第十二章『最後の審判』

 別段変わったこともなく、体育祭は終わり、愈々いよいよ師走を迎えようとしていた。

 元来より年のつごもりは今年を振り返るもので、部室でもその催しが執り行われている。


「より一層寒さが厳しさを増しますね……」

「本当に冬って嫌いだわ……」


 あまり積極的かつ活発に運動しない部員たちにとって、指先が凍り付くような寒さは耐え難いものだ。

 抑揚なく寒いと呟きを連続させるが、早朝の気温は氷点下到達直前。日中でも十度前後なのだ。

 こんな時にはやはり温かいお茶が合う。一服したいものだ。

 和室があったら最高だったんだが……生憎この学校には茶道部がないんだよな……

 ボーっとそんな妄想を広げていると深刻そうに部長が口を開く。


「来栖君、ちょっと……」

「はい」


 首を傾げながらも後に続いていく。

 はて……何かあったのだろうか?

 導かれ辿り着いた場所は……


「校長室?」

「校長が呼んでるわ」

「なっ……!」


 恐る恐る扉をゆっくりと身体を縮ませながら開くと、仏頂面が此方をじっと睨んでいる。

 目つきが悪く、生徒たちには恐れられている、ある意味の有名人だ。

 顔色を窺いながら、校長の目の前に出ていく。

 冬なのに恐怖から汗が止まらない。できれば卒業式まで顔を合わせたくは無かったが、致し方あるまい。


「何故呼ばれたかは分かっているだろう?」

「は、はい」

「契約の期間は直に終わる……」

「そう、でしたね……」


 いかん、すっかり忘れていた。契約の期間が切れたという事は即ち……


「報酬はしっかりと渡す。君はもう自由だよ。来栖零児。」

「ありがとうございます」


 これで終わりか……

 達成感、開放感。言葉では言い表せないほどの複雑な感情が絡み合い、ごちゃ混ぜになって最終的に残ったのは……

 


 俯いたまま校長室を出ると、部長が精いっぱいの作り笑いをして待っていた。


「来栖君?」

「部長、いや硲先輩」

「どうしたの?改まって」

「この部活は無茶苦茶ですよ……」

「いきなり何?そりゃ個性の集合体だから変なのは当然だよ」

 

 どこからか迫りくる寂しさ。自分でも訳が分からない。

 感情が独り歩きを始め、理性が追いつかない。


「……って、どうしたの!?」

「何ってどういう……っ!」

 

 目から水滴がたらたら零れ落ちてくる。自身の状況を認知するのに三十秒ほどかかり、それを脳が察知すると開いた口が塞がらなくなる。


「何で、ですかね……」

「大の男が見っとも無いと言いたいところだけど……」

「——まあ分からないでもないわ。此処だと誰か来るかもしれないから……」

 

 人気のない階段の隅っこに移動すると、二段目に座り込む。

 すると、部長も慈愛の瞳を俺に向けながら、隣に腰かける。


「気を紛らわせる為に私の話を勝手にするわ」

 俺は何か言う気も起きず、只々黙り込んでいた。

 虚無だけが広がった俺の心には選択を迫る疾風が吹き抜ける。


「私にはね、親がいないんだよ」

 いきなりの途轍もないカミングアウトである。

「……!」

「幼い頃に公園に置き去りにされてさ、ずっと待ってたんだよ。でも両親は戻ってこなかった……」

 

 共感も相槌も励ますことも出来る筈はなかった。無暗にそれらを行った所で意味のないことだと確信していたから。


「その後、探したんだよ、捜し続けたんだよ……ずっとずっと」

「数日間、それ以外何も考えられなかった。心配でね……」

「でも何れ悟ったんだ。あの人達は絶対に『帰ってはこない』とね」

「っ……」

 

 言葉は出なかった。どうにかこうにか捻りだそうとしても。

 心が沈みきっているからかもしれない。

 誰も宣告してくれない悲しみ、理由も分からず愛想を尽かされたという事実。

 聴いているだけで死んでいた心が締め付けられそうになる。


「その時に助けてくれたのが小田桐君なんだよ」

「え……!じゃあ二人は少年時代から顔見知りなんですか?」

 驚愕の真相に塞ぎ込んでいた口が漸く開く。


「その時は、小田桐君もっと活発だったんだよね……」

「今からは想像できないですね……」

 

