フリーライター T氏の自室にて 3

 佐藤からテキスト化を依頼された音声は、以下の3本だ。


1.写真集の発行を持ちかける編集者と佐藤のやりとり

2.モデルの少女に疑念を持った編集者と佐藤のやりとり

3.モデルの少女からの聞き取り(インタビュアーの音声なし)


 1は写真家志望と編集者の、なんということのないやりとりである。ホラーの導入にしては退屈かと思った。本人役で登場しているらしい佐藤の演技は意外に自然で、本人そのままという感じだった。


 2は一番出来が良かった。編集者の、淡々としていながら妙に張りつめた口調が印象深かった。1では編集者は軽薄で調子の良い人物だったので、切り替えのうまさが光った。佐藤のおどおどした感じもいい雰囲気だった。


 3は出来不出来以前に音声の質が最悪で、何度も何度も聞き直さねばならず、ずいぶん苦労させられた。たぶんICレコーダーを空調機のそばにでも置いてしまったのだろう。周波数の合っていないラジオのような雑音がずっと大きく鳴っていた。

 インタビュアーらしき誰かに向けて喋っているようだったが、その相手の声は全く聞こえず、そこが不気味と言えば不気味だった。ICレコーダーのマイクが女性側を向いていて、なおかつ収音状況が悪かったことを考えれば現実にありえないことではない。ただ、リアリティを追求するのならそのあたりも入れておいた方がずっと自然だと思う。女性の音声すら聞こえない部分も少なからずあり、多少は想像で補うしかなかった。


 苦戦しつつテープ起こしを終え、佐藤に連絡をしようとしたタイミングで、急に仕事が忙しくなった。

 編集プロダクションで急な欠員が出たため、ピンチヒッターを頼まれたのだ。優秀な人物だったらしく、手間のかかる急ぎの仕事をいくつも抱えていた。その編プロでは以前もピンチヒッターを務めたことがあり、真っ先に声をかけてくれた。払いのいい会社なのでぜひともやりたい。とはいえ他の会社から既に引き受けている仕事も手を抜くわけにはいかない。1月ほどはまさに目の回るような忙しさで、佐藤に割ける時間などは一切なかった。無名の知人から趣味で引き受けたほぼ無報酬の仕事と、出来次第で次があるかないかを左右する生活がかかった仕事では、比べるまでもなく優先順位が違う。

 

 山場を越え、編プロの社員たちとお疲れ様の打ち上げも終え、自宅でゆっくりと羽根を伸ばしたタイミングで、ようやく彼のことを思い出した。

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