#2 特別な親友

 私にとって、由佳が「親友」から「親友」に変わったのはこの春のことだった。

 小学校のころから私と由佳は月に一度、両親公認でお互いの家での「お泊まり会」を続けてきた。する事といえばご飯を食べて、勉強やおしゃべりをして、一緒に眠るという他愛のないものだが、その会は中学校、高校になっても続いていた。

 時には恋愛の話になることもあったが、ずっと一緒にいた私達はまともな恋愛経験がないのはお互いに知っていたし、もっぱら想像や理想の話ばかりで盛り上がっていた。


 たしかその時も、キスってどんな感じ?、みたいな話をしていたと思う。

 突然、由佳が「してみようか」とつぶやいた。

 もう電気は消して、2人とも由佳のベッドの中だった。

 既にかなり遅い時間で、私も少し気分が高揚していたのもかもしれない。

「しちゃう?」

「いい?」

「いいよ」

 わずかな沈黙のあと、暗がりの中で由佳が顔を寄せてきた。

 お互いの吐息がかかるほどの近さで見つめ合ったあと、私達は軽く触れるくらいのキスをした。

「……どうだった?」

「摩耶の唇、柔らかかった」

「由佳のも」

 その後、私達はどちらともなく笑い出してしまった。

 ひとしきり笑った後で、私が由佳に、そろそろ寝る? と言おうとしたその時――。

 不意に、由佳は私の頬に手を添えると引き寄せるように唇を重ねてきた。

「んん!?」

 由佳の唇が包み込むように私の唇に絡まる。

 それは、先ほどとは違って熱を含んだ官能的な力強さがあった。

 私は突然のことに抵抗する事も忘れて、やがて受け入れていた。


 長いキスの後、由佳は私を抱きしめたまま囁いた。

「怒った?」

「ううん、怒ってはないけど……ちょっとびっくりした、かも」

 予想もしない出来事だったが、不思議と嫌悪感はなかった。

「あたし……摩耶が好き」

 由佳が呻くようにつぶやく。

「私も由佳のことは……好き、だよ。……大切な親友だから」

 由佳の言った「好き」と、私の「好き」はもしかして意味が違うのかもしれないけれど、その時の私にはこれが精一杯の答えだった。

「これからも、一緒にいてくれる?」

「もちろん。私だって由佳に側にいてほしい」

 私の言葉に、ようやく由佳の表情が緩む。

 そのまま、私達は抱き合ったまま眠りに落ちた。


 それからの私達は、以前にも増して一緒にいることが多くなった。

 事情を知らないクラスメート達からは、「桜淵女子のベストカップル」などと冗談まじりに呼ばれることもあった。

 誤解のないように言っておくと、私と由佳はキス以上の行為はしていない。

 私はたぶんそれを由佳に望んでいないし、由佳も求めてくることはなかった。

 そんな私達の関係をうまく説明するのは難しい。

 親友ではあるけれど、それ以上の感情も確かに存在している。だからといって恋人になることを望むかといえば、今はよくわからない。

 ただ、私は由佳との関係を同性愛とかそういう言葉で簡単に括られるのはいやだった。

 だから、私逹の中ではお互いのことを「特別な親友」という言葉で呼称していた。


 ***


 家に帰ってからスマホを見ると、美紅からのメッセージがいくつも入っていた。


『摩耶部長ー、今度遠回りでもいいから一緒に帰りたいなー』

『それか遊びにいきたいな』

『そうだ 駅前に新しくできたスイーツのお店は? 学園祭のメニューのヒントになるかもしれないよ』


 ――ふう、どうして美紅は私にこんなにかまってくるんだろう。


 私は美紅にメッセージを返した。


『一応私は受験生なんだから、そんなに遊びには行けないよ。でも、スイーツのお店については行ってみてもいいかな。あくまで部活としてね』


 美紅からすぐに返信が入る。


『やったー! じゃあ今度の土曜日でいい? いい?』


 ――この子、ほんとにグイグイくるな。


 私は返信をする前に由佳に電話を掛けた。


『あれ? 摩耶、どうかした?』

「ああ、由佳。ちょっと話があるんだけど、今度の土曜――」

『そうだ! 今度の土曜!』

 私の話を遮るように由佳が叫んだ。

『さっきお母さんから聞いたんだけど、今度の週末にお祖父ちゃんの法事があるんだって。だから、週末は摩耶と会えないんだ……』

「あ、そう……なんだ。」

『そういえば何か言いかけてなかった?』

「……ううん、大したことじゃないから、また今度話すね」

『うん、わかった。じゃあまた明日』


 私は通話の切れたスマホを手に持ったまま少し迷った後、美紅に返信をした。


『由佳が週末に都合が悪いみたいだから、私だけ行くけどいい?』


 またすぐに返信がきた。


『摩耶部長が来てくれるなら全然ダイジョーブ! すっごいうれしい!』


 なんだか押し切られてしまったような気がするけど、とりあえず私は週末に美紅と一緒に出かけることになった。

 そして、このことはつい由佳に言えないまま当日を迎えた。