 機械音声が九割五分のあの人が……

 不思議なこともあるものだ。

 諸行無常、有為転変をしみじみと感じてきてしまう。


「それでさ、頻繁に遊んで、凄く励まされたんだよ。感謝してもしきれないくらいに」

「——それで現在に至るという感じなんだけど……」

「つまんなかったでしょ?」

「いえ、とんでもないです」


 驚愕するような事実が気になって、茫然と床を見つめるだけになってしまった。

 何の為にここまでやってきたのか、自分を突き動かす物が何だったのか不明瞭なままだが、決着はついた。


「部長。俺残ることにします」

「へぇーなんでまた急に?」


 わざとらしく疑問を発する部長。

 そこには微かに大人っぽさが薫る。


「一先ず退屈しのぎという名目にしておきます」

「素直じゃないね……まあ高校生って皆そんなものかな」

「やけに大人びた口振りですね。他人事みたいに」

「『私は特別だー!』って錯覚しなきゃ生きるのが辛いでしょ」

  諭すように説くように、励ます。いつになく真面目な口調で。


「そう、ですね……」

「腹を決めたんだったら、ほら、やらなきゃいけない事が君には有る筈だよ」

「承知しています」

「うん、ならよろしい!」

 

 俺がすべき事はとっくに把握していた。答えを出すのを懼れていたから知らないふりをして恍けていた。

「善は急げだな……」

 

 善い事、悪い事というのは俺には理解できない神のみぞ知る領域。

 だからそんなものを最初から考えない。道徳も間違えることがあるのだから。

 逡巡することなく、あの部屋に向かう。

 そこにきっと未来を変える選択肢が在るのだと信じて。


「失礼します……」

「こら、君勝手に入ってきては……」

「いい。要件は?」

 校長と共にいた、教頭が行く手を拒むが、校長が通してくれた。


「もう少し、あの部に居ても良いでしょうか……」

「ほう……入ること自体に横槍を入れるつもりはないが……」

「——きっと後悔するぞ……」

 

 頭で理解していたのに、改めてその事実を突きつけられると思わず後退りしてしまいそうになる。

 俺も過去の履歴を知らないわけではない。

 今までに入った部員中、一か月以内に辞めたのが半分以上、不登校二割、自殺があったという噂も耳にした。

 大方の理由は自信喪失、劣等感、被害妄想など、自己嫌悪に囚われ、破滅していったという。

 才能は周囲の人間を傷つける刃となりえるというのもあながち間違いではないだろう。

 有能な彼らは凡人の存在意義を奪い、地位を簒奪し、無意識に環境を崩壊させていく。

 環境を破壊された俗人たちは彼らを批判し、追い詰める。

 そして狂った天才が他人の運命を更に狂わせる。

 負のスパイラルと称しても差し支えない。

 悪意のない暴力ほど質の悪いものはない。


「大丈夫です……認めて頂けるんですよね?」

 

 媚びるつもりはないが、何となく顔色を窺ってしまう。

 目の前の存在が怖いというだけではない。真に懼れているのは自身の自滅、そして愚人どもの轍を踏むことだ。


「君が下した決断に我々が干渉していいものではない。当然咎めはしない」

「最後に再度忠告しておこう。あの部に入るのは危険だ」

 ファイナルアンサー?と決断を揺らがせる。


「それも承知の上です」

 ここまで来ればもう後戻りはできない。第一最初から脱退する気なんて更々ない。

「ならいい」

 短い受け答えですんなりと許しはもらえた。

 

 心なしか足取りが軽い。

 肩の荷が下りたというのは嘘だが、なんとなく快い。

 扉の先には、通常通りの子供っぽい満面の笑みを浮かべた、部長が立っていた。


「見直したよ。まさかあんな所にまだ留まる気だなんてね」

「正気の沙汰ではないね。君は君で立派に滅茶苦茶だよ」

「そうかもしれないですね……」

 

 少し小北の口調がうつったのも気にせず、珍しくポジティブになった。

 戻ってきたのは平穏な日常などではなく、波乱万丈のドタバタ劇。

 そんな現状に溜息を吐きながらもこっそり安堵する自分がいた。

 消去法で今が一番幸せだという持論は全く以てその通りだと思う。

 だが、過去と現在、未来が全て別々に分離して存在しているかというとそうでもない気がする。

 過去があるから今があり、今があるから将来があると独白する。

 今は一瞬で過去になるし、数秒後の未来は数秒経てば現在になる。

 生の延長線上に死があるという考え方と似たようなものだ。

 もしも、最初から運命は不変だとするならば、予言も占いも選択も意味をなさないことになる。結果は何も変わらないのだろう。

 惨劇や悲劇、群像劇のように神に造られた物語だと云うのか。

 そんな意味のない問いを永久に繋げていくのが、己の人生だと思うと実に下らない。

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