第25話 何かが、動き出すような
革張りの椅子は相変わらず座り心地が良く天気も程よく温かいのでまどろむにはちょうどいい環境と言えた。
「聞きたいことはいくつかあるけど」
天井から床に直線状に穿たれた穴とどこかふてくれされたような口調のエルナの詰問がなければ、の話だが。
「……」
まっすぐにフランを見つめるエルナの態度に俺は思わず噤んでしまう。
正体不明の黒い影が去った後俺たちは立っていても仕方がないので馬車に戻り座ることにした。
馬を牽いていた先導はどこかへといなくなりもう二度と動くことのなくなった馬車であるがそれでも座って話をするには十分すぎる程の空間であった。
つい今しがた襲われたばかりなのだからもう少し周囲に警戒を配ってもいいのかもしれないが俺を含め皆一旦これ以上の攻撃はないだろうという考えは一致していた。
なのでここは三人でゆっくりひと眠りでもしよう――などということにはなるわけもなく、始まったのはエルナの問いかけだった。
「どうぞ、答えられるのなら答えるわ」
自信に向けられる視線を受け止め、そこに込められている感情もわかるであろうにフランはあくまでも平然と優雅とすらいえるような態度でエルナに話すことを促した。
「まず一つ。君、誰かに狙われているのかい?」
「そうね。こういう身分だもの、他人から狙われることは小さい頃からそれなりにあったわ」
「……二つ目、何でそういうことを黙っていたんだい? 一緒に行動するんだから私たちだって巻き込まれる可能性があるってことだろう?」
「それは反省しているわ。でも悪意があったのじゃなくて貴方達なら万が一の時には自分の身は守れると思っていたからよ」
むぅ、と眉間に皺寄せるエルナに対してフランは言い淀むことも濁すこともなくきっぱりと答える。
そこに嘘や誤魔化しの色はなく本当にそう思っているのだろう。
そしてそれはエルナにもわかるからこそ、この態度になるのだ。
「じゃあ三つ目。
「……」
そこでエルナの言葉からは苛立ちのようなものはなくなり、代わりに突きのような鋭さが込められそれを受けたフランはこれまでから一転して口を閉ざして答えることはなかった。
「
しかし改めてそう問うことの意味が俺にはよくわからずフランに代わってエルナに尋ねる。
話題に上げられている
男か女か、若かったのか年老いていたのか、それらは一切わからない。
何しろ全身を黒い衣服で包み、その顔すらも黒い面で閉ざしていた。
一言も言葉を発することもなく何ら俺たちに情報を残すことなく消えていった“あれ”は確かにそこらの山賊や盗賊というには変わってはいたがそれでもそこまで気にすることなのだろうか。
「タクト、君は
「――え?」
「別に謎かけをするつもりもないから先に言うとだね、
――それもかなりの上物のね。
驚きと称賛、そして僅かな焦りのようなものを感じさせる口調で呟くようにエルナはそう言った。
「……人形?」
「別にそう珍しいものでもないさ。ゴーレムなんてものは少し魔法が栄えた街でならありふれているからね。けど
「――えぇ、そうね」
補足をしてくれたのだろうがそれでも今一つエルナの言葉を俺が飲み込めないでいた。
そうしているうちにフランは小さくため息をつきながら顔を伏せたかと思うと、すぐに意を決したように面を上げた。
「えぇ、もう隠すのはやめるわ。貴方達を巻き込んだのは事実だものね」
すっ、と小さく腰を浮かせて一度姿勢を正すと改めて真っすぐに俺とエルナを見つめながらフランはそう切り出した。
「
「初めてじゃないんだろ? さっき何とかって言ってたよな」
「ファストゥスとメルギリウスのことかしら? どっちも優秀な錬金術の家系だから適当に言ってみただけだけど、もしかしたら本当にどっちかからの差し金だった可能性はあるわね」
俺の問いに“あるわね”などとどこか他人事のように口にするフラン。
そこには襲われたことに対する恐怖は感じられない。
それが彼女の気質によるものなのか――或いはそういうことに慣れているだけなのかは判別はできなかった。
「なるほど、錬金術は元素を操る技法だからそれを素材にした人形作りにも長けているというわけか」
「そういうことね。うちはその方面はそれほど得意ではないのだけれど」
錬金術だのゴーレムだのということは俺にはチンプンカンプンであったがエルナは得心いったのかうんうん、と頷きながら推測を口にするとフランはそれを肯定した。
「それじゃあそれを踏まえて最後の質問。これから受けようとしているクエストっていうのは君が襲われることと何か関係があるのかな?」
そしてもう一度、先ほどよりも更に鋭く――辺りの温度が一瞬低くなったのではないかと錯覚をしてしまうような冷たさすら感じさせる声でエルナが問うと、
「――えぇ、あるわ。そのことももう二人には話してもいいわよね」
フランもまた取り繕うこともなくきっぱりと俺たちを見つめながらそう返した。
「……」
俺はただ口を挟むこともできずにその成り行きを見守ることしかできなかった。
*
天井に小さく、しかしはっきりと穴を穿たれた馬車。
木々が揺れる森の中に放置されるように動かないそれを見つめる目があった。
「……」
否、あったといってもその目が誰かの視線と交差することはない。
馬車から離れること数百メートル。
仮に見えたとしても互いに小さな点としか見えない程の距離。
生い茂る木々のうちの一本、その枝に二足で直立する影が一つ、揺れる木の葉に隠れ見えるはずもない小さな馬車を確かに視界に捉えていた。
「……一体じゃ足りなかったか」
低く、重い声。
声に相応しくその影は硬く、重量を感じさせる筋肉に覆われていた。
それにも関わらずまるで小鳥が止まるかのように細い枝はたゆむこともなく影の体重を支える足場となっている。
「三人いるとは聞いていたが……」
誰に聞かせるでもなく己自身に確かめるように呟く影。
「……あの男は何者だ」
その目は遥か彼方の馬車の姿は捉えているがこの距離では内部の話までは聞こえない。
あと数十メートル近づけばそれも可能だろうが不要な行為はする必要がない。
それよりも今はただ人形が襲った三人のうちの一人、名も知らない男が見せた動きが僅かにほんの少しだけ頭に引っかかって残っていた。
「まぁいい」
しかしそれについては今考えていても答えが出ることはない、そう影はあっさりと己の思考を割り切った。
いずれにしても女は
三人が行動を共にするのならばいずれ再び会うこともあるだろう。
ならばそれはその時に確かめればいい。
そうして影は己が取るべき次の行動を頭に刻みこむ。
ふっ――
と、その時頬を撫でるような穏やかなそよ風が一瞬だけ木々を揺らす。
――そうしてその風が止んだ頃、もう影の姿はどこにも残ってはいなかった。
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