第43話 魔王一家、魔界のホテルに泊まる
見事に入国の許可を得た我らは、魔界の都ザッハシティに入るのである。
この名称は五百年ほど前に決まったものだが、余は反対したのである。
自分の名前がついた都市など、その名を人が口に出すたびに余が呼ばれたようで紛らわしいではないか。
だが、当時の家臣であった魔族はそこを頑として譲らず、しまいには魔界の国民投票で決まってしまったのだった。
賛成十割。
どういうことなのか。
余があまりにも善政を敷きすぎ、さらには五百年という歴代最長クラスの在位であり、なおかつその時も、余に挑戦する者はあれど、善戦できるレベルの者はいなかったためである。
魔界は力こそすべてである。
力にて最強、事務能力も最強、管理能力も最強である余は、当時の魔界の民にとって理想的統治者だったらしい。
「だが、今は自由である」
「ザッハ、誰と話しているんだ?」
余が過去に思いを馳せていたところ、ユリスティナに突っ込まれた。
「お前はいつも念話で誰かと連絡を取り合っているだろう。今回もそうだろうと思ったんだ」
「いや、今回は別になんでもないのである」
独り言のようなものだ。
ユリスティナはそれを聞いて、「ふむ、そういうこともあるのか」とソファに深く身を沈めた。
彼女の膝の上で、ショコラがふかふかのソファをぼんぼん叩いている。
そう、ソファである。
我らは今、魔界のホテルにやって来ていた。
人間が宿泊するというのは、このホテル始まって以来である。
しかも、それが勇者パーティとして魔王と戦った、聖騎士ユリスティナなのだから大変だ。
支配人が出てきて挨拶をし、その後、細かな手続きが必要になった。
例えば、魔界の食べ物にアレルギーは無いか、とか、宗教上のタブーは無いか、とか。
ユリスティナに好き嫌いは無いし、神を信仰しているが特に祈ったりはしない。
自然体で神に祝福されている娘なので、一見すると当代随一の神の祝福を受けた聖戦士にはとても見えないのである。
割と、神の祝福はランダムであるな。
信仰心の多寡は全く関係ないらしい。
「部屋が取れました。チリーノさんだけは食事に気をつけねばならないでしょうが、他の皆様は心配ないでしょう」
諸処の手続きをしてくれていたカオスナイトが戻ってくる。
彼女はこれから、家に帰ってシャワーを浴びて、その足で職場に直行するそうだ。
お疲れ様である。
だが、数字全般に対して壊滅的な才能を見せる彼女が、選挙の開票を担当しているとなると、余には迫る破滅の足音が聞えてくるのである。
「後ほど貴様の職場に顔を出すゆえな」
「はっ! お待ちしております!」
ホテルのロビーで余に敬礼するカオスナイト。
おいよせやめるのだ。
当然、八騎陣が敬礼するのだから周囲の注目が集まる。
余が何者かと詮索されたらどうするのだ。
『そういうのはやらないようにな』
念話で釘を刺しておく。
カオスナイトはハッとして、それから無言でこくこく頷いた。
黙礼しながら去っていく。
あやつ、基本的に体育会系だからな。
目上への敬意が、骨の髄まで叩き込まれているのだ。
「お客様、お部屋の鍵でございます。お荷物をお持ちしましょう」
ボーイがやって来て、鍵と引き換えに我らの荷物を預かった。
運搬の魔法を使い、荷を宙に浮かせるのである。
ボーイはインプであった。
「ご苦労である。これはチップな」
「ありがとうございます!」
余はちょっぴりだけ多めにチップを渡してやった。
こうすると、滞在中にこやつが成してくれるサービスがちょっと良くなるのだ。
「先生、慣れてる?」
「うむ。魔界には長くいたことがある故な」
チリーノの疑問に答えてやる。
何せ千年以上いたからな。
慣れているも何も、この辺りのシステムの根幹を作ったのは余だ。
そうだ、魔界では比較的、チップ文化が根付いている。
チリーノにはチップ用のお小遣いを渡さねばな。
ちなみに有名人であるユリスティナは、チップ代わりにサインとか握手とかで代用できる。
腕相撲などしようものなら、受けられるサービスのクオリティは最上級になるであろう。
あの聖騎士と腕相撲したというのは、その店にとって大変な宣伝になるのだ。
「こちらでございます。ルームサービスをお呼びの際は、この悪魔のベルを鳴らしてくだされば、各部屋専用の転移魔法で即座に参りますので」
「うむ」
ボーイは一礼すると去っていった。
通された部屋は、とても広い部屋である。
まず扉を開けると、通路があった。
そこを真っ直ぐ進むと、窓に面した大きなリビングになる。
ベッドにもなるソファが三つと、テーブルがあり、その上には魔界のウェルカムフルーツと魔界ワイン。
さらに左右には別々にベッドルームがあり、バスルームも窓際と部屋の奥の蒸気浴タイプのもので二種類。
リビングには魔力で動く冷温貯蔵庫が据え付けられており、中にはフリードリンクとして種々の魔界アルコール類と、魔界おつまみが常備されていた。
「あれっ、ここってロイヤルスイートルームなのではないか」
余はびっくりした。
ベッドルームが二つ……いや、三つある。
そしてリビングが大小二つ、バスルーム二つに二面がバルコニーという最上級の部屋である。
お忍びでやって来た我らだというのに、こんな目立つ部屋に泊まるのか!
「うわー、ひろーい!!」
チリーノは大喜びで、部屋の中を駆け回る。
全ての部屋が絨毯張りである。
チリーノは床に寝転び、ごろごろと転がった。
「マーウ、マーウ!」
ショコラも真似をしたいらしくて、ユリスティナの腕の中でばたばたする。
姫騎士は赤ちゃんが逃げ出さないようにしっかりと抱っこしながら、しかし目線は泳いでいた。
「ザッハ。明らかにここは、ホーリー王国の私の部屋より広いのだが。というか謁見の間くらいあるのではないか?」
「ホーリー王国は質素すぎであろう……」
ロイヤルスイートルームを見て驚くユリスティナだが、余は彼女の故郷が心配になった。
一応、人魔戦争の中核となり、聖戦士ユリスティナを輩出し、勇者ガイのパーティを支援してともに戦ってきた王国である。
その国の王城にある謁見の間が、ホテルのロイヤルスイートほどの広さというのはいかがなものか……。
近々、ホーリー王国にもお邪魔せねばならぬようだな。
ちょっと復興に手を貸したい。
それから城を改築してやらねばならぬ。
余は建築士としてもちょっとしたものなのだ。
魔王城のデザインは余ぞ。
「いかんいかん。余は魔王を辞めて自由になったと言うのに、どうしてこう、次から次に仕事を抱え込もうとするのだ……!」
もしや、千年もの間、魔王を続けてきたのも、こうしてショコラの世話をせっせとやっているのも、全て余の業のようなものなのでは……?
「ま、いいか」
余は考えるのを止めた。
まずは、床に転がれなくて不機嫌にほっぺを膨らます、ショコラをなだめなければなのである。
魔界フルーツの皮でも剥いてやるとしよう。
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