第54話 魔王、旅人の母子を村に招く
「大丈夫か? こりゃあひでえ熱だ」
イシドーロはしゃがみ込み、女の熱を測る。
子どもはフードが取れてたことに気付き、慌てて被りなおす。
だが、イシドーロはもう、それを気にしていない。
大した男である。
「どれ、見せてみよ。ふむ……これは流行り病の一種であろうな。オルトロスが媒介する熱病でな。オルトロス熱という。人には掛かるが、魔族の多くはこれの耐性を持っておる」
「そうか。じゃあ、子どもは大丈夫かも知れねえな」
イシドーロは、子どもが魔族の子どもだと判断したようだ。
そして、倒れている女は人間である。
それをママと呼ぶということは、子どもは魔族と人間の混血なのであろう。
魔界はかなり寛容なので、人間だろうと力があれば受け入れられる。
だが、人間界はそうも行くまい。
「イシドーロ、ここでは薬がないため、応急処置しかできぬ。この女を村に運ぶのだ。熱病が伝染せぬ処置を施しておくゆえな」
いや、余はこの程度の熱病は一発で完治させられるのだがな。
だが、ここで治せば、この女を村に入れるのが面倒になるであろう。
子どもを連れて母親が旅をするなど、危険極まりない。
村で保護するのがよいだろう。
ということで、熱っぽい状態にだけしておく。
「リフレッシュ。そしてホット」
二つの魔法を立て続けに使う。
一発目の魔法で、病気は完全に消えた。
そして二つ目の魔法で、ちょっと熱っぽいかな、という状態が持続するようになる。
実際はほかほかに温まっているだけである。
「よし、じゃあ俺が背負う。子ども、お前もついてきな」
「チロル」
子どもはそれだけ言った。
名前であろう。
まだ幼いのに名前がある。
これは人間の習慣ではない。それなりの地位の魔族の習慣である。
「チロルか。いい名前だな! 俺はイシドーロだ」
「……ウン! アリガト、イシドーロ!」
チロルは少し嬉しそうに頷いた。
「ピャ!」
ショコラが、チロルに挨拶する。
「ショコラチャンモ! アト……」
「余はザッハである。その足で竹林や森を行くのは大変であろう。余が抱っこしてやろう」
「ダッコ……」
チロルはちょっと躊躇したようであった。
「マウマウー!」
だが、ショコラが大歓迎、という風に手を振り回したので、思いなおしたらしい。
余の腕の中に納まった。
細くて軽い。
子どもはもうちょっと、ぷくぷくしていなければならぬぞ。
「ピャ、マウマー」
「ショコラチャン、ニンゲンノアカチャンジャナイ? ウロコ、キレイ」
「貴様にも見えるか。秘密だぞ。実はショコラは、ドラゴンの赤ちゃんでな」
「ドラゴン?」
知らぬか。
よし、後で色々教えてやるとしよう。
旅の女とチロルを連れてベーシク村に戻ると、すっかり朝になっていた。
村人が動き始めている。
そのため、連れられてきた旅の女は大変目立った。
「ザッハさん、それにイシドーロ、お帰り! ショコラちゃんも元気だな……と。お客さんがいるようじゃないか」
ブラスコに、状況を説明する。
「なるほどな。じゃあ、俺は一旦村長に知らせてくる。その人は……」
「俺の家に連れて行くよ。幸い、男一人であの広さは持て余してたんだ。人を置いておくだけの余裕はあるよ」
「おお、いいのかい? じゃあそうしてくれると助かる!」
ということで、親子はイシドーロの家に置く事となった。
家に女とチロルを降ろし、余はいったん家に帰るのである。
「お帰り、ザッハ。おお、タケノコじゃないか。たくさん獲れたな」
「うむ。後で下処理を教えてもらうのだ。そしてユリスティナ。竹林で行き倒れを見つけたぞ。これからイシドーロの家まで行くのだ」
「よし分かった。では、朝食はイシドーロの家で作ればいいな」
ユリスティナの察しがよい。
卵や牛乳、パンなどを持ち、我らはイシドーロの家に戻ってきた。
どさっと置かれた牛乳や卵、パンを見て、チロルがグーッとお腹を鳴らす。
「今すぐに人数分の食事を作るゆえ待っておれ。病人にはショコラと同じパン粥を作ってやろう」
余、イシドーロ家の厨房に立つ。
「ザッハさん、家庭的なんだなあ」
「何から何まで済みません……」
蚊の鳴くような声で言ったのは、目を覚ました旅の女であった。
名をハンナと言い、ここより遠い国で暮らしていたようだ。
旅に出た理由は話さなかったが、チロルがフードを被っていることを、ちょこちょこ確認していたので、きっと魔族の子を産んだことで迫害されたのであろう。
「家の中でまでフードじゃ、息が詰まっちまうだろう。気にしなくていいぜ」
イシドーロはそう言うと、チロルのフードを外してやった。
あらわになる、額の角。
ハンナが息を呑んだ。
余とユリスティナは平然としていた。
「おお、まだ小さいではないか。年は幾つだ?」
ユリスティナはしゃがみ込み、チロルと目線を合わせて語りかける。
彼女の反応面食らったらしく、チロルも目を白黒させている。
やっとの事で、「フタチュ」と答えた。
「二歳か。少し小柄なのではないか? よく食べ、よく寝て大きくなると良いぞ。ザッハの料理は美味いからな!」
わしわし、とチロルの頭を撫でるユリスティナ。
驚いているのは、ハンナも同じだ。
「その……魔族の子が、恐ろしくはないのですか?」
「いや、別に?」
ユリスティナはそうであろうなあ。
余が感心したのはイシドーロの反応であるな。
「子どもなのに、人も魔族もねえだろ。子どもはたくさん食べて、たくさん笑って、それで大きくなるのが仕事なんだからよ」
「あ、ありがとうございます……!」
ハンナが涙目で頭を下げる。
チロルは状況が理解できず、きょろきょろ大人たちの反応を見回していた。
そこに、ショコラが突撃する。
「マーウーマー!」
赤ちゃんという次元を超えた、這い這いタックルがチロルに炸裂した。
そして、尻餅をついたチロルの前で、ショコラは悪戦苦闘しながら、自分も座る体勢に入ろうとする。
あ、失敗した。
ころんと横に転がる。
ユリスティナが、スッとその体勢を座った状態にした。
「ピャア、マウー」
ショコラがニコニコしながら、チロルに向かって手を伸ばした。
「ショコラチャン!」
チロルもつられて笑顔になり、ショコラの手を握った。
おっ、これはショコラに、年の近いお姉さん二人目が誕生だな。
チリーノの妹と、チロル。
同性の先輩は大事であるぞ。
そこへ、我が会心の朝食の登場である。
湯気を上げるオムレツと、温めた牛乳。そして焼きたてのパン。
近所の奥さんから分けてもらったジャムを載せているぞ。
「ワアー!」
「いただいても、いいのですか!?」
チロルが目を輝かせ、ハンナは驚きで目を見開いている。
ハンナの腹も鳴った。
「食すがよい。人数分用意してある故な」
「ハイ! ワレラマジョクノホコリタル、ザッハトールサマ、キョウノカテヲカンシャシマシュ」
チロルはつたない口調でお祈りを捧げると、パンにかぶりついた。
そして、目をきらきら輝かせる。
「オイシイ! オイシイ!」
「マーウー!」
ショコラもそれを見て、パン粥を食べさせてくれと激しく要求してくる。
よかろう。
チロルのお姉さんに負けぬよう、ショコラも存分に食べるのだぞ。
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