向かい、敵の全てを殲滅した。
慈悲などなく、半殺しに。
仲間を助けることが出来た。この時私はそう確信した。
しかし、それには二つの誤りがあった。
一つ、彼らは私を仲間だなんて思っていない。
二つ、私はヒーローなどではなく、奴らと寸分違わぬ
このことを二人には話していない。きっと絶望するから、失望するから。
部屋に戻ろうとして、踵を返して海を背にする。
振り返った砂浜に私の足跡はもう残っていなかった。
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