第十八章『融解する外骨格』

 些細な謎を残して過ぎ去った昨日。

 ありふれ過ぎた日常とは程遠い、奇々怪々とした日々を送っている。

 住めば都。慣れると教室にいるより、リラックスできるものだ。

 今日もその聖域へと足を踏み入れるのだ。


「あ、来栖君」

「げっ、小北」


「何ですかその反応……傷つきますねー」

「嘘つけ。ヘラヘラした顔面しやがって」

「そりゃ、浮かれもしますよ」

「ん?どういうことだ?」

「まさか……今日が何の日かご存じないんですか?」

「だからどうした。さっさと行くぞ」

 小北の発言が引っ掛かったが、歯牙にもかけず取っ手に手を掛ける。


「来栖君、小北君いらっしゃい」

「はい、失礼します」

「はい、これ」

 

 節分の時と同じ文言とトーンで物を渡される。物凄く嫌な予感が脳裏をよぎったが……

「箱?」

 こんな小さな小箱にどんな危険物が詰まっているのか、好奇心が勝り蓋を取る。

「チョコレート?」

 可愛らしいチョコレートが何個か入っているだけで、予想していた物の影は見えない。

 まさかロシアンルーレットとか激辛っていう結末オチじゃないよな……


「だって今日バレンタインじゃないですか」

 後方にいた小北が補足する。

 節分から十一日後、二月十四日。聖人バレンタインの命日。

 したがって、バレンタインデー。

 すっかり心の奥底に封印した記憶だな。


「そうか……なるほど」

「本当に脳の片隅にもないとは、恐れ入ったよ」

「お返し期待しているよ!」

「最初から見返り目当てですか……」

 露骨にゲスいこというなーこの人。

「はい、小北君の分」

「ありがとうございます」

 義理チョコという物を始めて手にした俺は未知への興奮に満たされていた。

「あ、ついでに私も」

 美海先輩が板チョコを手渡す。

 貼られた付箋ふせんにはショートメッセージが記されている。

「美海先輩がチョコとは……意外でした」

「むう……それは侮辱かな?」

「とんでもない。ありがたく頂戴します」

「なら、よろしい」

 ただイベントを楽しみたいだけなのだろうが、見た目に似合わず、律儀な人だ。


「はい、どうぞ」

「神楽、興味無さそうだったのに用意してたのか……」

「まあ先輩方と魂胆は同じだと思いますよ」

 同じって……お礼目当てかよ。

「女性って計算高いですね」

「全くだ。まあ人間だからな」

 今まで意識してこなかったが、何かをもらえるというのは、どんな意図であれ、嬉々としてしまう。


「あと、白河さんからも」

「本人は?何処どこ行った?」

「直接手渡すのが恥ずかしいと」

「あいつがか……意外だな」

「後でお礼は言っておきます」

 

 チョコレートをポケットにしまい込み、口元をほころばせる。


「飲み物無くなっちゃったー。後輩君買ってきてー」

「え?は、はい。サイダーでいいですか?」

「うん。お願い」

 


 訳も分からず、引き受けてしまったが……突然だな。

 あれの感覚を掌に握りしめ、炭酸飲料を求めて歩き出した。




「サイダー、サイダーっと」

 小銭を投入し、点滅するボタンを軽く押す。

 まだ寒いのに、サイダーとは……

 俺も夏でも暖かいお茶を飲むけどな。

 背後に覚えのある気配が。

 振り返ると、その女子生徒は真剣な眼差しでこちらを見ている。


「どうした、堺?お前も飲み物買いに来たのか?」

「いいえ、少し相談があって」

「珍しいな。そんなかしこまって」

「すぐ終わるわ」

「要するに長くなるのか」

 俺はどっしりとソファーに座り込む。

 堺も腰を下ろすと、短く咳払いをした。




「——ちょっと私の小説を読んでもらおうと思って」

「なっ……!」

 驚き以外の何物でもなかった。自分から読むように要請するとは。

 少し覗いただけで怒り心頭になっていたのに。

 この期に及んで、批評しろと依頼するのか……


「なぜ急に。人に見せるのを酷く嫌ってたじゃねぇか」

「気が変わった。成長の為には必要なの」

「別に俺は協力しないとは言わないが、どうも引っ掛かるんだよ」

「はっきり言って不自然極まりない行動だ」

「——夏に応募した結果が返ってきたのよ」

「それでか……」

 

 何となく察しはつく。作品とは他人に評価されて初めて価値を持つ。

 即ち懐でいくら温めたところで、見せなければ意味は無い。

 だがそれにはかなりの自信が伴わなければ難しい。

 傲慢と自己嫌悪が共存する不安定でどうしようもない亡者。

 クリエイターとはそんなものだ。

 雑誌でそんな記事を見た気がする。

 いつか神楽も話していた。

 「創造主というものは傲慢でありながら、非常に脆い神様」だと。

 自分の作品、『子供』に拘りと情熱を持ち、それらに全幅の期待を寄せる。

それを全否定されれば、自分の存在価値も否定された気分になり、喪失感と憂鬱に刈り取

られる。


「駄目なら、無理にとは言わないわ」

「やればいいんだろ、やれば」

「お前変だぞ?神楽の事があってから」

「それは関係ないわ……」

「そうなのか?じゃあ何で」

「無力さを思い知ったのもあるし、部活で過ごす日々にワクワクしてるのよ」

「ワクワク……お前からそんな単語が出るとはな」

「そうよね、柄にもなく変なことを口走ったわ」

 

 いつもの不機嫌でしたたかな彼女とは違う彼女が目の前にいる。

 哀愁漂うその相貌には、やや異なる印象を受ける。

 どちらも彼女である筈なのに。表も裏も無い筈なのに。

 まるで別人だ。雲一つない蒼穹に陽が独擅場とばかりに照る。

 微かな違和感を感じながら、その予定を刻み込む。


「じゃあよろしく頼むわ」

「お、おお……」

「次の休日でいい?」

「ああ。どうせ予定なんかない」

「知ってるわよ」

 ちょくちょく失礼な奴だな。

「あとこれ」

「これは……」

 掌にちょこんと置かれた、小袋に目がいく。

「はい……」

 

 両手の中に落とされる。まだほんのりと温度を持っている。


「ありがとね」


 その礼が何に向けたものかは依然として分からないままだ。

 だが、そんなことを気にする必要なんてない。

 感謝して大人しく受け取っておくのが筋だろう。

 後を追うのは凄くみっともない気がして、その場に立ち尽くす。

 最終的に辿り着くのは同じ場所だというのに。

 何気なくすっぽかしてきた日々に特異点が生まれた。

 それが幸せか否か見定めることも出来ずに尻込みする己に無性に腹が立った。

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