第七章『そして、世界は色付き始める。』

長いようであっという間だった文化祭も終焉を迎え、かなり暇になった。

 横を通り抜ける風が感情を逆撫でする。ストーブの側には沢山部員達が集まっている。

 焦げるような匂いが鼻を突くが、背に腹は代えられない。

 冬真っ盛りという表現は正しくないのかもしれないが、時期尚早に冬将軍が来てしまったと見える。

 痩せ細った木立がなよなよと弱弱しく立ち並ぶのが窓から見える。


「あ~暖かい」

「ホント寒くてどうにかなりそうですよー」

「大丈夫?白河さん……」


 ガタガタと震えて、カツカツと音を立てるそいつは戯言をほざく余裕も無く、暖房の近くに陣取っている。


「動きたくないでござる……」


 「働きたくないでござる」のイントネーションでなぜか「ござる」と付けて思いの丈を述べる。

 確かになるべく動きたくないのは納得だ。俺なんか学校以外一歩も外に出ないと心に誓っているからな。


「それにしても寒いわね……」

「凍え死ぬ……」


 冷酷な季節の中で虚弱な機会音声が流れる。


「本当に寒いですよね……」

「なんだお前毛布持ってきてんのか」

「はい……どうも寒さは苦手でして」 

「よし。お前外で走ってこい。そして永久凍土となれ」

「もはや嫌悪を隠す気もないですね……永久凍土は氷ではなく、地盤のことを指すのですが……」

「今の主旨はそこではないんだが……」


 冬には何も捗らない。何かする気が起きないのだ。思考を放棄したくなるような、そんな陰惨な氷の悪夢。


「そういえば皆これから何か活動するの?」

 部長が思い出したように尋ねる。

「そういえば……」

「何も考えてなかったわね……」

「僕も特にはないですね」

「我もです」

「以下同文」

「同じく」


 満場一致で誰も何もない。という事は部活は暫く無いのか?


「そんな事だろうと予想して、ジャーン!」


 部長は一枚の紙きれをポケットから取り出す。

 全員その内容へ視線を集中させる。


「日帰り」

「温泉」

「旅行?」

「何ですか、これ?」

「近場にも温泉が在るらしいから、行ってみようかと」

「へぇー意外と距離ないんですね」

「でも驚きましたね……そんな所に温泉があったとは……」


 恐る恐る挙手、質問を試みる。


「行かないという選択肢はありますか?」

「強制参加よ?」

「なっ……」


 微笑む部長はどこか不気味な雰囲気を醸し出し、静かなる怒りが感じられた。


「勿論、同行するのは吝かではないです!」


 半ば脅しである。澄み切った空気は漂い、そして冷害をもたらす。

 活動といえるかどうか怪しいが、行かなくてはなるまい。

瑠璃色の宙を見上げ、白い息を吐いた。




 当日、仮病で休もうかと考えたが、それもまた無駄なのだろうと悟った。

 平坦な広場に誇らしげに立つ、時計台を眺めては、手と手を擦り合わせる。

 逗留なしの日帰りとはいえ、それなりの準備が必要で、それなりに路銀も持ったつもりだ。

 独りベンチに腰掛けると途端に寂寥感が込み上げてくる。

 森閑とする街は敵の襲来を見逃すかのように物寂しい。

(集合時間まであと二十分あるな……)


「あれ?あんただけなの?」

「げっ……」

「何よ、その明らかに嫌そうな顔……」


 よりにもよって堺と二人っきりとはついていないな……

 何故恭しく二十分前に現れたのかは不明だが、今が凄くまずい状況なのは間違いない。


「はぁ……」


 意外なことに彼女もお洒落をしているようだ。

 シックな薄茶色のコートにロングスカート。

 むぅ……てっきりズボンで来ると思ったが。

 因みにファッションに全く興味がない俺は、ちょっと遠出をして本屋に行くようなみすぼらしい恰好である。


「何か文句でも?」

「いやなに、お前がそういうの着てるの珍しいから……」

「全く失礼で愚鈍な男ね……」


 呆れて首を振る仕草もいつもより棘がない。

 上機嫌、なのか?

