第八章『旅行と温泉と墮天使』

電車に揺られ、一時間半。

 窓の外が目眩めくるめくスピードで移り変わってゆく。

 トンネルを通り抜けても雪国ではない。

 茫然と緑茂る平野を目で追うのみ。

 小田桐先輩はいつも通りゲーム機を持参。

 小北も何故持ってきたのか定かでないノートパソコンを弄りだす。

 アウトドアしてもインドアはインドアなんだな……

 神楽と部長は向かいの席で他愛ない会話に花を咲かせているようだが……

 俺のこの状況はなんだろう……堺と白河に挟まれ、身動きが取れない。

 何気なく座ってしまったが、まずかったかもしれない。

 白河はマイペースに筆ペンで用紙に句を書いては口遊んでいるし、堺は堺で、小さな手帳にメモを取っているようだ。取材の一環なのだろうか。

 『湯けむり殺人物語』とかか?我ながら笑えねぇネタだ……

 俺は何をすれば良いかも分からず、一応リュックに詰め込んだ、参考書を黙読する。


「……」


  向こう側とは対称的に境界線でも引いてあるかのように沈黙が永遠と続くような気がした。

 どうしようもない空気が漂う。青空より吹いてくる風が飛ばしてくれないかと冗談紛れに願っていると、白河が話しかけてくる。


「白い舞 羽ばたく翼は 蒼穹へ 神のみぞ知る 彼方の星」

「珍しく短歌なんだな、川柳は?」

「私はオールマイティー」

「質問の答えになってないぞ……」

「つまり我が信念はどれであろうと変わらないということなり」

「ふむ、なるほどな」

 

 らちが明かなかったため、適当に流した。

 暫く乗って着いた場所は温泉街だった。

 激しく立ち昇る白い湯気が視界を曇らせる。


「ほえー凄いですね……何も見えません」

「見るからに熱そうだな……小北入るか?」

「はは……流石にやめておきますよ……」

「あんたらも成長しないわね……」

 行き交う人々は幸せそうな顔をしている。

「じゃあ行きましょう!」

 

 早速目当ての温泉に行くことにした楽エン部一行。


「沸き立つは 命の泉 湯けむりの 霧立ち昇る 寒露の宙」

 

 外は凄烈に寒かったため、建物内に入るとポカポカと暖かく感じる。


「ではでは」

「後で食堂前に集合ね」

「了解した」

 凍り付きそうに固まった身体をどうにか動かし、即座に風呂場に向かう。


「にしても寒かったな……」

「そうですか?僕はそうでもないですけど……」

「死、ぬ……」

「こっちの方が重症じゃないか?」

 

 目が虚ろになっているし、ガタガタ震えているように見えるんだが……


「それより早く暖を取りましょう!」

「珍しくテンション上がってるな……お前」

 靄がかかった戸を開き、聖域へと足を踏み入れる。

 何の変哲もない男湯だが。


「取り敢えず身を清めましょうか……」

「深刻そうな面持ちで回りくどい言い方すんな」

「いや、来栖君にはカタルシスが必要不可欠だと思いまして」

「癒されに来たのに嫌がらせかよ……」

「場所……ない……」

「空くまで待ちますか」

「そうだな。ところでなぜ先輩は片言なんですか?」

「寒いから……」

 

 異色の奴らはどこでも我強いな……

 こんな調子で洗い終わり、待望の入浴だ。

 最初は火傷すると思うくらい肌に熱が伝わるのだが、慣れてくるとそうでもなく、とても心地よい。頭に手拭を乗せれば、完璧だ。


「疲れが飛びますねー」

「やっと……」

ついでにストレスも消えていくな」

「もっと笑わないと駄目ですよ」

「黙れ、似非イケメン」

「まあ来栖君がニコニコしてたら気色悪いですけどねー」

「お前は喧嘩売ってるのか?」

「キモいと口にしなかっただけ褒めてほしいくらいです」

「それを声にした瞬間殴る自信がある」

「お前ら……静かにしろ……リア充爆発しろ……」

「最後のは関係ない気が……」


 極楽、極楽とはよく言ったものだ。天にも昇る心地というやつだ。

 日頃の憂鬱が取り払われるような何も考えず、煩悶することもない。


「そろそろ出るとしましょうか?」

「そうだな、指もふやけてきたし」

 烏の行水なのか三十分もしないうちに上がってしまった。

 

 二人より一足先に着替えを済ませ、休憩所に向かい、自動販売機を探す。

 驚いたことに俺より先に到着している人物がいる。神楽だ。


「おや?来栖さんではないですか」

「神楽こそ、なんでこんなに早く……」

「いやーすぐ逆上せそうになって」

 

 ドライヤーで乾かしたであろう髪は依然として少し湿っている。

 タオルを首に掛けている姿はすごく新鮮味があって、印象的だ。

 躊躇を挟みながらも何とか切り出す。後から考えればすこぶる不自然だったかもしれない。


「そういやお前、無理してるだろ?」

「何の話ですか?突然野暮な事を聞くなんて、変ですね」

「精神的な負担だよ。お前は内面の真の自分をひた隠しにしている。違うか?」

「はぁ……なぜそう推測したんです?」

おくびにも出さないからつまびらかには分からなかったが……何となくそんな気がしてな。ようするに勘だ」

「勘で身も蓋もないことを女子に尋ねるなんて礼儀知らずですね……」

「否定しないんだな……」

「ええ。合ってますから」

「仲良く、協調性、団結なんて反吐が出そうなくらい嫌です」

「それは分からんでもないが……」

 

 彼女の表情が一気に険しくなる。喉につっかえた毒を吐き出すように、本音をつづっていく。

 その勢いはもう既に止まらない。幸い周りには誰もいない。

 二人きりというドキドキするかもしれないシチュエーションにも関わらず、別の意味で心臓がバクバク鳴っている。


「人なんて実に下らない生き物ですよ。上っ面だけ良くして、大衆に紛れ込むだけ。そんなのに生きている価値があるとは私にはとても思えません」

「確かにな……奴らは欲求と情動でしか動かない糞野郎だ」

「だったら……!」

「でもそれはあくまで一つの景色に過ぎない。そこから全体を知った気になるのは、芥共よりも愚かだという事を認めるに等しい」

「くっ……」

「なぜお前はそんなに人間を憎むんだ?同じ人間なのに……」

 どれだけ人間が愚の骨頂だと捲し立てても彼女のは単なる僻みでしかない。



「——それは秘密です!」

 神楽の様子がいきなり変わった。いつもの明るい神楽だ。神経毒を分泌していた牙はしまわれ、憤懣の角は頭蓋骨の奥へと引っ込む。


「何してるんですか?二人で」

 小北と小田桐先輩……二人が来たから豹変したのか……

 瞬時に気配を察知するなんて……更なる闇が潜んでいそうだな……


「何でもない。ちょっと世間話をな」

「後は部長たち女子三人ですね」

「そんな時間掛からないでしょうし、待ってましょうか」

「ああ、そうだな」

「腹減った……」

 

 神楽の件については一先ず保留だ。

 せっかく回復したストレスと不安感が再度撓垂れかかる。

 俺と彼女の精神は未だリフレッシュとは程遠いようだ。

 それを嘲笑うように凩が吹きつけた。

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