第三十一章『放浪する少年』

 やはり、学生なら電車移動は必然であり、基本である。

 まあ、自転車で行けなくもないが、ひ弱な文化部(笑)には到底無理な話だ。

 例外もいるが。

 皆やっていることはあまり普段と変わらない。

 窓の外に目をやっても、代り映えしなくて、非常に退屈だ。

 それが顔に出ていたのか、何故か横に座った但馬が声をかけてくる。


「来須先輩、ですよね?」

「……あ、ああ。そうだな」

 

 今気づいたのだが、こいつとまともに喋るのは初めてかもしれない。

 ぼっちが染みついているのかもしれない。一回綺麗に洗濯したいものだ。


「それ、日記か?」

「はい、殆どの人は三日で飽きるっていうけど、俺はそうは思いません」

「今時珍しいな、手帳持ち歩いてるなんて」

「日記以外にもありますよ。人間観察、知識録、重要事項用のメモ帳などなど」

「何というか、色々と凄いなお前……」

「それ程でもないっすよ~」

 

 彼が扇子状に持って広げて見せたそれらは、何冊もあった。

 どれもかなり使い込んでいるようで、カバーが色褪せている。


「ちょっと見てもいいか?」

「はい、特に恥ずかしいとかないので」

 許可を得て、俺は一番異様なオーラを放っていた、人間観察日記を広げて読んだ。

 

 神楽香音 明るく朗らかな、小学生のよう        な人。

 堺美咲 仏頂面が目立つ。来須先輩とは幼馴染だというのに、仲が悪そうだ。

 美海星 アメリカやヨーロッパを巡っていたらしい。噂では、両親は海外にいるとか。

 来須零士 ……


 俺の名前が一番最後に書かれていた。

 しかし、空欄でまだ何も書かれていなかった。これから記すものだと信じたい。


「おい、俺の欄何も書かれてないんだが……」

「そ、それは……これからっすよ」

 目が泳ぎまくり、笑って誤魔化そうとする。

 

 こいつ、嘘をつくのが下手くそ過ぎる。せめて「書くことがない」と断言してくれた方が幾分かマシかもしれん。


「どうせ、こいつには書き留めておくほど重要なことが無いんでしょ?

 会話を傍受していたのか、堺が話に割って入る。

 いざそこを突かれると、かなり精神へのダメージがあるわけで。

 そんな悲しみに浸っているのなど、お構いなしに列車は勇猛にビルの並木を抜けて、レールに従って行くのである。

 鉄道員が車両を大きな駅のホームに沿って、停車させるとそこは俺たちの憩いの場となることが予定された遊戯施設近辺の駅である。


「着きましたね~!」


 但馬が公衆の面前で、両手を振り上げて伸ばし、微笑んだ。


「さあ、遊び尽くしましょう‼」

「ですね!」

「賛成」


 そしてこいつらは燃えに燃えている。

 こんなに暑いというのに、もっと気温が上昇したような気がする。


「来須君、これ使います?」

 不自然に小北が親切に団扇うちわを鞄から取り出す。

 

 こいつはいつも想定内、という憎たらしい顔つきをしていると思っていたが、本当に石橋を叩いて渡る奴らしい。

 他にも、雨具、菓子、ライター、レジャーシートなどなど、サバイバルに行くのか、遠足に行くのか判らん手荷物の多さである。


「こんなに、持ってきたのか?」

 正気の沙汰ではない。幾ら慎重でも護身用の木刀は持ってこないと思うが……

 破落戸ならずものにでも襲われる予感がしたのであろうか。


「備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖、ですよ、来須君」

「お、おう……」

 いつものように言い返すことが出来ず、反応に困った。

「何やってるの、二人ともー!置いてくよ~」

 

 部長の呼びかけに漸く気付いた俺たちは、小走りで追いつく。

 危ない、危ない。あのまま置いて行かれていたら、こいつと回らなければならないではないか。それだけは避けねばと、決意したのである。

 さて、こんな都市部に訪れるのは久しぶりなわけだが。

 交差点を行き交う人々の中を掻き分けて、俺たちは何とか漂流しないように必死に前進する。


「やっぱり、すごい人ですね……」

「これじゃはぐれそうだね……」


 人混みで誰かがいなくても、全く分かりそうにない。

 まるで、現在の社会の縮図を目にしているような感覚だ。

 個人個人で認識されることはなく、ただ一つの集団、大衆としてしか扱われることはない。

 そこをやっとのことで抜けられたのは、多分十分ほど経ったくらいだろう。


「……?」

「あれ?」

「えっと」


 他のメンバーと逸れた。まあ、昔と違い、連絡手段もきちんとあるから、心配することは何もない訳だ。

 問題はその集った面々にある。百歩譲って、旅に慣れていて、地理に精通していそうな但馬はよしとしよう。一方……


「多分、合流できますよ。行き先は同じですしね~」

 役立たずどころか、不運を呼び寄せ、引き起こす、トラブルにしか愛でられないこの女はどうしたものか。


「そうだな!」


 やはり無理矢理敬語を使っていたらしく、口調や仕草に不自然さという名の錆びつきが無くなったように思える。柳はその油ってところか。


「じゃあ、早速歩きましょう!前に進まないと、前進しませんからね!」

「おい、そっちじゃない。逆方向だ」


 もしかしなくても、こいつは筋金入りの方向音痴に違いない。

 全く、そんなんでよくここまで生きてこれたものだ。

 皮肉めいた感心の句が、泡沫うたかたのように浮かんでは割れる。

 幾ら都会が鉄の迷路だといっても、目印の無い秘境ではないのだから、そうそう迷うこともなかろう。

 真っ直ぐ向かうのもつまらない、という柳の我儘、戯言に付き合う羽目になり、俺と但馬はそれを甘受して街を練り歩くことにした。

 なるべく散財は避けたいところだが、よく考えたら俺が遊園地に行ったところで、何に金を費やすというのか。精々暇つぶしに迷路でもして終わり。これが関の山か。

 ならば、別に構わないのではと使うことを決意したものの、はて俺が欲しい物とは何ぞや。


「うわあ……!」


 柳が目を宝石のように輝かせて露骨に御上りさんっぽく振る舞う。

 御蔭で周囲から注目を集めているではないか。時々、擦れ違う人達に微笑まれると、こっちが恥ずかしい。但馬も苦笑いだ。


「お前……もっと礼儀正しく出来ないのか?せめて場をわきまえろ」

「あはは……すみませーん」

 渇いた笑いで誤魔化す。反省しているのか?


「先輩はどこか行きたい所は無いんですか?」

 珍しく但馬が質問する。何か妙にうやうやしい。

「そう、だな……」

 辺りを見回す。

「コンビニとか……?」

「あのですね、先輩。そういうボケは笑えませんよ?もし本気で仰っているのでしたら、一回滝に打たれてきた方がいいです」

 

 不良のような苛立ちを込めた呆れ顔をすると、馬鹿にするわけでもなく、他人行儀な口調で責め立てる。

 今のこいつは通常とは比べ物にならないくらい、真剣で陰険である。


「場を弁えて下さい」

「は、はい……」

 威圧感に気圧されて、思わず頭を下げる。

 そうすると、瞬時に明るい声音で提言する。


「ではブランチと行きましょう」

「……わ、解りました」

 但馬まで、委縮して謙って振る舞う。

 済まない。申し訳ないと思っている。

 そんな伝わる筈のない謝罪の意を眼差しに乗せるのだった。

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