第十章『彩管を揮う魔女』

部室に戻ってきて漸くするべきことを思い出した。


「来栖!この忙しい時に……さっさと持ち場につけ!」

「お、おう……了解だ」

 俺に続き、神楽も帰還してきた。


「神楽さんも休憩を取っていたのですか……速やかに取り掛かってもらえると助かります」

「すみません。すぐ取り掛かります」

 

 文化祭の時より仕事量が増えているのは気のせいだろうか。

 どんなに働いても終わらない気がしながらも、せっせと飾りを作る。

 帰宅する頃には宵闇が空を覆い尽くし、脆弱な星の光が照り始めていた。

 

 


 やっと終わったー!

 自分の職務が終了し、ほっと安堵の息を吐く。

 両手を伸ばし、ぐっと体全体の筋肉を解す。


「じゃあ……俺は帰ります」

「了解。ご苦労様」


 集中を途切れさせる訳にもいかないため、小声で部長だけに伝え、いつになく静寂に包まれたそこを後にする。

 澄み切った漆黒の天空には黄金色に輝く中途半端な形状をした月がぼうっと浮かび上がる。幻想的な背景に劣っているような気がして、己がちっぽけに思える。

 天文学を学ぶとそう感じるのかと俗人の如く軽薄な想像をする。

 帰路についた俺は暗く狭い道を、更ける夜から逃げるように速足で通り抜けていった。


        ****


 眠い……

 連日連夜徹夜で頭がクラクラするのだ。

 パネルのキャラクターデザイン、看板の原画など、やることは山積みだ。

 一難去ってまた一難。シームレスに舞い込む業務に嫌気が差し始める。


「もう十一時かぁ……」


 これで出場免除だけとは、割に合わない。

 ついでに授業も免責してくれないものか。

 大人たちは学校という教育及び集団行動訓練施設を楽観視し過ぎだと個人的には思っている。

 学生だって人間だ。モラトリアムの中にいても、境界人でもストレスは溜まるし、建前は必要不可欠なのだ。

 一度犯した過ちを繰り返す程、短絡的ではない。

 

 「普通を演出する」簡単なようで難しい。何故それをするのかと問われれば、人間関係を円滑化する為。世間が考えているほど、子供の世界も甘くない。

 一度体験している大人でさえ、分からない痛み、苦しみ、妬み、憎しみ、劣等感。全てが青春のスパイスになるかというとそうでもないのではないだろうか。

 直情径行にできる人間は限られている。

 彼らの権利が優先されれば、低い身分の自由は制約される。

 青春が謳歌される一方で、窮屈な思いをする。

 それが世界の摂理だ。


「明日も頑張らなきゃ」

 未だ良いデザインは浮かび上がらない。

「ふわぁぁ……」

 一気に睡魔が襲ってきた。ここら辺が限界だろう。


「おやすみなさい……」


 誰に向けた言葉なのか自分でも知らないまま床についた。




 朝はいつもギリギリまで寝ている。そして忙しく出発準備をするのが日課なのだ。

 余裕を持って起床した方がいいのだろうが、一度ついた癖はそう容易に拭い去れる物ではない。

 身支度を整え、髪を梳り、身形を最低限整える。

 だらしのないこと夥しいが、皆こんなものだろう。

 学校までそう遠くはない。落ち着いて目的地へと赴く。

 敷地外に入るやいなや、笑顔をつくり、仮面を装着する。

 当然、比喩的な意味だ。

 裏がない人間などいないはずだ。高校生とて例外ではない。

 高度な心理戦を繰り広げる場合もあるが、並の生徒など騙すのは容易い。

 まさかあの男に早々に見破られるとは夢にも思っていなかったが。


「おはようございます!」

「あ、おはよう」

「「おはよう」」

 異口同音、教室の生徒共から挨拶が返ってくる。

「おはよう、六花ちゃん」

「おはよう、今日も元気だね、神楽さん」

「だから、さん付けはやめてって。余所余所しい感じだし」

「でもさ、神楽さんって何ていうか神聖な感じだし、そう呼ばざるを得ないんだよ」

「へ~知らなかったよ」

「何話してるのー?」


「うわ、高橋。女子同士の会話に口を挟んでこないでよ」

「いいですよ。私色んな人と仲良くしたいですし」

「ほら!神楽さんも良いって」

「本当調子いいんだから」

 ふむ。こいつらに利用価値があるとは到底思えないが、いざという時役に立つかもしれない。決別する必要は無さそうだ。

 授業は適当に真面目を装い、済ませておいた。

 放課後はキャラクターデザインを完成させなければ。

 迷うことなく真っ直ぐに部室に行く。

 時間が惜しい。すぐ取り掛からなければ。


「あ、神楽ちゃん。一番乗りだね」

 いつもの通り、部長がもう部室を開けている。

 全速力で来たというのに……この人の速さは異常を通り越して謎である。

 これは……体育祭も無双必至だろうか……

 おっと作業、作業。

 

 言い忘れていたが、組は赤と白で分けられているのではなく、誕生月の四季で決まっているらしい。ここだけでなくこの地域一帯でそんな形式だと云う。

 因みに私が属しているのは春だから、デザインも春に因んだキャラクターにしなければならない。人型は……ビジュアルの問題があるし、少し失敗すると全く違う異形の何かになってしまう為却下。春と言えば真っ先に思い浮かぶのは桜だが……在り来たり過ぎるな……

 かと言って他にわかりやすいモチーフは……

 頭を抱えていると、妙に妖しい気配がした。

 振り向くといたのは……


「すまん。声を掛けようと思ったが、熱中しているようだったから」

「来ていたんですか。気が付かずすみません」

「マスコットのキャラデザか?」

「はい。ただ中々満足するような出来ではなくて……」

「難航してるってわけか……」

「その通りです……」

「何か良いアイディア有りませんか?」

 試しに聞いてみるか……

「うーん……春と云えば……やっぱ花だよな……」

「それは決定してるんです」

「こんな感じか?」

 来栖はノートを一枚取り出して破り、一気にイラストを書き上げる。

「す、すごい……」

 感嘆の声を漏らした。予想以上の代物だったからだ。

 

 何というか……可愛らしい。

 丸い頭に花の冠が被せられ、ドレスもハルジオン、桜などがあしらわれている。

 細く柔らかい線で描かれているからか、より幻想的に映る。

 自分の絵が見窄らしく思えてきた。


「この絵とキャラクターお借りしてもいいですか?」

「え?それは吝かではないが……何に使うんだ?」

「マスコットの元にしたいんです!」

「おお……そうか……」

 

 そうと決まれば、一気呵成、さっさと完全な物を仕上げなければ。

 ペンを紙に走らせていると、背後から微笑みで零れた明るい声音が伝わってきた。

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