第三章 魔王一家の華麗なる日常
第16話 魔王、赤ちゃんに(文字通り)羽を伸ばさせる
ベーシク村に帰ってきた翌日である。
ユリスティナはゼニゲーバ王都で買ってきた布を持って、近所の奥さんたちの集まりに出かけて行った。
ショコラの服を作るべく、編み物を習うのだ。
「赤ちゃんはすぐに大きくなると聞いているからな。私も編み物の技を身に付けねばならない」
「むむっ、なんという決意の表情だ。良かろう。貴様ならばその技を会得できると期待するぞ。帰ってきたら余にも教えてね」
「ああ、期待して待っているがいい。私とお前で、ショコラの服を作り、あわよくばショコラとペアルックに……ふふふふ」
ユリスティナは不敵に笑いながら家の外に出て行った。
最近あやつ、余に似てきた気がするな。
それは聖騎士としてどうであろう。
「ピョピョ」
何日かぶりの家の中で、ショコラは這い這いして回っている。
この家も、まだ馴染んだとは言い難いな。
何せ、借りてからまだ十日も経っていないのだ。
その間に、ユリスティナと再会し、狩りに行き、ゼニゲーバ王国には三日も滞在した。
故にショコラにとって、この家はまだまだ未知のもので溢れているのだ。
ふと、余は思いついた。
「そうだ、ショコラ。家の中でまで幻を掛けられたままでは窮屈であろう。たまには羽を伸ばすが良い」
「ピョ?」
名前を呼ばれて振り返ったショコラに、余は手を伸ばした。
「解呪する」
余が宣言すると、ショコラに掛けられた変身の魔法が解けた。
ショコラは普通の赤ちゃんではなく、翼と尻尾が生えたドラゴンの赤ちゃんに戻る。
ドラゴンと言っても、赤ちゃんなのでふわふわのもちもちだ。
「ピョピョー」
ショコラは元気に鳴くと、小さな翼をパタパタと動かした。
それだけでは体を浮かせられぬようなサイズの翼だが、ドラゴンは羽ばたく動作で魔力を生み出し、それによって飛ぶのだ。
ショコラの小さいからだが浮かび上がった。
「いいぞいいぞ」
小さくてもちゃんと飛べるのだ。
余の膝小僧辺りの高さではあるが。
「マーウー」
ショコラはパタパタ羽ばたきながら、這い這いするくらいの速度で進み始めた。
速さもゆっくりであるな。
余は腰を屈めながら、ショコラの後ろをついていく。
さあ、空飛ぶショコラのおうちの中探検である。
先日も這い這いで移動した辺りを、今度は膝丈の高さから観察だ。
「マウマウ」
「よし、扉を開けてやろう」
寝室の扉で引っかかっていたので、余はスッと開けてやった。
ベッドルームへとふわふわ飛びながら侵入するショコラ。
布団がたたまれたベッドへと一直線に飛ぶと、どすんと布団に突き刺さった。
布団の上に乗るには高度が足りなかったか。
「ピャ、ピャー!」
じたばた暴れながら鳴くので、お腹を掴んで布団から引っこ抜く。
「ピャ! マーウー」
余に持たれているというのに、ショコラは飛んでいる気分である。
小さい羽をぱたぱたさせて、泳ぐように手足で空を掻く。
「よしよし、空飛ぶショコラ、発進だぞ」
余は、ショコラが望んでいるだろうなという高さまで持ち上げて、布団の上へと突き進ませる。
「キャー!」
ショコラ大喜び。
「マ! マ!」
尻尾を跳ね上げて、布団目掛けてばたばたするので、そのままお腹から軟着陸させた。
ぼふんと、布団の上で弾むショコラ。
そしてしばらく、布団の上でじたばたする。
その後、じいっと余を見上げた。
「ピャ」
「離陸か。横着しだしたな」
余は後ろから、ショコラを持ち上げた。
ショコラはもりもり手足を動かす。
尻尾もぱたぱた振る。
飛んでいるつもりらしい。
「ショコラ、羽、羽を動かすのだ」
余はショコラの羽をつんつんした。
ショコラ、ハッとする。
思い出したように、羽が動き出した。
そうだぞ。
空は手足と尻尾で泳ぐのではなく、羽で飛ぶのだ。
余はこっそりと、ショコラから手を離してみる。
すると、ショコラの高度がスーッと落ちていった。
膝くらいの高さで、ふわりと止まる。
そして、這い這いくらいの速さで進み始めた。
