第99話 魔王一家、春を待つ

 寒さが和らいできた。

 降る雪は水気を帯びたものになり、降り積もってもすぐに溶けていく。

 春が近いのであろう。


「パーパ?」


「うむ、もう一年過ぎたのだなと思ってな。魔王をやっていた時には、一年一年が過ぎゆく様など気にも留めなかったのだが」


「まおう?」


「はっはっは、なんでもないぞ。気にしてはならぬからなショコラ」


「うん!」


 ショコラと手をつなぎ、子ども園に向かうのである。

 足取りもしっかりし、まるでずっとまえから歩いていたようである。

 ショコラはもこもこの靴を履いて、溶けかけの雪をぺちゃぺちゃ踏んだり、蹴飛ばしたりしている。


「あんまり雪でびしょびしょになったら大変であるぞ」


「へいきー。まほうつかう!」


「そうか、ショコラは温風で乾かす魔法を覚えたのであったな」


「うん! つかうねー」


 ショコラは濡れたズボンのあたりに、小さい手のひらをくっつけた。


「マウ!」


 一声叫ぶと、びゅうっと温風が吹く。

 あっという間に、ショコラのズボンが乾いてしまった。


「おー! 集中も一瞬、完全に使いこなしているであるな」


「ピャ……うん!」


 最近、ショコラはあまり、ピャーと言わなくなった。

 ショコラなりに、お姉さんになったのだからピャアはらしくない、と思っているのかも知れない。

 成長していっているのであるなあ。


「もう少しでチリーノに追いつくかも知れぬな」


「うん! チリーノ、すごい!」


 とは言ったものの、チリーノは大魔道士ボップの教えを受け、もりもり成長しておるからな。

 あと一年もすれば、世界で三番目の魔法の使い手になることであろう。

 あれは天才というものだ。

 努力する天才である。

 全ての元素に属する魔法を、極めて精密に取り扱える様は、ボップとは違うタイプの魔道士であるな。

 ショコラはドラゴンというアドバンテージがある故、魔法の扱いには長けている。

 だが、相手が悪い。

 

「チリーノ、すきー」


「な、なにっ……!?」


 無邪気に発せられた言葉に、余は凍りついた。

 これほどの衝撃、魔王時代にも感じたことなど無かったぞ……!!

 一体どういうことなの……!!


「ショコラちゃんきたー!」


「おはよー!!」


 悩んでいる内に子ども園に到着してしまった。

 ショコラは余から手を離し、ばたばたと走っていく。

 先に来ていたチロルが駆け出てきて、二人はむぎゅーっとハグしあった。

 すっかり、二人とも親友であるな。

 ほっこりする。

 元赤ちゃん軍団も現れ、みんなできゃっきゃわいわいと子ども園の家屋に入っていく。

 途中、ショコラが振り返って、


「パパ、ばいばーい!」


「うむ!」


 手を振ってくるショコラに、余も手を振り返した。

 もうすぐ、赤ちゃん軍団ともども赤ちゃん組を卒業なのである。

 そして六人は年少組になる。

 チリーノ弟ことクレートは卒園となり、ザッハ魔法スクールの二期生となる予定だ。

 皆成長し、変化していっておる。

 人間は、驚くほど早く変わっていくのであるなあ。


 家に帰ると、ユリスティナが大変むずかしい顔をしてリビングに座っていた。


「どうしたのだ」


「腹を蹴られた気がする。こう、内側から」


「ほう……。やる気に満ちた者が宿っておるな」


 じいっとユリスティナの腹を見た。

 もうすぐだというのに、見た目はあまり分からぬな。


「ザッハ。もうすぐ生まれるのだろう? それなのに、思ったよりも目立たなくて不思議なんだ。……もしや私の体が大きいので余りわからない……? 子どもが小さいのだろうか……?」


「うむ。余はその辺さっぱり知識が無いので知らぬ」


「お前も初心者なのか……! 二人で勉強していくしかないな」


「うむ。ショコラが赤ちゃんを卒業したと思ったら、新たな赤ちゃんの到来である。これはしばらく、楽はできぬな」


「楽はできないが、楽しいだろ?」


 ユリスティナに言われて、余は思わず笑ってしまった。

 全くその通りである。

 この一年ちょっとは、魔王であった千年にも匹敵する波乱万丈。

 そして、驚きと喜びに満ちた日々であった。

 これから、また新しい一年が始まり、余が知らぬ驚きや喜びを与えてくれるであろう。

 

 その後、二人でこちゃこちゃと、家で準備などしている。

 冬が終わるのだから、春の用意をせねばならんのだ。

 春になれば草木が芽吹き、動物たちも顔を出す。

 山に山菜採りに行ったり、狩りをしたりだ。

 今年はボップを山に連れて行くのだとか。

 魔法以外は貧弱なあやつが、どこまで魔法抜きの狩りをできるか楽しみである。


「ザッハ、今年はお前も魔法抜きでやるんだぞ」


「……そうか。余は去年、魔法を使っておったな」


「恐らく、私はついていけない。私のぶんもたくさん狩ってくるように」


「心得たぞ。赤ちゃんが元気に生まれてくるように、栄養があるものを手に入れてきてやろう」


 顔を見合わせて笑う。

 そうこうしていると、子ども園が終わる時間だ。

 びちゃびちゃと雪が溶けた地面を走る足音。

 扉が開き、


「パパ! ママー!」


 靴を脱ぎ散らかす音。

 廊下をどたどたと走って、我が家の小さなお姫様がやって来た。


「ショコラ、赤ちゃんがママのお腹の中で暴れたようだぞ」


「ほんと!?」


 跳び上がるショコラ。

 そして、コートを脱ぐ間も惜しんでユリスティナに抱きついた。

 お腹に耳を当てて、


「もしもし、あかちゃんー? ショコラ、おねえさんだよー」


 ほっこりする光景である。

 余もユリスティナも笑ってそれを見ていた。

 ふと、ユリスティナの顔がむずかしくなる。


「どうした? もしや」


 彼女は笑う。


「返事をしたみたいだ。また、中から蹴っ飛ばしてきたぞ」


「ほんと? あかちゃん、だめよー。ママ、いたいいたいって」


 ショコラがお腹に囁く。

 さて、新しい我が家の一員は、ドラゴンなお姉さんの言うことを聞くであろうかな。


 ふと、外が明るくなったのに気づく。

 雪は止み、雲間から光が差し込んでいるようだ。

 春がもう近いのだ。

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