第10話 魔王、オロチ(ヤンデレ)を呼び出す

「ピョ、ピィー、ムムー」


「おおっ、ふわっふわのもちもちだ。ふふふ、赤ちゃんは可愛いなあ」


 ユリスティナが目を細めて、ショコラを抱っこしている。

 ショコラも、いつも余に抱っこされている時よりも機嫌がいいようだ。

 余が抱っこしていると、すぐに腕を抜け出して余の髪をもぐもぐしにくるからな。


「あっ、こらショコラ。そんなところを触ってもお乳は出ないぞ」


「余には無い柔らかい部分なので興味深いのであろう」


「ンマ! マーマウ」


 ショコラはユリスティナの胸が珍しいと見えて、ぺたぺた触っている。

 はて、村のお母さんたちにも抱っこしてもらったはずだが、これほど興味深げな反応はしていなかったはずだ。

 一体、何がショコラの興味を惹くと言うのだろう。


「もしや……鍛え抜かれた結果、半分が筋肉に……? なるほど。そのハイブリッドな触感は並の人間では真似できまい」


「は!? 私の胸がまるで異常なものみたいに言わないで欲しい。ショコラは私の人柄とか、包容力みたいなものを分かっているんだ」


 相変わらず胸をぺたぺたされながら、真面目な顔で言うユリスティナ。

 そんな余と彼女のやり取りを、ニコニコしながら御者が眺めていた。

 ここは馬車の中。

 我ら三人は、ゼニゲーバ王国へと向かっているのである。


「マウー、マウマウー」


 今日は珍しく、ショコラがよく喋る。

 何を言っているかは分からないが、それはいつもの事である。

 余とユリスティナは、適当な感じで相槌を打った。


「そうかそうか、ユリスティナが気に入ったか。これはやはり、お母さんになってもらうしかないなあ」


「こ、こら! 私はまだその話を引き受けたわけではないぞ! 全く……どうしていきなり母親にならねばならんのだ……」


 ぶつぶつ言うユリスティナだったが、腕の中で「ピュイピィ」言うショコラを見つめていると、にへっと顔が緩んでいく。

 ククククク、逃しはせんぞユリスティナ。

 貴様、絶対赤ちゃん大好きであろう。


「ハッ……! そう言えば、可愛いショコラと遊んでいて忘れていたが、ザッハトール。お前は四魔将全てを召喚できるのか?」


「うむ、その通り。今回呼び出すオロチは、外見もドラゴンによく似ている。ムッチン王子の竜殺しを欺瞞と暴くには最適な魔族だろう。この場で呼びつけてみせようか」


「よせよせ。馬車の中では、何か余計な騒ぎが起きそうだ。近く休憩があるだろう。そこで呼び出してはどうだ?」


 ユリスティナの言うことももっともである。

 ここは、馬車が止まるまで待つのが良かろう……。


『……様』


 ガタガタ馬車が揺れる。

 揺れに合わせて、ショコラがユリスティナにむぎゅむぎゅと抱きつく。


『魔王様……!』


 ククク、ユリスティナめ。

 あの調子では、遠からずショコラの前に陥落してしまうであろう。

 貴様をお母さんにしてやろうか。


『魔王様────!!』


「ぬわっ!?」


 突然耳元で叫ばれ、余は座ったまま飛び上がった。

 うわあびっくりした。

 気がつくと、すぐ傍らに、見覚えのある女が座り込んでいる。

 漆黒の髪に黒い瞳をした、妖艶な人間の女だ。

 濡れたように輝く白い肌が印象的で、肌もあらわな赤いドレスを纏っている。


「あれ? なぜオロチが外に出てきておるのだ」


『もう……魔王様ったらいけずなんだから。わたくしの名前を呼んだら、出てきてしまうに決まっているでしょう……?』


 決まっているのか。

 ああ、いや、つまり、一度滅ぼされたオロチは、余によって召喚されるのを待機する状態になっている。

 故に、オロチは余がその名を口にしたことで、それを手がかりにして自ら出現したということか。

 なんという積極性だろうか。


「あれっ!? お客さん、増えてないかい!?」


 いかん、御者に気づかれたぞ。

 余は御者に、幻惑魔法を掛けた。

 すると、御者は虚ろな目になり、オロチから視線を外した。

 危ない危ない。


「気をつけろオロチ。余は二人分の運賃しか持ってきていないのだ。残りもあるが、滞在費用や観光の費用で消える予定なのだぞ? やりくりは大変なのだ」


『魔王様!? な、何を所帯じみたことを仰るのですか! お金など無くとも、人間どもから奪い、殺し、我が物とすればよいではございませんか……!』


「いや、それは人間どもが困るであろう。それに余は既に魔王では無いぞ。赤ちゃんを育てる人だ」


『魔王様ーっ!?』


 オロチは目眩がしたらしく、真っ青になって頽れる。

 この光景をじーっと見ていたユリスティナが、半眼になった。


「ザッハトール。その女がオロチなのか? 未だ、魔族らしい危険な思想を持っているようだが」


「いかにも。四魔将にして東を司る、大蛇の化身オロチである。普段は人に似せた姿をして、サイズを縮めてある」


「そうか。では今度危ないことをやろうとしたら、私が手ずからまた滅ぼしてくれよう」


 ユリスティナが静かに、全身から聖なるオーラを漂わせる。

 立ち直ったオロチも、彼女を見てメラメラと怒りの炎を燃やす。


『なにっ。あの女、なんなんですか! 魔王様、わたくしというものがありながら、どうしてあんな女が近くで恋人面してるんですか! そうか、魔王様をおかしくしてしまったのはあいつね! 許せない!』


「ほう、やる気か? 人間に手出しをするなら、私も黙ってはいないぞ。聖剣が無くとも、力が落ちた四魔将ならばこの拳で滅ぼしてくれよう」


「貴様ら止めるのだ。喧嘩されたらこの辺り一帯が更地になる」


 火花を散らす女たちの間に、余は割って入った。

 危ない危ない。

 ショコラの教育に悪いではないか。

 それに、今はきょとんとして女二人の言い争いを聞いているが、いつ泣き出すか分かったものではない。

 ショコラが泣くのは、お腹が空いた時かおしめにしちゃった時だけで良いのだ。

 村の奥さんたちから、余はそう教わったぞ。


「ということで、戻すぞオロチ。さらばだ」


『ひい、そんな殺生な! せっかく四魔将の限界を越えて召喚外の登場をしたというのに!』


「貴様、余とユリスティナのことばかりでショコラに話題で触れておらんかっただろう。いいか、恋人ではない。お母さんをやってもらう予定なのだ。魔界の底で頭を冷やすが良い、オロチ。また呼び出すからな」


『ううううう、口惜しやぁ────』


 余が指を鳴らすと、オロチは消えた。

 四魔将を待機させている、魔界の底に送り返したのだ。

 今頃、他に唯一実体化しているパズスと再会し、愚痴でもぶつけているかも知れぬ。

 己に足りぬものを自覚してくれるといいのだが。


 赤ちゃんに必要なのは、恋人ではなくお父さんとお母さんなのであるからして。

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