第三章『え逃げずして』

 逃げ出すように休憩所に来てしまった。自販機で速やかに紅茶を買うと、悔しさで乾いた喉に流し込む。

 

 額に汗が滲み、掌の汗を握る。

 高校も適当に決めてしまったが、これで良かったのかなんて分からない。

 堺の付き添いで部活に入った時もそうだ。何か部活に入らなければいけないから仕方なく渋々選択した。


「どうしたんですかこんな所で」

 

 俺の視線の先にいるのは意外なことに小田桐先輩。寡黙というか、チャット上でしか話さない典型的な引き籠り体質だ。だが、ちゃんと毎日登校していることに呆気に取られた。

 辻褄つじつまが合わないような気がするが、放っておこう。

 なんというかこの人は話せないが、無理に話そうとしてこない所が接していて楽だ。

 アイコンタクトを取れば大抵のことは分かるので別段話す必要もない。


「部活やめるのか……?」


 喋った!我が子が初めて言葉を口にした時の親のような気持ちになった。

 ちゃんと声帯あったんですね……


「どうですかね……多分そのうち居られなくなると思うので……」


 随分と会話のキャッチボールが遅いが、かなり進歩した方だろう。


「疲れたからこっちに切り替える」


 耳に入ってきたのは冷たい機会音声。どうやらスマホの読み上げ機能に変更したらしい。


「まだ一言しか仰ってないですよ」


 いくらなんでも体力無さすぎでしょ……

 俺が苦笑していると、先輩もベンチに腰かけた。

 ブラックな奴を飲み干すと息を吸って文章を入力する。


「やめるのは勝手だが……後悔はないか」

「どうですかね……入って間もないですけど……特別理由が有るわけでもないですし」


 退屈だからやめる、面倒だから諦める。人間の情なんてそんなもの。高度に希求しているように見えて邪な欲求に従って生きているだけだ。

 だがそれを認めてしまえばその者はクズとなる。

 自分で自分を許せなくなる。

 理由、道理、根拠、動機、理屈、そういう張りぼてで自らの本心を隠さなければ気が済まないものなのだ、人間とは。


「別に……俺が止める道理も義務もないからさ、とやかく言う気はないが……」


 結局この人は何がしたいんだ?仮令何十年かけてもこの人の考えていることは分からない気がする。

 ただ、無責任な励ましをかけられるよりはこっちの方が幾分か気が楽だ。


「俺が言いたいのは一つ、契約期間までは残ってほしいということだ」


 率直に希望を口にする。口数は少なくても自分の意見はしっかりと通す。

 この人はそういう先駆者せんぱいなのだ。


「それなら大丈夫です。それまでの所属は決まっていますから」


 今年いっぱいまでが約束の期間。それまでに新入部員を見つけなければ。

 妙な使命感に駆られ、まなじりを決する。


「約束は守るよう親に言い聞かされてきましたので」

「そうか……」



 確認が終了すると、足早に小田桐先輩は立ち去った。


「……」


 一人残された休憩所の人影はしばらく動かず、そのまま陰影に溶け込みそうだった。


        **


 彼は不思議な人だ。

 勿論ここにいる全員が常軌を逸しているのは重々承知している。

 だからこそ、どんな対価と引き換えにしてもここに入るメリットなんてない。

 机の上のパソコン画面とにらめっこをしながらふとそう思った。

 上の空で椅子に寄りかかっていると、見たことのないファイルに気付く。


「ん?」


 少し戸惑いながらもしっかりとそれを開く。


「これは……」


 そこに書かれていたことを見て、僕は目を疑い、今までになく見開いた。

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