ディステルの棘
椰子草 奈那史
#1 由佳と美紅
「では、今日は学園祭に向けた新作クッキーの試作を行いましょう」
「はい! お願いしまーす」
部員達は元気に応えると、それぞれの持ち場へと散っていった。
私、
私の学校では生徒は必ず何らかの部か同好会へ所属する事が決められているのだが、当然ながら全ての生徒が部活動に興味があるわけではなく、形ばかりの入部をする人も少なからず存在する。
そんな生徒達には人気の部がいくつかあり、私の料理研究部もそのひとつだった。
人気の理由としては活動自体が緩いことと、幽霊部員に寛容だということがどの部にも共通している。
そのため、料理研究部も名目上は30人以上の部員がいるにもかかわらず、実際に普段から活動しているのは10人程度だ。
私自身が来たい人だけが来ればいいという考えを持っていることもあり、私が部長になってからも部の伝統を尊重して参加を強制するようなことはしていなかった。
「摩耶部長ー、チョコチップのほうが出来たので見てくださーい!」
チョコチップクッキーを担当する班をまとめる
バットの上には甘く香ばしい香りのするクッキーがきれいに並んでいた。
「うん、よくできてるね。おいしそう」
「でしょ? 部長、早く食べてみて!」
美紅は私に負ぶさるようにぐいぐいと背中に密着してくる。
――ぐ、この子、胸大きいな。
一瞬、変なことに気を取られた私の耳元に、息がかかるほどの距離で美紅がぽそっと囁く。
「甘くて美味しいよ」
「わかったから。近い、近いってば」
なんとか美紅から逃れて、他の部員達と一緒にクッキーの試食を始める。
「んー、すっごい美味しいね。これは売っていいやつ!」
美紅が自分逹で焼いたクッキーを自賛した。
「そうでないと困るんだけど」
ですよねーっ、そう言ってケラケラと笑う美紅につられて、私も部員達も一緒に笑っていた。
この子は、料理研究部の中では変わり種といえる存在だ。
美紅は1年生の時は別の部に所属していたのだが、2年生になって突然、料理研究部への転部を希望してきた。
転部すること自体は規則で認められているが、既に出来上がっているコミュニティーに途中から加わるのを嫌って、実際に行われることは稀だった。
前の部でのトラブルを心配した私は、それとなく知り合いの子に聞いてみたのだが特にそのような話はなく、ただ「料理をやってみたくなったので」という理由で辞めたということだった。
転部してきた当初、私は美紅が新しい部に馴染めるのか密かに心配していたが、それは全くの杞憂だった。美紅は天性ともいえる快活さで1か月も経つ頃には完全に部に溶け込み、むしろ今では輪の中心にいることも多くなっている。
背は私と同じくらいでそんなに大きくはないものの、猫のようにくりっとした目と、肉感的な体が不思議とマッチした魅力的な子だ。いつもカチューシャを付けているのは、本人が言うには「クセ毛で髪がボンっとなる」かららしい。
次の試作品の話で盛り上がっている美紅達から目を移すと、別の班に付いていた副部長の
由佳は、片方の口角だけを上げるように笑うと「やれやれ」とでも言うように小さく肩をすくめる。
私と目が合う前、一瞬、由佳は別の誰かを見ていたような気がしたが気のせいだったのだろうか。
私が口の形を「イッショニカエロウネ」と動かすと、由佳は微かに微笑んで頷いた。
「――それじゃ、ドアを閉めるからみんな忘れ物しないでね」
私は部室を兼ねている調理実習室がきちんと片付いていることを確認すると、ドアを施錠して事務室にカギを返し、そのまま生徒用玄関へと向かった。
玄関の靴箱の前では、由佳が待っていてくれた。
「ごめん、待った?」
「ん、全然へーき」
私と由佳が並んで玄関口を出ると、後ろから軽やかに駆けてくる足音がした。
「摩耶部長ー! たまには一緒に帰ろうよーっ」
美紅が後ろから抱きつくようにくっついてくる。
「ちょっ、びっくりするでしょ! 一緒にって言っても、美紅と私達は校門を出たら方向が逆じゃない」
「えーっ。じゃあ校門までは一緒に帰ろ」
「それはもちろんいいけど」
こうして私達は3人で校門に向かった。
「それじゃ先輩達、また明日ねー!」
校門を出たところで、美紅は名残り惜しそうに手を振りながら歩いて行った。
それを見送って、私と由佳も反対の方向に歩きだす。
「ずいぶん懐かれてるんだね」
由佳が可笑しそうに言った。
「美紅のこと? どうしてなのかな。最近特にグイグイと来るんだけど」
「好きなんじゃない? 摩耶のこと」
「まあ、慕ってくれるのはうれしいけど」
「慕ってる、ね……」
由佳は一瞬何か言いたげな表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
親同士が元々友達だった関係から、小学校のころから仲良くなった私と由佳は、中学校、高校とずっと一緒に過ごしてきた。
女子としては背が高いほうで、運動能力が高い由佳は中学校のころは運動部に所属していたが、高校に入ってからはなぜか私と一緒に料理研究部に入部を決めた。
去年の秋、前の部長から次の部長に私が指名された時、私は最初由佳のほうが適任だと思い断ろうとしたのだが、当の由佳がそれを拒んだ。
「摩耶のほうが皆に公平に接することができるから、部長は摩耶がいいと思う。そのかわりあたしは副部長になって摩耶を支えるから」
そう言われて、私が部長、副部長が由佳の体制が決まった。
実際のところ、あまり人との交渉などが得意ではない私は由佳に頼ることも多く、由佳はいつも献身的に私を支えてくれた。
でも、それももう少しで終わりとなる。
3年生の引退の時期は部によって違うが、私達の料理研究部では秋の学園祭を終えた時が慣例になっていた。だから、由佳と私が部の活動に関わるのもあと2か月ほどだ。
「――そういえば、学園祭までにあといくつかメニューを増やしておきたいんだけど、由佳はどう思う?」
「メニュー? ああ、そうだね……」
由佳と私はいつもこんなふうに色んな話をしながら帰っていた。
やがて、住宅街の角にある小さな公園が見えてきた。
その公園を右に曲がれば由佳の家で、真っすぐ進めば私の家に着く。
だから、ここが由佳と別れる場所になる。
「それじゃ、また明日だね」
「うん……」
今日も由佳と一緒の1日が過ごせた。
それはほとんど毎日のように繰り返していることなのに、時々この瞬間を切なく感じるのは何故なのだろう。
由佳も同じなのだろうか。今日は少しそわそわした様子で落ちつきがない。
不意に、由佳が私の手を握って公園の入り口に立つ広葉樹の木の陰へと導いた。
木を背にした私に、由佳が向かい合う。
私の肩にそっと由佳の手が添えられた。
由佳の顔がゆっくりと近づいてきて、私の唇に、由佳の柔らかい唇が触れた。
「由佳……人が来たらどうするの」
「ゴメン。でも、今日のお別れに」
もう一度、ゴメンといって由佳が再び顔を寄せてくる。
そして、私達は短いキスを交わした。
その後、公園で由佳と別れて私はひとりで家路についた。
唇には、まだ由佳の唇の感触が微かに残っていた。
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