「うむ、やればできるではないか。だが、余は覚えたぞ。下手に手助けをすると、横着することを覚えてしまうのだな」
心のメモに記しておこう。
余とショコラは、廊下に出て、また冒険を始めた。
「マウ、マー」
「ショコラ、そっちは押入れだ」
「ピャピャ、マウー!」
「入りたいのか」
押入れを開けると、そこにショコラが飛び込んでいった。
押入れなのだから、すぐに行き止まりになる。
ごちーんと音がした。
ぶつけたな。
「ピャ」
あっ。
「ピャアーピャアー!」
泣き出した。
余はショコラを引っ張り出すと、抱っこしながら撫でたり踊ったりする。
「ショコラ、泣き止むのだー。ほれ、回復魔法だ。よし、余の面白い顔を見るが良い」
べろべろばーとかしていたら、ショコラの機嫌が直った。
よしよし。
今のはちょっとびっくりしただけであろう。
そもそも、ドラゴンの赤ちゃんが板張りの押入れに頭をぶつけて、怪我をするわけが無いのだ。
「もしや……余は過保護なのでは……?」
大変なことに気付いてしまった。
余がそんな真実に気付いて懊悩する間に、ショコラはまた廊下をぱたぱたと飛び始めていた。
「おっと、いかんいかん。目を離さぬようにせねばな」
気を取り直して、ショコラに向き直る。
すると今まさに、ショコラが羽の動きを止め、床にぽとっと落ちるところであった。
「いかん!」
余は考えるよりも先に、廊下全体に魔闘気を巡らせた。
そして背中をつけて寝そべると、魔闘気の上をするーっと移動してショコラの落下地点へと滑り込む。
間一髪、ショコラは余のお腹の上にぽとっと落ちたのだった。
「どうしたのだショコラ」
余が声を掛けると、ショコラは口をむにゅむにゅさせながら、何やら頑張っている様子。
何を頑張っているのだ?
……。
はっ。
うんちか!!
「現れよ、パズス! 緊急事態である!」
「ウキーッ! ここに!」
余は略式魔方陣を展開し、パズスを呼んだ。
「向こうの部屋に干し終わった布おむつが置いてある。それを一枚持ってくるのだ」
「はっ、かしこまりました、ウキッ」
その間に、余は魔闘気を伸ばしてたらいを用意し、水作成の魔法で水を生み出す。
水は炎の魔法で一旦沸騰させ、氷の魔法を放り込んで湯冷ましにする。
これに持ってきた布を浸し、準備完了である。
余のお腹の上で頑張っているショコラを、そろーっと床の上に下ろす。
果たして、おむつを展開してみると、見事なものであった。
「これは凄い」
「魔王様、おむつを持ってきました!」
「でかしたぞパズス」
余はおむつを受け取ると、まずはショコラのお尻を拭くことにした。
ふむ。
尻尾が邪魔であるな。
人間の姿に変えておこう。
余が幻覚魔法を使ったその時。
「こんにちは! ザッハさんいるかしら」
あの声は、村長の奥さん!
なんというタイミングでやって来るのだ。
危うくドラゴン赤ちゃん状態のショコラを見られるところだった。
奥さんは、真面目な顔でショコラのお尻を拭いている余を見て、まあ、と言った。
「廊下でうんちしちゃったのね」
「うむ。元気なもので、家中を動き回っている」
汚れたおむつは、パズスが庭に持っていって、井戸水をくみ上げてからジャブジャブ洗う。
奥さんはそれを、賢いお猿さんねえ、と見ていたが、すぐにここへやって来た目的を思い出したようだった。
「そうだ。私はザッハさんとショコラちゃんをお誘いに来たのよ」
「お誘いとな?」
おしめを替え終わり、すっかりご機嫌になったショコラ。
余に抱っこされ、キャッキャ言っている。
「ショコラちゃん元気でしょう? 村の子どもたちも、元気な子が多いのよ。だからね、農作業の合間に子どもを集めてみんなで遊ばせてるの」
「おお、この間の……」
狩りの時、ショコラを預かってもらったあれである。
「今度はザッハさんも来てみない? ショコラちゃんのお友達を作りましょう」
なるほど、それはいいな。
願ってもないお誘いである。
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