#3 名残り
週が明けて美紅とは部活で顔を合わせたが、いつも通りのにぎやかな美紅のままで先週の行動の真意を聞く機会は訪れなかった。
もちろん由佳に相談することも出来ず、私は悶々とした気持ちを抱えたまま数日を過ごした。
その日の昼休みは、昼食を食べたあと由佳は少し落ちつかない様子で、「ちょっと用事があるから」といって教室を出て行った。
由佳は何も言わなかったが、私には由佳の「用事」には見当がついていた。
3階にある教室の私の席からは、体育館裏の通路がよく見える。
数分後、その通路を歩いて行く由佳と、由佳から少し遅れて歩く女子生徒の姿が見えた。
2人が歩いて行く先の体育館裏の奥には、大きなイチョウの樹がある。
この学校には、そのイチョウの樹の前で好きな人に告白をすると恋が叶うというジンクスがあるらしいのだが、ここは女子高だから告白するのもされるのももちろん女の子だ。
背が高くショートボブがよく似合う由佳は、特に下級生からの人気が高いようで、何度も「告白される方」であのイチョウの樹の下に行っていることは知っていた。
しかしそのジンクスが達成されたことがないのは、由佳が全て断っているからにほかならない。
だから今日もまた同じ結果に終わるのだろう。
私は、少し複雑な気分で2人の姿を目で追った。
由佳が他の人からの告白を断っているのは、間違いなく私の存在があるからだ。
しかし、私は由佳とそういう関係になることは望んでいない。いや、決して全て拒否しているわけではないが、今は友達と恋人の境界線でどちらに立つ決心もつかずに、由佳の気持ちに甘えているだけの状態になっている。
由佳が私に今以上の関係を求めてこないのは私に対する誠実さの証しなのだろうが、では私は由佳に対してどんな誠実さをもって応えたらいいのだろう。
私は時々それを考えることがあるのだが、結局どんな結論も出せずに、いつもうやむやにごまかしてしまうのだった。
「摩耶ー、2年の子が来てるよー」
クララスメートの誰かの声がした。
声のほうを見ると、教室の入口のところで美紅が手を振っている。
「あはは、摩耶部長ー、遊びに来ちゃった」
私は慌てて美紅のところに向かう。
「急にどうしたの? 教室まで来て」
「えー、なんだか摩耶部長とお話したくなったから、じゃだめ?」
いつものように、美紅が私の腕に絡みついてグイグイと迫ってくる。
「ちょっと、教室でそういうことしない!」
私が美紅を引き離そうともがいていると、背後でクララスメートの声がした。
「あー、摩耶が由佳のいない間に年下の子と密会してるー」
「違うよ! これは部活の後輩――」
「どうもー、摩耶部長の愛人でーす」
「やめなさいっ」
――なぜだろう。
美紅はいつも騒がしく強引に私との距離を詰めてくる。
でも、それで心がふと軽くなる時がある。
由佳とはまた違う、安らぎ。
私は、戸惑いながらも心のどこかでそれを受け入れつつあった。
***
「摩耶、学園祭とか今後の部のこととか話したいから、放課後2人で打ち合わせしない?」
用事を済ませて、昼休みが終わるぎりぎりに教室に戻ってきた由佳から提案があった。
私は同意して、部の皆には「今日は部長と副部長で会議をするので部活の開始時間を1時間遅くします」とメッセージを送っておいた。
放課後になり、由佳と私は部室の調理実習室で打ち合わせを始めた。
「――それじゃ、学園祭の予算と使用許可はこれでいいかな」
由佳はいつも通り的確に必要なことを私に提示してくれる。
「……うん、これで大丈夫だと思う。あとは手分けして進めようか」
「じゃあ、あとは次の部長のことだけど……あたしは、彩華ちゃんか美紅がいいかと思ってるんだけど」
由佳の口から不意に美紅の名前を出されて、一瞬鼓動が高まる。
「いろんなことをバランスよく出来るのは彩華ちゃんかな。部を盛り上げて引っ張っていくタイプなら美紅がいいと思うけど、細かい事務仕事とかは出来るかな……」
「美紅はそういうところ意外としっかりしてるよ」
私の言葉に、由佳は少し驚いたような表情を浮かべた。
「摩耶からそんな言葉が出るのは意外だったけど、何かそう思う理由があるの?」
私は内心、口にしたことを後悔した。
先週末に美紅と出かけたことは、由佳にはまだ言っていない。
それは普段なら真っ先に皆の前で話しそうな美紅自身が、なぜか全く口にしていないこともあった。
仕方なく、私は先週末のことを由佳に話した。もちろん、キスされたことは除いて。
「……ふーん。そんなことがあったんだ。美紅にそんな一面があるなんて知らなかったわ」
「黙っててごめん。結果的に由佳を置いて行くことになっちゃったから、なんだか言いずらくて……」
「気にしないでいいよ。学園祭まで時間もないし……。それじゃ、次の部長に指名するのは美紅にする?」
「……それについては、もう少しだけ考えてもいい?」
私の迷いを見てとったのか、由佳はいいよ、と言って頷いた。
「それじゃ、必要なことをメモにするね」
私がノートに決定事項を書いていると、由佳がそっと私の隣に移ってきた。
「摩耶……」
「なに?」
ペンを走らせ続ける私に、由佳は何も答えずに顔を寄せてくる。
由佳の唇が、首筋に触れた。
「んん! 由佳、ふざけないでよ。そんなことしたら書けないでしょ」
それでも由佳は何も言わずに唇を這わせる。
そのまま、制服の襟との境まできたところで、きゅっと強く肌を吸われる感触がした。
「ゆ……か?」
由佳の突然の行動に、私はしばらくの間身を硬くしていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
由佳がようやく顔を上げた。
「もう。急にどうしたの?」
私が咎めると、由佳は不安げな表情を浮かべた。
「ごめん。こんなことするつもりじゃなかったのに。さっき、クラスの子から昼休みに美紅が来てたってことを聞いたらつい……。なんだか恥ずかしいな、まるで嫉妬してるみたい」
「大丈夫だよ、ちょっと驚いたけど。それに、美紅はいつもの調子でおしゃべりしにきただけだから」
由佳の手を握ると、由佳は小さく「うん」と言って頷いた。
「だって、摩耶と『特別な親友』でいるのはあたしだけだしね」
由佳の言葉に、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みが走る。
「う、うん、そうだよ。由佳だけ……」
脳裏に一瞬、美紅の顔が浮かんだ。
それを打ち消すように、私は再びペンを走らせることだけに集中した。
「――それじゃ、私は顧問の田中先生のところに行ってくるね。由佳はここで待ってて」
私は、由佳とまとめたノートを手に部室を出た。
「あっ」
部室を出たところで、美紅と鉢合わせになった。
美紅は私を見ると、パッと輝くような笑顔を見せる。
「麻耶部長ー。もう由佳先輩との打ち合わせは終わったんですか?」
「うん。時間を遅くしてもらってごめんね。もう終わったから中で準備始めておいて」
「はーい」
美紅はいつものように元気に部室のドアに手をかけた。
しかし、何かに気づいたように私の肩のあたりをのぞき込む。
「摩耶部長、首のところにゴミがついてますよ」
「ゴミ? どこに」
首筋を触ってみてもそんな感触はない。
すれ違いざまに、美紅がそっとつぶやいた。
「部長は跡が残りやすいみたいだから気をつけないと、ね」
鏡を取り出してみると、首筋には由佳のつけた、唇の形をした赤い皮下出血が残っていた。
「失礼しまーす」
笑を含んで美紅が部室へ入っていった。
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