 借りてきた猫とまではいかなくとも、相対的に大人しい。

 まあ高校生っぽいことができるとなれば少しぐらいは心が弾むか……

 なんだか調子が狂う。


「早く着いたから、座ってたんだよ」

「あ、そう」

 俺は喉が渇き、自動販売機へ向かう。

「私紅茶ー」

「なんでお前のまで……」


 反抗しようと口を開いたが、面倒になって、二人分買うことにした。

 俺は勿論、コーヒーではなく緑茶だ。苦さの中にもしっかりと際立つ旨味。最近は苦くない物が増えつつあるが、俺は従来の方が懐かしく不変な味な気がしていい。


「ほらよ」


 紅茶を手渡す。ぶん投げてやろうとも企んだが、公衆の面前でやるのは流石に憚られた。

 ペットボトルを包み込み、その温もりを堪能すると、ゆっくりと味わう。

 冷え切った身体が芯まで熱されて溶けていくようだ。

 まだ午前中だが、優雅なティータイム?を存分に楽しんだ。


「全く部長にも困ったものだわ。突然部員旅行だなんて……」

「それには同感だ。俺にはあの人が何考えてるのか一向に分からない」

「そりゃそうよ。あんたとは頭脳が違うもの」

「それは先輩を褒めてるのか?」

「いいえ、勿論あんたを貶してるのよ。当たり前でしょ?」

「飽きないな。お前……」


 旋毛風は木の枝を揺らしながら、目先を吹き抜ける。

 飲み終わった容器を近辺のゴミ箱に投げ捨てると、また重く固まった腰を下ろす。

 白い息の存在が申し訳程度に真冬の到来を知らせる。


「あんた今年で辞めるんでしょ?」

「誰から聞いた?」

「答えなくても分かるでしょ?」

「小田桐先輩かぁー……」

「あの人問い詰めたらすぐ吐いたから……」

「あの人ストレスに弱いからな……」

 だからいつまでもヘッドホンを取らないんだろうな……


「おーい!」

 遠くから聞き覚えのある叫びが風に乗って飛んでくる。


「丁度か……」

「まあ私たちが早く来過ぎたから……」


 部長が相変わらず元気に駆けてくる。白河と神楽も一緒だ。


「二人とも早いねー……。何してたの?」

「只の雑談ですよ」

「ふーん」

 部長と白河が顎に手を当て、怪訝そうに意味深な声を上げる。


「小田桐先輩と小北は?」

「あ、二人ももうすぐ到着するそうです!」

 神楽が携帯を眺めながら、報告する。


「え?神楽二人と連絡取れるのか?」

「何言ってんの?最初に交換した……ってあんた居なかったのよね……」

「無意識な仲間外れは一番傷つくんだが……」

 

 惨い、酷いな。心に何か突き刺さったような気がする。どんな罵倒よりも深く。


「だ、大丈夫ですよ!忘れないうちに登録しておきましょう!」

「どうせ俺は一日経ったら忘れられる程度の存在だよ……」

「なんかこいつ面倒くさいことになってるわね……」

 

 自己嫌悪になったのはかなり久しぶりだな……中学のあの時以来か……


「おや、随分と面白いことになっていますね」

「てめぇ……どっから湧いて出た……?」

「今日は一段と怖い顔ですね。身震いしますよ」

「実に腐った奴だな……お前」

「いやいや、来栖君には負けますよ」


 降参の意を込めて、両手を上げる。

 集合に遅れた癖に偉そうだなこいつ……

 後方にいた小田桐先輩がばつが悪そうに、柱からひょっこりと顔を出す。

「遅れた。申し訳ない……」

 機会音声でも萎縮しているのがはっきりと分かる。


「よし!皆集まったね!では……レッツゴー!」

 

 またもや波乱万丈の物語が上映されようとしていた。

 もう帰りたい。そのベンチからは薄っすらとお茶の匂いが芳しく香る。

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