第15話 魔王、家に着くまでが旅行と言う

「ザッハトール。かなり危ないところだったじゃないか。計画の見通しが甘かったのではないか?」


 反省会である。

 ユリスティナは幻覚で変装しており、黒髪の別人の姿となっている。

 誰も、昨日王都を救った彼女に気付かない。

 巷では、壮行会場に現れたドラゴンと、それを倒して華麗に婚約破棄宣言をしていった、聖騎士ユリスティナの話題で持ちきりであった。

 今も、我らの横に座った奥様方が、昨夜の出来事を面白おかしく語っている。


 そう、我らは今、喫茶店にいた。

 ゼニゲーバ王国は大変豊かな国ゆえ、茶と軽食だけしか出さない店もやっていけるのだ。

 余の前には、遥か南で取れるカフェという飲み物に、山盛りの生クリームを盛ったものがある。

 カフェウインナーとか言うらしい。

 苦味のあるカフェがまろやかな味になり、美味である。


「聞いているのかザッハトール」


「うむ、聞いておる」


 余が真面目な顔で答えると、姫騎士は呆れたような表情をした。

 そして、ショコラを抱えたまま身を乗り出し、余の口元をぬぐう。

 むっ、生クリームがついていたのか!!

 不覚にもこのザッハトール、口周りのクリームに気付いていなかった。

 なるほど、己の口元も見えぬ余が、魔将オロチの動向を完全に把握できるなど思い上がりであったかも知れぬな。

 それはそうと、カフェウインナーは美味いな。

 

「済まぬな。余の見通しが甘かったようだ」


 余が素直に謝ると、ユリスティナは目を丸くした。

 そして何ともいえぬ表情をする。


「いや、結果的にお前にフォローしてもらったわけだし、私はこうして自由の身になった。私も過ぎたことを言うよりは、今こうして得た結果に礼を言いたい。ありがとう」


「マウマー」


 ショコラが自己主張した。

 彼女の前には、ユリスティナ用のケーキと、赤ちゃん用ミルクプリンがある。

 お口の中のプリンを食べ終わったので、もう一口欲しいらしい。


「本当にショコラちゃんはよく食べるな……。ほら、あーん」


「マー」


 大きくお口をあけたショコラが、匙の上のプリンをつるりと飲み込む。

 むにゃむにゃと、歯がない口で咀嚼すると、ニコニコした。

 ミルクプリンにご満悦であるな。


「それでだ。私はつい、ジャスティカリバーでオロチを倒してしまったが良かったのか? あの時はそれ以外に手は無いと思って実行したのだが、今になって思えば、あれはお前の部下だろう」


「問題ない。オロチは暴走しておったからな。それに、ショコラが怖がって泣きかけたので、急いで止めとばかりに消滅させたのは余だ。何、あれは余の使い魔。今頃は使い魔の控え室に魂だけの状態になって帰って来ている」


 余は山盛りクリームを掬うと、口の中に入れた。

 うむ、美味い。

 余の言葉に安心したのか、ユリスティナはホッとした顔でケーキを食べ始めた。

 生クリープたっぷりの真っ白なケーキである。

 この店は、乳製品に自信があるらしい。

 しばし、もくもくと目の前のものを食べている我らの耳に、隣でぺちゃくちゃしている奥さんたちの言葉が聞えてくる。


「それでね、ムッチン様ったら婚約破棄を受け入れたんだって!」


「夫婦になって仲良く竜殺ししたらいいのにねえ。あ、でもムッチン様は軍隊を連れてだものね」


「あー、ユリスティナ様素敵だったわ。私があと十歳若かったらファンレター出しちゃう」


「ファンレターに年は関係ないでしょ。でも本当にユリスティナ様は格好良かったわねえ……。吟遊詩人が作った物語でも、ユリスティナ様は素敵だったけど、本物は凄すぎたわ……」


「あなた、ギャーッて言いながら胸を押さえて倒れちゃったものね」


「ハートを奪われたわ、素敵……」


「でも、ユリスティナ様とご一緒だった殿方は誰なのかしら」


「さあ……。ユリスティナ様と愛を語らった勇者ガイは、いまやホーリー王国の入り婿だものねえ」


 おっ、話の雲行きが怪しい。

 ユリスティナは、「うっ」と呻くと胃の辺りを押さえた。


「ザッハトール、もう出よう」


 そういう事になった。




 駅馬車の切符を買い、帰ることになる我らである。

 ゼニゲーバの王都はたっぷりと観光した。

 ユリスティナの懸念も晴れ、余は満足である。

 その後、壮行会の夜に余を睨みつけていた男の接触は無かった。

 あれは何者であろうな。

 誰もがユリスティナに注目する中、余だけを睨んでいた。

 顔見知りだったりするのだろうか。

 幻覚で変装していたら分からぬな。

 うむ、考えるだけ無駄だ。

 かくして、余は考えるのをやめた。


「さて、家に着くまでが旅行である」


 余が宣言すると、ユリスティナは頷き、ショコラは馬車の中を這い這いして余の膝の上に登ってきた。


「ショコラ、旅行はどうであったかね?」


 ショコラを高い高いして尋ねると、彼女は笑顔になって、キャッキャッとはしゃいだ。

 ご満悦のようだ。

 ブルーの赤ちゃん服を着たショコラは、大変お洒落さんになっている。

 ショコラのためにも、この街にやって来て良かった。

 余がショコラと遊んでいると、横でユリスティナがもじもじした。


「おい、ザッハトール。そうしてショコラちゃんと遊びながらでいいから聞いてくれ」


「うむ?」


 ショコラを肩車して遊んでいた余は、改まった様子の姫騎士を振り返る。

 彼女はこちらを見て、一瞬言葉に詰まったようだった。

 そして、意を決したように口を開く。


「お前に言われた、この間の申し出だが……。ショコラちゃんのお母さんをやらないかという話。あれは、私はまともに殿方と付き合ったこともないし、ましてや結婚や育児の経験もない……」


「うむ」


 余も無い。

 何もかも手探りであるからな。

 だが、今は余計なことは言わぬぞ。

 余は空気が読める元魔王なのだ。


「だけど、この何日かの間でショコラちゃんと過ごしてみて、私はとても満たされたのだ。叶わぬ思いにうじうじとした、この半年がなんだったのかと思うほど、気持ちが晴れやかになった。この子は私を必要としてくれている。私はショコラちゃんと一緒なら、魔王を倒して世界を救ったのに、自分だけは救えなかった私ではなく、ここにいていい私になれるのだ」


「ピャ」


 余の頭をぺたぺた叩いていたショコラは、真面目な顔をしているユリスティナを見て首をかしげた。

 小さな手をいっぱいに伸ばし、ユリスティナに抱っこをせがむ。

 姫騎士は思わず微笑み、膝立ちになってショコラを抱き上げた。


「私は、ショコラちゃんのお母さんができるだろうか」


「やれる。他でもない、千年もの間魔界を治め、一度の不満も噴出せぬ人事を行ってきた余が言うのだ。貴様以外に、ショコラのお母さんは務まらぬ」


「そうか」


 ユリスティナは、ショコラをそっと抱きしめた。

 ショコラは不思議そうに、ユリスティナのほっぺたをぺたぺた触っている。

 小さい指先がちょっと塗れたようだった。


 よしっ。

 これでショコラを育てる体制は万全である。

 余とユリスティナは、全力で赤ちゃんを育てねばならぬのだ。

 我らの戦いは、まだ始まったばかりだ!

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