 ***


「あ、摩耶部長ー、こっちこっち」

 土曜日の午後、約束の時間の10分前には来たはずだったのに、美紅はもう待ち合わせの場所で待っていて、私を見つけると大きく手を振った。

「わー、部長の私服、清楚って感じでカワイイ! もうイメージ通りっ」

「ありがとう。そういう美紅も、そのままって感じだよね……」

「えっ、そーですかー?」

 美紅は、大きく胸元の開いたキャミソールに、デニムのショートパンツから伸びるなめらかな脚線を大胆に露出している。

「それより、早くいこ。もうすぐ女子限定のサービスタイムだから」

 美紅は私の手を握るとそのまま歩き出した。

「あ、ちょっと待ってよ」

 慌てて私も美紅に追いかけるように足を速める。

 やっと私が美紅に並ぶ位置まで追いつくと、美紅は手をつないだまま腕を絡ませてきた。

「こら、くっつき過ぎ」

 私の抗議に美紅は悪びれる様子もない。

「あはは。なんだかデートしてるみたいでしょ?」

「ブ、カ、ツ。あくまで部活だから」

 それでも美紅は離してくれず、私達はそのまま腕を絡めたまま通りを歩いていく。

 私は少し不安に駆られて周りの様子を窺ってみるが、仲のいい女の子同士が手をつないだり腕を組むのはそれほど珍しくはないせいか、私達を気にする人はいなかった。


 美紅の言っていたお店に着くと、既に何人かの学生や若い女の人が並んでいた。

 女子限定サービスというのは、60分間千円でスイーツ食べ放題で紅茶も付いてくる、というものらしい。

 そのまま列に並んでいると、10分ほどで中に案内された。

「よーし、それじゃ行きますか」

 美紅が目を輝かせている。

「ちょっと! 今日の趣旨を忘れないでよ」

 わかってまーす、と言いながら美紅はケーキの花畑を飛ぶ蜜蜂のようにテーブルの間を飛び回っている。

 そういう私も、少しだけ心を踊らせてお皿を手にした。


「――それで、美紅の意見を聞かせてくれる?」

 私はマカロンを口に入れようとしている美紅に尋ねた。

 選べるスイーツのうち、ほぼ全てを食べきった美紅が少し考え込むような仕草をする。

「そうですねー。……生クリームがメインのものは衛生管理の都合でボツになりそうだから、チョコや抹茶でバリエーションが作れるマドレーヌと、焼きプリンはメニューにいけるかな。そのほかでは――」

 正直なところ私は美紅の答えには全然期待していなかったのだが、美紅の言葉はきちんと理にかなっていて、コストまで含めて考えられていた。

「……美紅、すごいね、ちゃんと考えてたんだ」

「あー、摩耶部長ひどい。アタシのことバカだと思ってたでしょ」

「ごめん。でも、ちゃんと部のこと考えてくれてて嬉しかった」

 私の言葉に、美紅はちょっとだけ照れたように、あははと笑った。


 その後、私達はお店を出て高台の公園へ移動してからもたくさんの話をした。

 それは由佳と話すのとはまた違う新鮮な時間だった。

 美紅は、これまで私があまり興味を持っていなかったことを面白く聞かせてくれ、私も美紅の知らなかったことを話した。

 気がつけば、もう太陽は西に大きく傾いている。


「ふう、今日は楽しかった。そろそろ帰らなきゃね」

 私は座っていたベンチから立ち上がる。

「えー、まだ早いよ」

「私が受験生だってこと忘れてるでしょ」

 そう言うと、美紅も諦めたように立ち上がった。


 その時、私のスマホからメッセージの着信音が鳴った。

 由佳からだった。

 メッセージを確認した私は、美紅に向き直る。

「由佳からだった! お祖父さんの法事も済んだって。あ、部の皆には地元のおいしいお菓子をおみやげに買ったって書いてある」

 少しはしゃぐように由佳へ返信のメッセージを打つ私に、美紅が言った。

「摩耶部長と由佳先輩って、ほんとに仲がいいんですね」

「うん、由佳とは小学校のころからずっと一緒だし、私の親友だから」

「ほんとうに親友なんですか?」

 美紅が静かな声で聞き返してくる。

「そうだよ。何か変?」

 私の問いに、美紅は微かに笑ったように見えた。

「……ううん、ならいいかな」

 美紅が両手を回して私をハグするように抱きしめる。

「摩耶部長、今日は付き合ってくれてありがとー!」

「私の方こそ、楽しかっ――」

 言いかけた私の前に、すっと美紅の顔が現れる。


「大好き」


 その言葉の直後、美紅と私の唇が、軽く音を立てて触れ合った。


「え……!?」


 突然のことに言葉を発せられない私から離れると、美紅は含み笑いを浮かべる。

「それじゃ摩耶部長、またね!」

 そのまま、美紅はきびすを返して駆けだしていった。

 呼び止めることも出来ずに、私はそれを見送る。


「美紅に、キス……されちゃった」


 私は、しばらくその場所に立ちつくしていた。

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